私はいつも、その人を見ていた。
脇目も振らずに早足で歩いている朝のその人を、瞬きするほど短い昼の休憩を取るその人を、消えることのない灯りの下で夜通し執務に取り掛かるその人を。
あの人を、聞太師を、300年前から見つめ続けている。
私は宮廷内に放し飼いにされた白孔雀。雄ではないから、美しい尾羽は生えていない。観賞用ではなく、繁殖のために飼われていたのだろうけど、もはや遠い過去の人となってしまった最初の主も、私が一度たりともそのようなことをしていないことを知らないだろう。
私はひっそりと、庭の片隅で静かに生きていた。時にはゆったりと、散歩をしていたこともある。ここに連れてこられたときも、私はかなり長い間生きていたように思うが、それから更に長い年月をこの広すぎる箱庭の中で過ごした。
地味な雌孔雀に興味を持つ者など居るはずも無かった。
申公豹という、道士を除いて。
『ずいぶん、長く生きているものですね』
いつものように宮廷内に油を売りに来た彼は、私の姿を認めると興味深そうに近寄ってきた。
この人も十分不気味な人間だが、私としては彼が跨る黒点虎のほうが恐ろしい。最強の霊獣に食べられるのかと、思わず後ずさった私をクスクスと笑いながら、申公豹は黒点虎を追いやってしまった。
『食べさせやしませんよ…あなたはとても、珍しいから』
庭の石に腰掛けて、彼は感情の読めない目でじっと私を見つめた。
『どうです?人間の姿は、とれるようになりましたか?』
思わぬ言葉に驚いて、羽をかすかに動かすだけの私に、彼は説明をしてくれた。
曰く、これだけ長く生きていればそろそろ妖怪仙人になっても不思議はないとのこと。
『やってごらんなさい。あなたなら、きっと美しい姿になれるでしょう』
ゆったりとした動作で人差し指を持ち上げ、申公豹は私を指差した。
そういわれても、一体どのようにして人の形をとるのか私にはわかりはしない。とりあえず、念じるだけ念じてみることにした。
地面と水平方向にぐるぐると世界が回ったような気がして、それからぎゅっと目を瞑ると、肌の感触がいつもと違うことに気づいた。
『思ったとおりです。目を開けて御覧なさい』
満足そうな申公豹の声を確認して、恐る恐る目を開けてみた。先ほどまで頭上にあった彼の顔が、私のほぼ真正面に来ている。ついでにいつもの姿勢制御では足元がふらつく。
対の羽、それはどうやら人間で言えば両腕に当たるらしく、私が目の前にかざしたのは生白い人間の腕だった。
『これ…ワタシ…』
思わず口に出してしまった言葉に、一番驚いたのは私だった。
まさか人型をとることで人語を使えるようになるとは思わなかった。
- end -
20091206
続きます、多分。いや、続けます