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028...ツボマッサージをしてもらう

誰かが何かをしている横で、自分は何もしていないという状況はけっこう、精神的にアレだ。
しかもその誰かが真剣になっていればいるほど、それを邪魔しちゃいけないから大人しくしているほかない。
でもそれは非常に退屈だし、寂しい。

「英雄」ではなく、夜想曲第二番(Op.9-2)だったら寝ていたかもしれない。あの、なんかのCMでおなじみの曲、すごく穏やかで寝てしまいそうな曲。アレがもし流れたら確実に寝てしまう。
先輩のピアノは、なんだか最近音が柔らかくなった。
調律をきちんとしてもらったって言っていたけど、音が柔らかくなった理由がピアノ自体のせいなのか、先輩の心境の変化のせいなのか、私にはよくわからない。
とにかく柔らかくて気持ちよくなった音で穏やかな曲を奏でられたら寝てしまいそうなので、次は「革命」を弾いてもらおうと思う。
……いや、「革命」は短調だから、何か長調を。
私も、先輩のおかげでだいぶ詳しくなった。
おかげ、なのかな。
近づきたいという気持ちで調べて、CDもたくさん借りてきて、飽きるまで聴いて。
動機が不純すぎてこの知識はあまり誰にも言いたくないかもしれない。

“ターンタターン”から始まる、誰でも知っているあのメロディーは実際に聞いてみると中々忙しく指が動いているように思える。
曲の中盤から始まる低音部のアルペジオは速いし長いし、疲れそうだ。
実はピアノって、けっこう体力使うんじゃないだろうか。
先輩も、実は疲れてるのかもしれない。
毎回無理を言ってしまって、申し訳ない気分になってきた。

大体いつも、張り詰めたような無表情で、時々意地悪で、時々抜けてることを言ったりして、ごくまれに、優しい。
最近は、ピアノの音に負けないくらい、私にも優しくしてくれるようになった先輩。
甘えすぎかもしれないと思いながら、でもこのくらいでようやくこれまでの分がチャラになるんじゃないかとも思いながら、今日も私は先輩にピアノを弾いてもらっている。
たった10本の指で、いくつものオクターブを縦横無尽に駆け巡って、オーケストラにも大合唱にも負けないくらいの素敵な音楽を聞かせてくれる。
横顔を見つめていると目が合った。
いつものけだるさ、みたいなものが抜けた綺麗な目は、すぐに鍵盤の上へと視線を戻している。



「いいよそんなの」
「そうおっしゃらずに」
「いいって言ってる」
「まぁまぁ」

何を言い争っているのかというと、罪滅ぼしをしたくなった私の申し出「肩でも揉みましょう」を、先輩が断っている、それだけ。
「絶対疲れてますよ、ね?」
「おまえな、このくらいで俺が疲れるわけないだろ。馬鹿にしてるのか」
「してませんよ!揉ませてください!」
「おま……その言い方はセクハラだろ……!」
「えっ、な、なんでそうなるんですか!肩ですよ?……あ、肩が弱いんですか?」
「…………なわけないだろ、わかったよもう」
おなじみのながーいため息をついて、先輩は観念したのか後ろを向いてくれた。
「……こんなんじゃお礼にもならないんですけど」
そっと、カーディガンごしに肩に触れた。少し熱い気がする。
「お前はそんなこと、考えなくていいんだ」
振り向かず、鍵盤を眺めたままの先輩が答えた。
「でも、」
「いいんだよ。お前が聴きたい曲なんだろ?俺だって楽しんで弾いてるんだから」

楽しい、んだ。
ちょっとびっくりして手に力が入ってしまった。
『俺は嫌いだ』
そういっていたのに、まるで嘘みたいだ。だからこんなふうに優しい音がするのかな。
「なんだよ、なにぼさっとしてるんだ。揉むんじゃなかったのか」
「――あ、す、すみません」
親指に力を入れて、肩の筋肉をほぐす。実は凝り性なので肩揉みは得意なのだ。
でも、もし先輩の奏でる音が、ピアノを好きになったから優しくなったのだとしたら。
私のマッサージも、きっと優しい感じになっている、はず。

- end -

20101002

楽器って弾いてると案外暑くなるよね。