100 Title



039...体の傷

*ご注意*
アンジェロとヒロインともに性的虐待を受けていたこと(ヒロインに関してはそれ以上)を匂わせる描写があります。アンジェロに関しては小説版公式ですが、そういう不幸な設定いらんわ!って方はお戻りください。













私と彼女はいつも一緒にいた。と、思うし、反面そうでなかったような気もする。
どうやって出会ったのかはもう覚えていない。覚える気がなかったのかもしれないし、忘れたかったのかもしれない。
それでも小さな手のぬくもりが私をずっと捉えていた、その記憶そのものは、いつまでも忘れ得ないものだった。


***


パラオ。
うらぶれた小惑星にも、人々が暮らしている。
すさんだ町並みと言っても、略奪されたグローブに比べれば活気がある。人の目にも明るさが宿っている。
自分――それから彼女も――のような顔をした子供など見かけようがない。
それでも埃っぽい空気にはうんざりしていたし、早いうちに用事を済ませて総督府へと戻ろうと私は歩みを速めた。
雑踏の中で、一人の修道女とすれ違う。
こんなところにも神に仕えようなどと考える者がいるのかと思うと気分を害さずにはいられなかった。
神などというものにすがろうと思うなど、その先に救いがあると信じているなど、それだけでまだ本人の心境などしれている。絶望を知らぬのだろう。
だからといって自分がそのすべてを、絶望というものが意味するものを知っているのかと聞かれたら、きっと私は――

「……ジェーン?」

すれ違った修道女の顔に、見覚えがあった。
昔一緒にいた誰かに似ていた。
いいや、そうじゃない。あれは、彼女だ。

「ジェーン!」

振り返って叫ぶと、雑踏の耳目が私に集まる。それは、この際問題ではない。
問題なのは、彼女が私を振り返っても、何も知らぬような色しかそこに浮かべなかったことだ。


***


お互い、似たようなことをしていた。
口には出さなかったけれど、その頃だって多分お互いうすうす気がついていた。
抉られる心の深さも、痛めつけられた体の痕も、どちらがどちらよりも酷いとか、そういう言葉で推し量れるものではない。
だが、やはり男である私よりも、女である彼女のほうが余計に、そして当たり前に、傷ついていたのだ。


***


「ジェーンをご存知の方がいらっしゃいましたのね」

うろこ状の加工が施された古ぼけた窓ガラス越しに、淡い光が差し込んでいた。
修道院は古いが、マメな手入れが施されているのだろう。埃っぽさはなかった。
柔和な修道院長は、安物の紅茶を勧めてきた。
無下に断る気も起きず、私は古いけれど磨かれたティーカップを口に運ぶ。
この空間では、正体のはっきりしない温かさが敵対する意思を包み込んでいるらしい。

「あの子の話を他の方にしましたのは、これが初めてです」
「……酷い話を蒸し返したようで、申し訳ない」

そういうことが言いたかったわけではないのに、私の口からこぼれたのは謝罪の言葉だった。
修道院長は何もかも見通したような目で笑う。それが、いっそ恐ろしかった。
どこからか賛美歌が途切れ途切れに聴こえてくる。聖歌隊がいるのか、それが練習しているのか。
修道院長は、私に謝辞を述べる。
いわく、ジェーンのことを気にかけてくれて、感謝していると。

「自分のことを知り、そうして理解してくれる方がいるというのは、人にとって幸いですから」

怪訝な顔が出ていた私に、彼女はただそう言うばかりだった。
一瞬、窓の外を通り過ぎる人影で明るさがさえぎられた。

「それは……あなた方の言う、神の――御言葉というものなのですか」
「いいえ、」

賛美歌のオルガンが、やんだ。

「わたくしの言葉です」


***


もしもそれがジェーンにとってよいことだと思うのであれば、そして彼女の同意が得られれば、ここから彼女を連れ出してもかまわない。
それが修道院長の考えだとのことだが、いい加減なものだと呆れてしまう。ジェーンは中庭にいると言われ、足を運んだ先に確かに彼女はいた。
黒ずくめの服とベールに覆われて、それが誰なのかわかるはずもないくせに、私には直感でわかった。ような気がした。

「ジェーン、」

彼女が今覚えているのは自分の名前だけらしい。

「――さん」

それが、忘れてしまうことが一番だと思う。
私と出会う以前の彼女に何が起こったのかは、知らない。知らないが、虐殺と略奪のグローブに住んでいたのだから碌な過去ではないのだろう。
そして今しがた聞いた事実を体験した彼女が、結果的に心を病んで記憶を閉ざした彼女が、再びその悪夢と邂逅するのは苦痛以外の何物でもないだろうから。

「はい、アンジェロ大尉。もう、お帰りですか?」

剪定ばさみを持って振り返った彼女は、笑っていた。
どうしてこうも穏やかに微笑んでいられるのか、少しだけうらやましかった。

「ええ。職務がありますので」
「そうですの……」

どうして残念そうな顔をするのかわからなかったが、私は少しだけ救われた気がした。
救いなどすでにあの方に求め、そうでありながら半分は諦めていただけに、私は自分自身に動揺していた。

「バラを、植えていらっしゃるのですか」

立ち去るのを止めて当たり障りのない言葉を選んでしまったのは、動揺を気取られないように思ったのと、別れ難さを感じていたからだろう。
ジェーンは指先でそっと、赤いバラの花に触れた。

「違いますの。いつだったかしら、どこからか種が舞い込んできたのでしょうか。植えた覚えもないのに、今こうして咲いているのですから、お世話をしているのです」

何かの暗喩にしか思えなかった。
ジェーン、その赤い花が君の流した血に思えてしまう。

「しかし、綺麗に咲いている」
「ありがとうございます。せっかく植わったのですから、咲かせてあげたいと思っておりました」

眩暈を感じた。君は過去にも、そのときにも、そうやって笑おうとしていたのだろうか。

「それも神のご意思だと、あなた方なら仰るのでしょうか」
「はい。すべては導きのままに」

迷いなどない答えに、私の意志も固まった。

『わたくしはあの子にこう言いました。“あなたは悲しみを知り、例えそれが忘れ去られたことだとしても、悲しみを知った人間こそが隣人の悲しみを知り、癒す手伝いができるのです”と……』

修道院長は、正しかった。
彼女はここで神に身をささげるのが一番だ。私などと共にいても詮無いことだ。いつか彼女がすべてを思い出したとき、私は私のこの愛が、純粋なものだと言えるだろうか。そんなわけは、なかった。
傷ついた彼女を愛することで私自身の傷を忘れようとする自分が、自分を情けなく思うだけの私が、きっとそのときその場にあるのだろう。

「そうですわ。よろしければ数本、お持ちになってくださいまし」

返事も聞かずにバラの茎に刃を入れる彼女が、ジャキジャキと音を立てる度につながる糸が切れていくようだった。
さようなら、ジェーン。
今の私は胸を張って愛しているなどと言える筈もないが、それでもあのころの私は、君がいたからこそ日々を生きながらえることができたように思う。いや、そう信じている。
私にはどうしても、君が私の分の痛みまで肩代わりしてくれたようにしか思えないのだ。そうやって、自分を恥じるだけの人間になってしまった私は、もうきっと君に触れることすらかなわない。だけど、

「大尉に神のご加護を」

私も君の幸いを、祈ってもよいだろうか。

- end -

20120729

エピソード5をやっと見ました記念。アンジェロ大尉を幸せにしたかったはずなのに……。