100 Title



041...腕をまくった

もうがまんできん。

「あ? どうしたジェーン」
ゆるやかに太陽の光降り注ぐ心地良い午後、いつもなら、うつらうつらと船をこいでしまいそうなあたたかさ。
レノさんは極彩色のけばいピンナップガールつきゴシップ誌を片手に、同僚の机に脚を乗せてリラックスモードだった。それを、斜め向かいの席のわたしが急に立ち上がったものだから、わずかに驚いたような顔をしている。
声をかけたのは彼だけだったけど、だいたい同じような顔をして、ルードさんもわたしを向いていた。

「掃除しましょう」

この部屋は汚すぎる。

「はぁ? んなもん、掃除のおばちゃんに任しときゃいいじゃねぇか、と」
当たり前だけど天下の神羅カンパニーには、清掃業者の出入りもある。大体終業後の時間だけはこの会社も掃除のおばちゃんの天下で、うっかり残っておしゃべりしてたら巨大な業務用掃除機に吸い込まれんばかりにつつかれてしまうのだ。
だから社員は基本的に、掃除なんてしなくていい。それが当たり前だと思っているのは、何もレノさんだけじゃない。ボールペンを回しながら、ルードさんも口をはさんだ。
「俺たちが下手にかきまわすより、業者に任せておいたほうが後々も……」
「そーそー。なんてったってあっちはプロだからな」
業者の出入りをどうしても免罪符にしたいらしい。ただし、掃除なんてしなくていいのは、毎日きれいに使っている限りの話。
「確かに、掃除のおばさんたちはプロです。でもそれは掃除だけの話です」
二人は、わけがわかんないような顔をした。
「掃除のおばさんは書類の整理までやってくれるわけありません! もしも重要書類だったら、って、おばさんたちが下手に捨てられないから、今までのがたまりたまって、ああなってるんです!」
わたしが指差したほうには、今にも雪崩を起こしそうな山があった。
紙、紙、紙の山。高さはゆうに、わたしの背丈を超えている。そのわたしよりずいぶん背の高いレノさんもルードさんも、首を回して見上げざるを得ない。
最初は、年度末の繁忙期にシュレッダーにかける暇もなくてほっぽいた書類をそこに置いといたのが始まりだったらしい。その頃はわたしみたいに調査課で雑用する社員もいなくて、毎日こまめにシュレッダーを動かす人も暇もなかったそうだ。
いつからこんなことになっているのか知らないけど、少なくともわたしがここに配属された二年前にはもうすでに、手のつけられない状態になっていた。もちろん、その二年の間にも山はすくすくと育っている。
なんで誰も掃除しないのか。
答えは、みんな忙しいから、だ。
タークスはほとんど社内にはいないし、外にいるときは大体命をはっている。らしい。たまにこっちにでてきたときにはなんかこう、なんて言ったらいいのかわからないけど、生の実感みたいなものを味わってる節もあることだし、わざわざのんびりしてるところに「ぼけっとしてる暇があるなら掃除してください」 とも言いづらい。第一、上司に「掃除しろ」 なんて言える平社員がいたら面の皮の厚さを測らせてもらいたい。
それに大体、普段居もしない部屋の惨状に、ほとんど誰も興味がないみたいだった。そりゃそうだろう。私と違って、四六時中ここにいるわけじゃないんだから。
やっぱり掃除しろなんて無茶だったのかもしれない。そう思ってのろのろと振り上げた手を下しかけると、
「ジェーンの言うとおりだな」
「ツォンさん、」
「会議、終わったんすか」
あれ、意外な援軍……。
ツォンさんは一番、掃除とかどうでもいいって思ってそうだったから。
掃除嫌いとか、整頓しなさそうとか、そういう意味じゃない。むしろ掃除大好ききっちり整頓みたいな人だと思ってる。自宅なんてすごくきれいなんだろうなあ。モデルルームに住んでそう。
そのツォンさんがあの雪崩に対して今まで何にも言わなかったものだから、諦めてるものだと、そう信じてた。

「そろそろどうにかしないといけないとは思っていたんだが、後回しにしてしまってな。いい機会だ。これから全員総出でやれば二時間くらいで片付くだろう」
「ええ〜……ンなこと俺たちがやることじゃないっしょ」
「そういうレノが一番、山の上に私物を放り投げてるんじゃないのか」
ジト目のツォンさんに、レノさんはへらっと笑ってごまかそうとした。図星だったらしい。
おお、さすがツォンさん! わたしには言いにくいことを言ってくれる! そこにしびれる憧れる!
いつになく生き生きとした目でツォンさんを見上げていたらしく、わたしはルードさんに笑われてたようだ。後程聞くと、「子犬のようだった」 ですと。
「しょうがねぇなぁ、と。はぁ〜あ、出張のイリーナがうらやましいぜ」
「つべこべ言わずに手を動かせ」
ツォンさんは笑いながら上着を脱ぎ始めた。あ、なんかエロい。肩を抜くために反らせた一瞬とか、脱いだ上着をちょっと手の甲で払ってみたりだとか。レノさんもルードさんも立ち上がって同じようにしてるのが視界の端でよくわかってるのに、ツォンさんから目が離せない。あれこれやばくない? なんて考えてるわたしのこと、あたりまえだけどツォンさんは知るはずもない。容赦なくときめきのタネがわたしを襲う。ネクタイをゆるめたりシャツの袖をまくったり、それいっぺんにじゃなくて小出し小出しにやってほしかった……ていうか、目の保養だし目の毒だし、わたしどうしたらいいの!?
「ジェーン、」
いつも黒のスーツ着てるから全然わからないけど、腕の筋肉が男の人って感じでドキドキする。髪が長くて切れ長の涼やかな目元で美人って感じで、でも、男の人だ。よく見たら肩幅とか意外に(って失礼だけど)がっしりしてるし、タークスだから、っていうか、でもやっぱ、ツォンさんも男の人なんだなって思って。やばいやばい。ときめきとまんない!
「ジェーン!」
「えあっ!?」
「どうした、素っ頓狂な声を出して」
ツォンさんに怪訝な顔をされても無理はない。顔が熱い。自分でもよくわかる。目を合わせていられなくて、首も両手もぶんぶん振り回してると、
「いえその、別に、なんでもないです……あぁっ!?」
やってしまった。「なんでもないアピール」 のために振り回していた腕が山にぶつかって、一部がばらばらと崩れてしまった。
「何やってんだ、と」
「ご、ごめんなさい……」
「まぁ、これから片づけるんだからいいだろう。それよりジェーン、何か髪をとめるものをもっていたら貸してくれないか」
髪?
ツォンさんは長い髪を片手でひとまとめにして、空いた手をわたしに差し出している。
あ、ゴムとかシュシュとかかしら。いつも手首につけてるフリフリのはさすがに……と思ったので、わたしは「ちょっと待ってください、引出しの中に黒いゴムが」 そう言って、自分のデスクのほうへ歩いて行こうとしたんだけれど、
「うえっ!?」
「ジェーン!」
自分で崩した紙の山にすべって転んだんだから目も当てられない。いったい誰がワックスペーパーの束なんて入れたんだって悪態をつきたくなったのも一瞬だけだった。
「大丈夫か?」
頭の上を、舞い上がった紙がひらひら落ちていく。つくりものの場面みたい。
やだなぁもう、わたしったらツォンさんまで転倒に巻き込んでしまって。数年来放置された紙の山に二人してつっこんで寝そべって、体中埃にまみれてどろどろになってしまうに違いない。ツォンさんなんて白いシャツだから、目立つだろうなあ。
わたしは逆に冷静だった。冷静だったからこそ、色々なものをじっくり見てしまった。
ゆるめたネクタイとシャツの隙間から見える鎖骨とか、それと同じにシャープな線を描く顎のラインとか、少し乱れた髪は太陽に透けて茶色っぽくも見えたりとか、わたしを案じてくれる声にあわせて、意外にしっかりしてる喉仏が上下するのとか。あとよく考えたら、これってツォンさんがわたしに覆いかぶさってる状況で、それにようやく気付いたその途端、マンガみたいにわたしの頭は爆発しそうだった。しなかったのがほんと不思議。
「ジェーン?」
口を開けばわたしの大事な心臓がここぞとばかりに逃げていきそうで、わたしは黙ってこくこくとうなずくことしかできなかった。「なら、よかった」 って笑うツォンさんがまぶしくて、けっして逆光のせいじゃなくて、恋に落ちる瞬間ってこんなときのことかしらって考えてた。正直、ロマンチックでもなんでもなくて自分で自分のドジっぷりが泣けてくるけど。

クエー♪

なんだ今の間抜けなチョコボの鳴き声。と、思って顔を動かすと、レノさんが携帯片手にニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「激写だぞ、と。ツォンさんが部下の女性社員を手籠めに……」
「レノ!」
焦った(多分)ツォンさんが体を起こし、レノさんを追いかける。
「ひゃっ」
その一瞬、腕立て伏せするみたいに私の顔の両脇についた腕が力強くて、わたしはもう、いろいろたまらなくなって、ツォンさんたちが部屋を出て行った後も紙の山の中に埋もれてた。

「……生きてるか?」
ルードさんは手を差し伸べるでもなく、わたしのそばにしゃがみ込んで声をかけてくれる。引っ張り起こそうとしなかったのは多分、わたしが顔を覆ってじたばたしてたからに違いない。ゴミの山の中でもんどりうってるなんて、そんな女、関わり合いになりたくないよね。

はたしてその日、結局調査課の部屋は片付かなかった……どころか、紙の山は雪崩を起こしてめちゃくちゃ。ついでにわたしの胸の内も、思いもしなかった出来事でめちゃくちゃになってしまったのだった。両方ともわたしのせいなんだけど……。
ちなみに、この部屋が片付くのはきれい好きのイリーナさんが戻ってきてぶちキレた、二日後の話。
わたしのこころが落ち着くのは――ツォンさんに食事に誘われた今日を過ぎても、まだまだ先になりそうだ。

- end -

20130409

なかよしんら