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043...指のタコ

 二度目に顔を見るまでその日のことは忘れていた。他人と関わること自体にさほどの興味がないせいだろうか、それとも別の理由があるからだろうか。
 ジェーンという女は俺に礼を言うためだけにCGSまで押しかけてきたらしい。暇な女だなと思って適当にあしらっても一向に帰る気配がなく、まだ何かあるのかと聞くと後ろに回していた両手を差し出してきた。
「……?」
 深い緑色の紙、に、包まれた、何か。
 それを目の前に出されても、俺にはどうすることもできない。なんとなく、何を意図しているのかはわかるのだが。
「あの……よかったら、もらってくれると嬉しいんだけ……ですけど」
 礼を言いに来たというわりには遠慮がちというか、多分ビビッているのだろう。後で、妙にニヤついたオルガから「女にはちったあ優しくしてやれよ」と言われた。お前には関係ない。
「……礼を言われるようなことはしていない」
「え、あ……」
 関わらない方がいい。俺はそう思って、ジェーンの前から立ち去った。
 乾燥しきった風を吸い込むと喉のあたりが痛む気がした。
 関わらない方がいい。
 俺は人間じゃないのだから。

§


 そう言ったにもかかわらず。
「昭弘―!」
「……」
 ジェーンという女は馬鹿なのか反抗的なのか、あれからことあるごとにCGSに来ては俺に声をかけていく。いや、馬鹿ではないのかもしれない。誰かから入れ知恵されたのか、ハエダやササイといった一軍の連中がいるところでは目も合わせようとしないからだ。
 俺たちがどういう扱いを受けているのか、そしてどういうことをしたら何が起こるのか、聞き知ったのだろう。それだけはありがたかった。いくら慣れているとはいえ無駄な暴力にさらされるのは俺だってごめんだ。
「何の用だ」
「今日こそ受け取ってもらおうと思って」
 まただ。またあの包みを持ってきている。
「いらねえ」
「まあそう言わず」
 強い日差しから逃れようと、俺は建物の影に入った。ジェーンはその後ろをついてくる。ついてくるなと言ったところで無駄だろうからそのままにさせた。休憩の時間が終わるまで追い掛け回される。これが毎度繰り返される。しかも何が楽しいのかジェーンは笑っている。
「ねえたまには座って話そうよぉ」
「断る。……“たまには”ってどういう意味だ」
「えー? だっていつもは歩きながらばっかりだし。それはそれでいいんだけど、デートみたいで」
「で……」
 はあ、とため息を吐いてしまった。思わず足を止めてしまった俺に、ジェーンが
「あれ? ちょっとドキドキした?」
「……馬鹿じゃないのか」
「でも、」
 ジェーンはなおも何事かを言おうとするが、向こう側から忌々しい声が聞こえてきて、俺はとっさにコンテナの脇に身を隠した。ジェーンの腕も引っ張って、彼女が自分の陰に隠れるように。
 一軍のやつらは俺たちに気づくこともなく、そのままどこかへ立ち去った。難を逃れた安堵で、俺は再び息を吐く。そういえばとっさのことだったにも関わらずジェーンはおとなしい。
 少し心配になって顔を見てみると、ジェーンはなぜか耳まで赤くして地面を見つめたまま硬直していた。
「……どうかしたのか」
「あ……えと、その……」
 油を射していない機械の関節のようにぎこちない動きで彼女は顔を上げる。視線を合わせようとしないジェーンに怪訝な顔をしていると、手を指差された。
「手……」
「手?」
 指差された俺の手の中には、ジェーンの小さな手がおさまっていた。
 一瞬どういう意味なのかわからなかったが、おそらく、赤い顔から察するに俺が思いついた考えは当たっているだろう。
 手をつないでいる。気づいて慌てて振り払うが、俺まで顔が赤くなっていそうだった。
「……悪かった」
 振り払ったのが乱暴だったと思ってそういうと、ジェーンはぶんぶんと首を大きく横に振る。
「い、いやじゃないよ!」
 微妙にかみ合っていないような気がするが、それについてどうこう言う気は俺にはなかった。
「あ、昭弘の手、おっきいね」
 ややあって、ジェーンがそんなことを言い出す。そうだろうか、と思って手のひらを見てみるが、自分ではどうも思わない。確かに、ジェーンの手よりは大きいだろうが。
「……男だからな」
「でも、男の子の中でもおっきいでしょ? わたしの手なんか全部かくれちゃう」
 ね? と、ジェーンは俺の目の前に手を広げた。小さくて白い手だった。ところどころに小さな傷がある。
 俺も自分の手を見た。指の付け根につぶれたタコがある。不格好で荒々しい手で、ついさっきジェーンの手を掴んだ。力を入れ過ぎていやしなかったか、痛くはなかったか、今更苦いものがこみあげてきた。
「手、触ってもいい?」
 聞いたくせに、ジェーンは相変わらず無遠慮に手をのばして来る。
 細い指先から逃れることも思いつかず、俺はされるがままだった。ジェーンは両手で俺の手を包み込むと、自分の額のあたりに持って行って目を閉じる。
「昭弘が怪我とか、えっと……怪我とかしませんように!」
 なんだそりゃ。一体何を何に願っているのかさっぱりわからないが、ジェーンは満足そうだった。俺の怪訝な顔を見ると、気の抜けた笑顔を向けてくる。
「おまじない! 昭弘、危ない仕事だから」
「効くのか?」
 まるでガキみたいなことを言うので、俺は思わず口元を緩めていた。
「効くよぉ! あ、っていうか! 笑った!」
 しまった。と思った時にはもう遅かった。ジェーンは意気揚々として俺の顔を覗き込んでくる。
「見るな」
「なんで!? もっかい! ねえもっかい笑ってよ!」
「断る。……言われて笑えるわけないだろう」
「ちぇ」
 もう少し食いついてくるかと思ったら今日は諦めがいいらしい。拍子抜けしていると、ジェーンはまた俺の手を握った。
「昭弘がもっと笑ってくれますように。もっともっと、ずっと、笑顔でいてくれますように!」
 また、“おまじない”だろうか。ジェーンは満足したように笑うと、俺の手をそっと放した。少し、名残惜しい。
「じゃあそろそろ帰るから、またね」
 またね、ということは、
「また来るのか」
「だってこれ、受け取ってもらってないもん」
 掲げてみせる包みをどうしても俺に渡したいらしい。強情というか頑固というか。しかしそもそもその中身はなんなのだ。
「……なんなんだ、それ?」
「受け取ってくれたら教えてあげる!」
「……」
 大方予想通りの答えが出てきて、またため息をついてしまった。それすら楽しそうにジェーンは笑う。
「えへへ、じゃあね、バイバイ、昭弘!」
 彼女が去った後、俺は手のひらを目の前で開いた。ほそっこい体で、小さな手で、そのくせなんでもひっかき回していく。
「……変な女」
 本当に、物好きな女だ。

- end -

20151106