100 Title



055...素晴らしきドラマー

 たん、たん、と小気味良い音が命を奪って行った。
 真っ白な雪原に花が咲くように鮮血が弾け、吹雪に覆われて枯れていく。

 見事なものだとオルガは嘆息した。仲間は半分以上、敵のスナイパーに殺されている。
 行くも地獄戻るも地獄の氷点下、絶体絶命とはまさにこのことだろう。
 どこから見ているのか知ったことではないが、敵は確実にオルガたちを追い詰めていた。
 数日前に顔を合わせたばかりで名前もろくすっぽ聞いちゃいない男たち――先に仲間と言いあらわした、今は肉塊に成り下がったそれを踏み越えて進む。
 支給された毛皮の防寒着などまるで何の役にも立たない。体温を奪われ感覚を失い遅かれ早かれ死んでしまうのなら、いっそ一思いに殺されたい。

 なあスナイパー、俺を殺してくれないか。
 雪原に立ちはだかり、彼は両腕を広げ乞う。
 軽やかな死神の足音は、正確に彼を打ちぬいた。


§



 こうこうと何か、聞いたことのない音が聞こえた。
 油の燃えるにおいと、目を射すような橙色の光。
 オルガはそろそろと目を開ける。そこはあたたかいベッドの中だった。
「ああ、気が付いたな、少年兵」
 はりのある声が降ってきた方へ目を向けると、そこにはオルガより年嵩の女が重々しい椅子に座っていた。手にはロックグラスのようなものを持ち、まとうのは敵軍の将校服。その胸元はラフにくつろげられ、防寒着であろうハイネックのセーターが覗いている。
「起き上がらなくていい。貴様は二日ほど眠っていたからな」
 男のような口調でしゃべる彼女は軍人だろうな、と、オルガははっきりしない頭で考える。記憶が飛んでいて、なぜ自分がこんなところにいるのかわからない。敵の元にいるということは、捕虜にでもなったのだろうか。うう、と、うめき声のようなものを上げながら寝返りを打とうとすると、左腕に痛みが走った。
「おい、起き上がるなと言っただろう。撃った私が言うのもなんだが、今無理をすると二度と動かせなくなるぞ」
「は……?」
 撃った? この女が?
 オルガが目を白黒させているというのに、彼女はグラスの中身を呷るばかりで何も説明などしなかった。
 仕方なしに、オルガは目に見えるものから状況を判断しようとする。
 高級そうな家具や、実利に事欠いた絵画のかかった壁。ここはおそらく、急ごしらえの前線基地などではない。もっと敵の、奥のほうまで運ばれてきたらしい。
 まずいな、と思った。その一方で、なぜ自分は生きているのだろうかとも思った。
 カタカタと窓ガラスが音を立てる。外は吹雪いているのだろう。故郷とはまったく異なる北国の気候は、オルガに現実を受け入れることを強要した。
 頭が冴えてくる。
 先ほどの話から察するに、この女はオルガの仲間たちを屠ったスナイパーらしい。弾の一発だけで的確に仕留めていた彼女が自分だけ外したのだろうか。
 違うだろう。わざとこの女は、オルガを生かしたのだ。
「情報、を、聞き出すつもりか」
 声が上手く出ない。
 女はグラスに水を注ぐと、オルガに手渡した。警戒しているのか、わからない。
「毒は入っていない。自白剤もな」
 笑う女の口がゆがむ。氷のような色の髪はさらさらと揺れて、光の粒をオルガの目に放っていた。
 オルガが右腕でグラスを取ると、ストーブの中で薪が爆ぜた。
「貴様から情報を聞きだすつもりはない。まあ、話したいのなら聞いてやらんでもないが、もうこの戦争は終わる」
 たった一ヶ月前に始まった戦争がもう終わる?
 オルガは信じられないという目で、女を見上げた。説明を求められた彼女はふっと笑い、黒い瓶から中身をグラスに移した。酒、だろう。
「三日前、そちらの政権でクーデターが起こった。貴様が私に撃たれた日だな。穏健派が現政権の主要人物の大半を暗殺。穏健派とはよく言ったものだ……」
 なにかに失望しているような声音だった。その真意をはかる間もなく、彼女はオルガにグラスを突き出す。
「貴様、私の部下にならないか?」
「……は?」
 何を酔狂なことを言うのか。オルガは眼前の女軍人の意図を図りかねている。
 オルガは無理矢理召集された少年兵で、特に何かの技量に優れているわけではない。この女相手にしたことといえば単なる自殺行為だけだ。まさか度胸を買われたわけではあるまいが……と、あれこれ考えていると、彼女は思いもよらぬことを口にした。
「理由なら特にない。ただ貴様が、死んだ弟に似ていただけだ」
 あまりに湿っぽい原因だと思った。同時に、人間臭いとも思った。
 たん、たん、と規則正しいリズムで追い詰めていく銃声の主は、その実何よりももろいものを持っているのかもしれない。
 先ほど氷の色と評した彼女の髪は、なるほど確かにオルガのそれと同じにも見える。似ているのはそれだけなのかもしれない。
 妙な感傷が、少しわかる気がした。顔も知らない自分の母も、彼女と同じ髪の色をしていたかもしれないから。
「仲間になったふりをして、あんたを殺すかもしれない」
「はあ? ふ、は、あはははは!」
 そう言うと彼女は笑う。笑い終わると、オルガをにらむ様にして、微笑んだ。
「それは本望だな。なあ弟、もしそうなったら、今度こそ姉より長生きしてくれよ」
 とんだ女傑に捕まったものだ。舌を巻きながらオルガは言い返す。
「だったら俺が死にそうなとき、あんたが俺に止めを刺してくれ。あの銃声に奪われるならこの命、差し出そう」
 グラス同士がぶつかり、液体が波を打つ。

 その日からオルガの鼓動には、たん、たん、という銃声が混じるようになった。
 どちらが早く途絶えるか。それは誰にもわからない。

- end -

20151208