100 Title



060...腕枕をして

夢うつつのままにアイツが話していたことを思い出す。
遠い昔から遥か未来へつなぐ話。
ぼんやりと午後の光がカーテン越しに差し込む寝台の上で、ブランケットもかぶらぬままに眠りこけていたジェーンがぽつりぽつりと語り始めた、夢の話。


***


砂漠を歩いていたわ。
雲ひとつない空の下で私はどこかを目指して歩いているの。
太陽の光が剥き出しの腕をじりじりと焦がしていく。いいえ、暑くはないわ。何も感じないの。
右足を踏み出して、踵が接地する。次に、つま先。体重は踵からつま先へ移動していく。つま先は砂の中に半分埋もれて、上半身が前のほうへ傾くと、左足が接地する。そして――……繰り返すだけ。
歩きにくいとも辛いとも思わないのよ。ただ、どこかへ歩いていたわ。
向かう先に何があるのか、誰がいるのか私は知らない。知る由もない。
ここがどこなのか、どうして私は何も感じずに歩いているのか私は知らない。
赤茶色の砂が広がった景色も知らない。どこまでも連綿と続く同じ色に、だからと言って気が狂うこともない。

夜になる。
月が出ていたわ。いつになっても真上に輝いたままなのよ。おかしいでしょう。
いつ夜になったのかも思い出せないの。よく考えたら夜のままだったのかもしれないわ。
砂の色は白くて、こっちのほうが、ああ、私、好きだなって思った。
光の色のせいで、そう見えるのかしらね。
白い光に照らされれば白く、赤い光に照らされれば赤く見えるだけで、砂の色なんて本当は最初からなかったのかもしれないわ。

遠い昔に香辛料を運んだ商人たちは、どんな思いだったのかしら。
そんな考えにとらわれると、私はペルシアの絨毯や東洋風の銀細工を運ぶ、痩せぎすの男になる。そんな男だったことを思い出す。
そうして笑うの。
ああ、私はこれから大事な人が待つところに帰るのよ。どうして忘れていたのかしら、って。


***


赤茶けた砂の色とは、どんな色なのだろうか。
こんな、地面に流れた血のような、どす黒い色じゃないだろう。
ジェーン、ジェーン。
俺もきっと砂漠を渡る。
だけど彷徨うだけになりそうだ。
でもそれはきっと喜ばしいことであり、約束されていたことに違いないのだろう。


***


そうしてだんだんと悲しくなってくるのね。
どうしてかしら、もう戻れないかもしれないとか、そういうことじゃないの。
ただ……なんて言ったらいいのかしら。
不毛な砂漠を彷徨い歩くのが虚しい、っていうのかしら。虚しくなんてないでしょうけど、虚しいわ。生きている時間のほとんどをこうして孤独なままに過ごすのよ。ああ違う、そうじゃないわ……。
ばかげているなんて知っているくせに、今この瞬間に捉われている砂漠に魅入られていることが嬉しいのよ――


***


俺はお前を置いていくことになるんだろう。
馬鹿馬鹿しいし悔しいがお前の予言どおりだ。
俺はお前を置いて砂漠へ向かう、その予知のとおりに事が進めば、お前は砂漠を彷徨い続ける。
お前は嬉しがるのかもしれない。
俺の不在はお前を砂漠につなぎとめる。もう二度とどこへも行けない。
死んでしまった俺がきっとお前を、お前自身の意思でいつまでも縛り続ける。他でもないお前はそれを望んでいる。


***


砂漠から抜け出したらあなたの顔があったわ。アバッキオ、そこにいるのね。
どうしてこんなこと思いついたのか自分でもよくわからないけど、貴方はきっと私を助けてはくれないわ。
それどころかとんでもない一生ものの致命傷を私に贈って、自分はさっさとどこかへ行ってしまうのよ。
いいわ、それで。
私をめろめろのぐずぐずにしちゃうくらいの傷を私にちょうだいね。約束よ。
約束された未来にこんなこと言って、おかしいわね。
でも、約束よ。


***


そうして――俺も砂漠を往く。
荷物も杖もない。
右足を踏み出して、踵が接地する。次に、つま先。体重は踵からつま先へ移動していく。つま先は砂の中に半分埋もれて、上半身が前のほうへ傾くと、左足が接地する。そして――……繰り返すだけ。
アラビアの刀のような月が出ている。銀色の鋭い切っ先が、今頃ジェーンを容赦なく切り刻んでいるに違いない。

俺は振り返る。
端の見えない砂の広がりが俺を、安堵させる。
かすかに薄い水色と、銀色にところどころを輝かせている砂には、影一つ落ちていない。
俺はまた歩き出す。
どこに向かうのかも知らない。ここがどこなのかもわからない。
ここがどこであってもいい。終わりなんてないほうがいいんだ。
いつまでだって、彷徨い続けるさ。今までだってそうだった。きっと同じ砂漠のどこかを、お前もまた彷徨っている。
彷徨うことが、約束された未来だったのだから。

- end -

20121009

またわけのわからないものを……