100 Title



076...手間取る5本指(ソックス)

(主人公/固定名なし の視点です)

 最初に言い出したのは誰だったか。

『最近、リーダーの様子がおかしいんじゃないか』

 言葉はみるみる広がって、ファミレスのテーブル上が好奇心で満ち始める。めいめいに運ばれてきた料理をつつきながら、俺たちは今日の話題という名の生贄もつつくのだった。
「おかしいよな、俺も思ってた」
 ピッツァ・マルゲリータのチーズを無為にのばす手を止めて、ランチが同意する。
「悩み事でもあるのかな。でもリーダーって何考えてるかわかんないとこあるよね」
 オムライスのケチャップをスプーンの腹で伸ばしながら、ユーイチ。
「複雑なんだよ。わかりやすいお前と違ってな」
「どういう意味だよ!」
 シックスはめずらしく生姜焼き定食なんて注文していたけれど、あまり箸が進んでいない。
「やめなさいよ二人とも。みっともない」
 ヒトミ……ネミッサはと言えば、チーズハンバーグとミックスフライのプレートなんてヘビーなものを片付けている。なんというか、悪魔を養うのもカロリーが必要なのだろうかと思わせる食べっぷりだった。あの細い体のどこにあれだけの量が収まるのか考えていると宇宙の神秘すら感じられる。
「ほんとのところなんて本人に聞くしかないだろうけどね」
 油で汚れた唇を拭きつつ、ネミッサはさらりと身も蓋もないことを言う。
「おい……本気で聞くつもり?」
 俺はと言えばカツカレーのカツが脂身たっぷりで、やっぱり季節の限定メニュー、「オニオングラタンスープ」のほうがこれよりは随分さっぱりしていただろうな、そっちにしておけばよかった、と、後悔しているところだった。
「なによ、いけないの?」
「いけるいけないじゃなくて、聞いたところですぐ教えてもらえるわけないじゃん」
「でも変なままほっとくわけにはいかないじゃない」
「そうだよなあ」
「ああ」
 ……結局、単なる疑問に過ぎなかった『最近、リーダーの様子がおかしいんじゃないか』は、『リーダーはどこかおかしい』に変わり、いつのまにやら『リーダーをどうにかしてまともにしてやらねば』という、傍から聞けば酷い名誉棄損にすり替わっていた。
「でもよお、原因がわからねえんじゃ、どうしようもないぜ?」
 ランチの言うことももっともだった。膨れそこなった腹を気にしつつ、晩秋の街を俺たちは連なって歩いた。
「ほんと、どうしようもない味だったな……」
「言えてる」
 シックスとユーイチに、俺は黙ってうなずいた。
 俺はカツの脂身を除けてしまったし、シックスは生姜焼きを半分くらい残した。ユーイチはオムライスの中のミックスベジタブルのにんじんだけを器用に残して(だったら初めからオムライスなんてよしておけばいいのに)、ちゃんと完食したのはネミッサとランチだけだった。
「ちょっと、そういう話じゃないでしょ」
 それを見咎めたお行儀のいいヒトミが表に出てきてるのか、彼女は少し不機嫌そうだった。
「わかってるよ」
「でもランチも言ったけどさ、探るにしたってやりようがないよねぇ」
 どのみち食後のぼんやりとした頭では、ろくな方法なんて出てくるわけもない。ああでもないこうでもないとぐちぐちこぼしながらたどり着いたアジトには、渦中のリーダーの姿はなかった。ファミレスへと出かける前にメシでも食おうぜと声をかけたときには、背中を丸めて何やらこまごまとした作業をしていたのだけど。
「出かけてるのかな?」
 ユーイチがリーダーの定位置の椅子に無遠慮に腰掛けると、決して安くはない大きな椅子は勢いでくるりと一回転した。
「珍しいな」
「連絡もなしに……いよいよ怪しくなってきたな」
 シックスはともかく、ランチの口ぶりはまるで宿題もせずに遊びに行った子供を咎める母親のようだ。
「いいじゃない。仕事が片付いたから食事にでも行ったんでしょ」
「それにしたって連絡くらいはして……もしかして、何か事件に巻き込まれたとか」
 まさか、と緊張した顔を見合わせる俺たちの中で、ユーイチだけは何かに気づいたらしく、それでいながらのほほんとした声を上げた。
「……あれ、なにこれ?」
 視線の先にあったのは、黒い小さな何かだ。拾い上げたものを見てみれば、黒地に銀のインクでアルファベットが刷られている。
「マッチ箱……かな」
 だったらこれはリーダーが持ち込んだものだろう。リーダーのほかに、喫煙者はスプーキーズにはいない。
「なんて読むんだ?」
 流麗な文字の流れはただならぬ雰囲気をかもし出している。上流社会のニオイというか、俺たちにはなじみのないものだ。だから誰も、これをなんと読むのか知らなかったし、何を意味するのかもわからない。
 “Wilhelmina” うぃる……なんだろう。

§


 ――ヴィルヘルミーナと読むのよ。
 聞きもしないのにわざわざ教えてくれたアルラウネの言葉を反芻しながら、決して安くはないコーヒーをすする。うまい。さすがファミレスのドリンクバーとはわけが違う。
 端末で調べたところ、 Wilhelmina――ヴィルヘルミーナは喫茶店だった。外観からして入りづらい佇まいだし、中に入ってみれば予想を裏切らない一種荘厳な雰囲気が満ちている。
「へぇ、あのリーダーにしちゃ、いい趣味じゃない」
 ネミッサは店を見回しながら、気に入ったらしい一言を上機嫌でこぼす。野郎共はというと、そわそわとあちらこちらを気にしながら、精一杯抑えた声でぶつぶつ不満を漏らしていた。
「なんっか、落ちつかねえなあ」
「ねえなんでコーヒー一杯がこんなにもするの? おかしくない?」
「お前ら静かにしろ。気づかれるだろうが」
 ランチもいつもより神経質そうにシックスとユーイチを咎める。照明も暗い、店の一番奥のテーブルに陣取っているのは、ここがカウンターから観葉植物を挟んでちょうど死角になっているからだ。
 そしてそのカウンターには、リーダーがいる。ちょうどトイレか何かでリーダーが席を立つのを待って(こういうときにも仲魔を使えるからサマナーになったのも悪くないかもしれない)、その隙にそそくさと入店したのだから、たぶんリーダーは俺たちに気づいていないと思う。
 そのリーダーはいつもは丸めている背中をしゃんと伸ばして――それでも世間一般で言うところの猫背ではあるけれど――何かを待っているようだった。
「なに待ってるんだろう」
「怪しいわね」
「なんかさ、ヤバイ取引とかしてるんじゃないの?」
「まぁな、GUMPを買ってくるくらいだから、その手の何かを掴まされないこともないよなあ」
「そうなったら実害があるのってお前だよなあ?」
 シックスに肘でつつかれて、すでにリーダーが関わっているのが「害」だと決め付けられているのかと苦笑した。確かにその手のものならば、俺が一番深く関わることになるかもしれない。だとしたら、俺に一言くらい言ってもいいじゃないかと、少しリーダーに不信感を覚えもした。こっちはこんなに心配しているというのに。
 そう、心配なのだ。決して興味本位とか野次馬根性なんかじゃない。
 コーヒーと煙草のにおい、ウッドベースが低く響く。真夜中まではまだ遠い時間、妙にゆったりとした雰囲気と、非日常的な価格のコーヒーを楽しむともなく楽しみながら、俺たちはそれを待っていた。
「ん?」
 最初に気づいたのはネミッサだった。視線はカウンターに釘付けになっている。
 ついに来たかと色めきたった俺たちが目にしたのは、何のことはない、喫茶店の店員だった。いや……なんのことはなくはない。なぜならカウンターに現れた彼女は、リーダーを認めるなり華やかに微笑んだのだから。
「あら、桜井さん」
「やあ! あ、どうも……」
 どうやらリーダーの懸案事項は、彼女に関わるものらしい。上ずった「やあ」 は静かな店内に響き、数人の視線を瞬間集めていた。
「あれか」
「あれね」
「あれだな」
「間違いないね」
 あれ、と呼ばれた女性を観察してみる。美人、だろうな。うん。
 整った顔立ちの、切れ長の目と唇が色っぽい。ポニーテールにした髪は長くて、綺麗な黒だ。高校の古文で習った「ぬばたまの」 なんて枕詞だかなんだかがしっくりくるような色をしている。それから、エプロンに隠れてはいるものの、体にぴったりとした服を着ているものだから、彼女がとてもすばらしいスタイルを誇っていることもよくわかった。
「なに? 恋わずらいとかそんなんなわけ?」
 シックスがつまらなさそうに言うと、ネミッサは噴出した。それを、静かにしろよとランチが小突く。ほぼ同時に、カウンターでは二人の会話が始まった。
「あの、この前預かっていたものですけど、」
 リーダーが何かをカウンターの上に置くと、彼女の顔が喜びで彩られる。
「まぁ、これ」
 彼女が拾い上げたそれはたぶん、携帯音楽プレイヤーだろう。カシスのような深い赤は、彼女によく似合うと思った。
「一応、直してみました。中のデータは壊れていないと思いますけど、一応、確認を……」
「ううん、大丈夫です。綺麗になって、ほんとうに……ああ、もうだめだって思ってたから……ありがとうございます、桜井さんにお願いしてほんとうによかった」
「いやあ……」
 ああこりゃだめだ。俺たちの顔にうっすらとした失望が浮かび始めた。リーダーの顔はここからは見えないが、きっとだらしない顔をしているに違いない。鼻の下なんて伸びまくっているに違いない。おおリーダーよ、腑抜けてしまうとは情けない。頭をぼりぼりかきながら、恐縮したように体をゆする様は何よりも雄弁だった。
「あのぅ、それで、こんなこと言うのもなんですけど、もうひとつ壊れてしまったのがあって……」
「いいですよ、直しますよ」
「本当ですか? でも……なんだか悪いわ」
「いえ、そんなことは……花子さんの頼みは断れません」
「まあ、嬉しい!」
 俺たちは顔を見合わせてため息をついた。全員の眉間には深いしわが刻まれていて、おそらく思っていることも同じに違いない。まぁ、悪い女にだまされるような人ではないと思うから大丈夫だと信じたい。大丈夫、大丈夫だろう、たぶん……。
「でもいつもお願いしてしまって、すみません。何かお礼をしなきゃいけませんね」
「お礼……ですか」
「ええ。そんなにお金は払えませんけど」
「いえ、お金なんてとんでもない。僕がその、……勝手にやってることですから」
 聞き耳を立てていたランチがぷっと噴き出す。
「今さ、絶対、“好きでやってることだから”って言いたかったのを言い直したよな」
 あ、そうかも。ガキかよ。と、全員が身をひそめて笑う間も、カウンターでの会話は続く。
「でも、わたしの気が済まないわ。何かできること、ありません?」
「ええと……」
 そこはリーダー、デートに誘う口実にでもしてしまえばいいじゃないか。
 たぶん全員がそう考えているに違いない。だというのに、リーダーはといえば相変わらずもじもじとしたままで、欲はあるだろうくせに何も言い出せていなかった。意気地がない、まるで中学生のようだ。
 花子さんはカウンターに肘をついて、相変わらず色気と愛想を惜しげもなく振りまいていた。美人は美人なんだけれど、なんとなく近寄るのをためらってしまうタイプのそれかな、と、俺は思う。あんな美人に惚れちゃったリーダーのことを、俺はほんの少しだけ同情した。とはいえ彼女も、本気かどうかはさておき憎からず思ってはいるようではある。いい大人なんだから外野があれこれ世話を焼くこともないだろう。
 すでに俺たちのカップの中身は冷え切っていて、誰ともなくそれを一気に呷った。もうほっとこうぜ、と言いたげな目玉が十、互いを見回している。
「なんでもおっしゃって? わたし桜井さんには感謝しているんだから」
「そうですか……?」
 帰り支度を始めた俺たちは、しかし性懲りもなく耳を澄ませたままだった。
「ええ、だって桜井さんのおかげで、今日ははじめてのお客様が五人」
「は?」
「ふふ、なんでもないの」
 ぎくりと身をすくませると、カウンターの中の彼女と一瞬だけ目があってしまった。きっと随分前からこちらには気づいていたのだろう。
「どうやって出て行くんだよ」 と、俺たちは顔を突き合わせる。リーダーはまだ気づいていないかもしれないが、彼女がどんな行動を起こすものかこれではわからない。
「ねぇ、さっき出した悪魔に魔法で眠らせてもらえばいいじゃん」
「ばっ……何むちゃくちゃなこと言ってんだ」
 ネミッサの言うとおりにしたほうがそりゃあ手っ取り早いんだろうけど、そんなことをしたら後が大騒ぎだ。リーダーは俺たちが来たことに気づくかもしれないし。
 俺は握り締めていた手のひらを開く。随分前からその中にあったマッチ箱は、少しだけひしゃげていた。
 Wilhelmina。ひょっとしたら、魔女の名前かもしれないな。


- end -

20140705

たとえ五本指靴下を履いていてもリーダーを愛でます(二周目まだ)