100 Title



078...踏み外す

「隊長〜、花子のこと泣かしたでしょ」

篠原遊馬の飄々とした声に振り返ると、別に義憤に駆られているわけでもない、いつもどおりの彼の顔があった。
泣かせただろうと言われて、今の今まで頭の中の大半を占めていた光景がもう一度フラッシュバックするけれど、年齢不相応な我侭を言っていいのなら「それは山田花子が勝手に泣いているだけで自分の知ったことではない」 と突っぱねたいところだった。
「やっぱり泣いてた?」
後藤喜一は咥え煙草のままもそもそと返答をした。歯切れが悪いのは唇に挟まったまま火も点けていない煙草のせいではない。
「さぁ。俺はちらっとしか見てませんけどね。野明が慰めてます」
「泉に怒られるのかなぁ」
「ないんじゃないですか」
遊馬の視線は口元の煙草に注がれている。火を点けない理由を邪推されていそうだが、半分くらいは当たっているのでごまかすこともしなかった。のろのろとライターの火を近づけ吸い込んでも、湿ったフィルターが阻むだけ。
後藤は煙草をつまんで捨てる。
「山田は賢いよねぇ」
これは本心からそう思っているし、二課の共通認識だと確信している。遊馬は、少し違うようだが。
「気が利く、とかじゃなくて?」
「賢いよ」
言わんとすることもわからないでもない。が、気が利くというよりよく気がつくと言ったほうがより適切かもしれない。周りの考えはよく汲むし、自分の考えと拮抗したらあっさりと己が矛を収めてしまう。それでいいのかと時折いらだつこともある。それは後藤もまたある程度には気がつくほうだという自覚があるから、だ。今回はよりによって、うら若い部下が自分に性愛としての好意を抱いている、ということに気づいてしまっている。しかも二課の面々のほとんどが彼女の想いを知っている。嬉しくないことはないが、困っている。
「……野明にも何も言わないだろうって思ってます?」
「かもね、いや、そうだろうね」
反面自分の感情には整理がついていないのだが、どうやら花子は花子で、後藤がしのぶに好意を抱いているものだと勘付いているらしい。当の本人としてはその自分の好意の正体に確たる自信もないので否定も肯定もしないのだが。
先ほど何の用事だったのか後藤の下を花子が訪れたとき、タイミングがいいのか悪いのか、後藤がしのぶを抱き支えている場面に出くわしてしまったのだ。しのぶが棚の上の書類を取ろうと手を伸ばしたところ、目的のファイルが予想外に重かったのか彼女は後ろに体を傾げて頼りない声を上げ、咄嗟に後藤がその体を支えた。それだけだ。
それを純真な花子は誤解し、というより、彼女にとっては失恋の確信だったのだろうが、とにかく衝撃の場面に遭遇したことだけは確実だ。
後藤は薄く笑いながらそれを遊馬に語った。遊馬はほんの少し、不快そうな声で相槌を打っている。
「“お邪魔しました”ってね、困ったように笑いながら出てったよ」
賢い花子にとって一番避けなければならないのは何か。未だ状況を知らないしのぶに、自分の気持ちを知られることである。しのぶを尊敬する上司として慕う花子に、しのぶもまた妹をかわいがるように接している。
「けど一瞬目があったときにねぇ、ものすごく悲しそうな顔したんだよ」
もししのぶが花子の想いに気がつけば、彼女は身を引くのではないか。そしてそれは、花子にとっては望ましくない結末に違いない。何故ならあの子は愛した男の幸福を、自分の尺度でもって想像して、それを一番に願うような健気で、思い込みの強い子だから。
「思い浮かべちゃったよねぇ。泣き顔。絶対綺麗だよ」
花子のそれは自己犠牲なのか、それとも哀れな己に酔うているのか。本心は理解もできそうにないが、苛立ちと共に加虐心が沸き起こった。
遊馬は眉を動かすだけで、視線は壁に縫いとめたままだった。
「しかも俺のせいで泣いてるんだよね。そう思うと、」
もとより独り言のつもりだったので、後藤はお構いなしに自分の欲を吐き出す。そうすることでこの醜い心持は具現化しないと信じていた。

「ものすごく、ゾクッとしたよ」

ああ、それでもやっぱり涙を見てみたい。願うことはやめられなかった。どうしてしまったのだろう、今日の自分は。
彼は遊馬に助けを求める。

「俺、ひどい男かな」

遊馬は何も言わず、ゆっくりと瞬きをするだけだった。

- end -

20130404

パトレイバーは劇場版2とアーリーデイズしか見てないですすいません。のくせに実写化記念みたいなもの(めでたくない内容)