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083...スイミング

 見慣れたマンションの一室。インターホンを鳴らして待つこと三十秒、ようやくドアの鍵が回されたところでわたしはさっと髪を整える。この家に住んでいる恋人と会うのは、約一ヶ月ぶりなのだ。
「アラン、まだ寝てたの? 何時だとおもっ――」
 久しぶりに会う彼を見て、絶句するしかなかったわたしの心境もわかってほしい。
「やぁ……? ああ、ジェーンか……」
 惚れた欲目も込みではあるが、普段のアランはそりゃもう、パリッと決めてかっこいいのだ。
 かっこいいのに……。
「……」
 髪はぼさぼさ、肌はがさがさ。限界ギリギリのところでなんとか立ってますって顔のアランに普段の面影はこれっぽっちも感じられない。
 おまけに、
「どうしたの、突っ立ってないで入りなよ。寒いし」
 そりゃあんたは寒いでしょうよ。上はタンクトップ、下はパンツの下着姿なら。

§


「いやぁ、ここのところバタバタしちゃって」
 クマまで作ってへらっと笑うアランは確かに疲れているに違いない。そうでなければ彼の家がこんなひどい有様になっているわけがない。……普段からこんなことになっていないと信じたい。
 キッチンのシンクはインスタント食品のゴミで溢れて、バスルームの脱衣カゴも汚れた服が山盛り。おまけに床は埃で滑るような気がするし、空気も入れ替えなきゃ気持ちが悪い。
「ありえないわ……」
「ご、ごめん……」
 綺麗好きなはずのアランもさすがにばつが悪そうな顔をしている。
「こんな部屋じゃ休めるものも休めないでしょ……」
「う〜ん……」
 どうやら今の彼にはろくな思考力もないらしく、わたしとしても、気だるそうなアランにはため息しか出てこない。ベッドに腰掛けたまま寝入ってしまいそうな彼には、家事をしろというのも酷だろう。
 仕方がない。腕をまくったわたしを、アランはぼんやりと見つめていた。
「ちょっと掃除させてもらうわよ」

§


 すべてが終わるまで、ゆうに三時間はかかったと思う。その甲斐あってか部屋は普段どおりの姿を取り戻し、心なしかアランも気持ちよさそうな顔をしていると思う。寝てるけど。
 別に手伝えとか言うつもりはなかった。彼に家事能力が欠けているとは言わないけれど、あのだるそうな動きでうろうろされるよりは休んでもらったほうがマシだ。
「アラン、終わったよ。……アラン?」
 ベッドの上でブランケットに包まって、アランはすうすうと子供のような寝息を立てている。ちょっとかわいい。いつもオールバックだから、ぼさぼさに乱れた髪が目元を隠しているのは幼く見える。
 ……じゃなくて!
「だからっていつまで寝てるのよ!」
 さっきまでキッチンを綺麗に磨き、洗濯を終えて、部屋も一通り掃除したかわいい恋人がゆすっても怒鳴っても起きないってどういうことよ!
「アランってば!」
「ん〜……」
 相変わらずアランは夢の中で、わたしの怒鳴り声がうるさいと言わんばかりに寝返りまでうちやがった。
 そりゃ、そりゃ仕事で疲れているんだもの、わかるわよ……それくらい……。
 でもそれはないんじゃないの!?
「……ばかーーっ!!」
「!?」
 さすがのアランも枕で顔面を殴られれば目を覚ますらしい。ひどいことをしている自覚がないわけではないが、わたしだってひどいことされてると思う。
「な、なに、どうしたんだいジェーン」
「どうしたじゃないわよ!!」
 そのままブランケットを剥ぎ取り、アランの腰のあたりに馬乗りになって連続打撃をお見舞いする。もちろんやわらかい枕を振り回しているだけだが、不意打ち状態のアランには十分すぎる攻撃のようだった。
「痛い! 痛いって!」
 とは言うものの寝ぼけたアランはろくな抵抗をするでもなくされるがままになっている。
「せっかく来たのに! いつまで寝てるの! ばか! バカ!! アランのアホ!!」
 言っているうちにめそめそした気分になってしまう。それは何も相手をしてもらえなかったからだけじゃなく、自分のわがままさが情けなくなったからだ。
「ばか……」
 ぽすん、とわたしはアランの胸に倒れこむ。
 ……。
 ……くさっ。この下着もリネンも洗うべきだったわ。ていうかアラン、お風呂入ってるのかしら……。
「ジェーン、ごめん……すっかり寝てたみたいで……」
「……」
「あの、ありがとう。部屋、すっかり綺麗だ」
「……」
「ええと……怒ってる?」
「……怒ってる」
 アランはわたしの背中に腕を回し、ぽんぽんとあやすようにしている。
「わたし……アランのお母さんでも子供でもない。お掃除しておしまいなんてやだからね?」
「なに当たり前のこと言ってるんだい。君は僕のかわいい恋人じゃないか」
 笑いながらアランはわたしをぎゅうと抱きしめるけれど、なんだか懲りていないようなのでわたしは少し、いじわるがしたくなる。
「あんまりほっとくと、タツヤくんのこと誘っちゃうから」
 ユウキ・タツヤという少年のことはわたしもよく知っている。アランと三人で何度か食事もしたことがあるし、弟か息子を自慢するようなアランの口ぶりに呆れること数知れず。その大事な大事なタツヤくんのことたぶらかしちゃうもんね。
「それはダメだ」
 案の定、アランは声を強張らせてわたしを両腕で縛めた。やれやれ、そんなに大事な子なのかしらと思わず苦笑してしまう。
「アランの大事な子だもんね」
「そう、ジェーンは僕の大事な人だ。誰にも渡さないよ」
「へ?」
 そっち? と、自分で思ってしまうのが我ながら悲しくもあるが、見上げた先のアランの顔は真剣そのものだった。あれ、嬉しい。
「浮気、するのかい……?」
 あ、そのしゅんとした顔、弱いのよ。子犬みたいでかわいいから。
「す、するわけないじゃない! それにタツヤくんのほうだってわたしなんてお断りでしょう?」
「そんなわけないよ。あの子だって健全な十八歳の男子だからね、こんな美人に誘われたらコロッといっちゃうかも」
 こんな美人と言いながらアランはわたしのお尻を撫でている。ほんとに自覚あんのかこいつ。
「そうねぇ……タツヤくんはこんなふうにやらしいことしないだろうし」
「いいや、タツヤだってこんな魅力的なお尻は放っておかないよ。たぶん」
「……どーも」
 わたしの返事がそっけないのは、アランの両手が性懲りも無く体を這い回っているためと、
「……あ、ばれた?」
「……」
 跨ったアランの体の一部に、独特の違和感を覚えたからだ。
「いや、これはしょうがない。僕だって健全な男の子だ」
「誰が“男の子”よ。開き直ってんじゃないわよ」
「だって、久しぶりに会って押し倒されちゃったらこうもなるさ。かれこれ……えーと、二ヶ月くらいご無沙汰だし」
 ぬけぬけとそう言うと、アランは自分の腰を擦り付けてくる。
「やだちょっと! なんのつもりよ!?」
「ええ? ナニって、言わせる気?」
 そんなことをしている間にも、アランの両手はするするとわたしのシャツの中に滑り込み、背中をひっかくようにやわらかな刺激を与えてくる。
「そうじゃなくて、アラン! あなたお風呂にも入ってないんじゃないの!?」
「……そうだっけ?」
「聞くな! なんか……におうわよ?」
「え、嘘だろう? そうかな……」
「わたしやぁよ、お風呂も入ってない人とするの」
「あ、じゃあお風呂入ったらしてくれるの?」
「ばっ、かじゃない!」
 なにやら機嫌のよさそうなアランの腕をすり抜け、わたしは乱れた服を整える。アランはアランで否定されなかったことが嬉しいのか、へらへらとしたままに体を起こした。
「ジェーン、お風呂」
「はいはい、いってらっしゃい」
「そうじゃなくて、一緒に入ろうよ」
「はぁ!? な、なんで」
「なんでって、一緒に入りたいから」
「一人で入りなさいよ!」
「……ジェーン」
 だから! しゅんとするな! しゅんと!

§


 で、結局こうなる。
「はぁ〜。極楽極楽」
「理解に苦しむわ……こんな狭いバスタブに……」
 二人もいれば大した量のお湯も入っていないに違いない。アランに後ろから抱えられて、わたしは昼下がりだと言うのに入浴している。アランは上機嫌なようだけどこれではリラックスできないんじゃないか。
 みじろぎもできずにじっとしているわたしのおなかのあたりを、まさぐる手が二つ。おとなしくする気はないらしい。
「アーラーンー?」
「ジェーンはやわらかいなぁ」
「ちょっと……」
「それに、おいしそう」
「アランってば、……!?」
「無理。もう我慢できない」
 首をひねって背後を振り返ると、なるほど言うとおりに切羽詰ったような顔がある。無駄に真剣すぎて不覚にもときめいてしまうこんな表情が、こんなときなのが我ながら嘆かわしい。
「ばっ……」
「えー? だってお風呂入ったから、いいだろ?」
「入ってる最中じゃないの! あっ、もう! アランっ……」
 そのままわたしは唇を奪われ、されるがままに弄ばれてしまうのだろう。でも、それでいいやと思ってしまうのはわたしだって随分長い間待ち焦がれていたからに違いない。
 のぼせそうな温度の中、バスルームにくぐもった声が響きわたる。ああ、恥ずかしいなと思うことすら段々と遠ざかっていって、何も考えられない。
 アランのこと以外、何も――

- end -

20140309

ユウキ先輩にごめんなさい!