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084...食べ歩き

 平日と比べてどうなのか高校生のわたしには知る由もないけれど、日曜日の青葉公園はけっこう人が多いと思う。小さな子供を連れた家族とか、ダイエットがどうのこうのと繰り返しながら走っている大学生風のお姉さんたちとか、彼女たちを楽に追い越していくジョギング中のおじさんとか。
 最近新しくなったベンチに腰掛けて、やわらかい日差しを浴びながらぼんやりしている目の前を、色んな人たちが横切っていく。
 カップルの姿も、ちらほらと目に入る。ぎゅっと手をつないでゆっくりと散歩していたり、芝生にシートを広げていたり。みんなとっても幸せそう。どうしてもそんな光景に意識を向けてしまうのは、隣にいる人のせいかもしれない。
「いい天気だね」
「ほ、本当ですね! 晴れてよかったなあ……」
 声が上ずっていないか、すごく気になる。スカートの上で組んだ両手は、肌寒い季節というのに汗がにじんでいる。それもこれも、もしかしたらベンチに隣りあって座っているわたしと克哉さんも、カップルに見えなくはないのかもしれないって、期待してるせい。たとえ二人の間に、三十センチほどの隙間があっても。
「これ、この前お裾分けしてもらった柿で作ってみたんだ」
 話半分に聞きながら、考えていることは『ああ今日も克哉さんはかっこいいなあ』ってことだけ。去年社会人になったいとこのお姉ちゃんが、「スーツって魔法よね。私服がものすごくダサい男でも、やっぱ数割増でかっこよく見えるのよねぇ。だまされちゃうわ」と、いかに男性のスーツ補正が働いているのかを滔々と語ってくれたけど、克哉さんは私服のセンスもすごくいいと思う。触ってみたらすべすべしてそうなグレーのセーターには毛玉ひとつないし、黒のチノパンはフォーマルすぎない程度のセンタープレスが付けられている。私服でも几帳面さが垣間見えるなあと思うけれど、清潔感に溢れるコーディネートに変な顔をする人はいないに違いない。
「少しだけラム酒が入ってるけど……まあ、焼いてるから大丈夫かな」
 スーツ姿だときっちり詰められているシャツの襟元が、今日はわずかに開いている。鎖骨が見え隠れするたびに、わたしがどきどきしていることをこの人はきっと知らないんだろう。
「調子に乗ってたくさん作ってしまってね、僕ら二人じゃ食べきれないだろうから、お家の人にも……」
 きっとこの人は、わたしにどきどきすることもないに違いない。

§

「お家の人にも、どうかな。いただいた手前、お礼もしたいし……」
 いつものように「はい!」と折り目正しい返事が来るかと敢えて語尾をぼかしたのだけど、山田さんは僕の胸元のあたりをじっと見つめたまま、どこか上の空のような顔をしていた。というか実際、上の空なのかもしれない。返事が一向になされないのだから。
「山田さん?」
「あ、ごめんなさい! えっと、家族にもいただいちゃっていいんですか?」
 と、思ったら話はきちんと聞いていたらしい。ぼんやりして見えたのは僕の気のせいだろうか。
 しっかり者だとは思っているけれど、彼女も高校生だし、何かと悩みもあるのかもしれない。僕でよければ相談に、なんて口にしてしまうところだけど、男の僕には言いづらいこともあるだろう。親しいからといってあまり立ち入りすぎるのも考え物だ。気がつかなかったふりをして、僕はタルトの入ったケーキボックスを開くために手を動かした。
「勿論。おすそ分けしてもらったんだから」
「あれは親戚からたくさん送られてきて、どうしようかって思ってたので、もらっていただいてこっちが感謝してるんですよ?」
 山田さんから「親戚の家から送られてきた大量の柿をもらってくれませんか」と言われたのが三日ほど前だっただろうか。結局十五個ほどの柿を引き受けたのだけど、いくら旬で美味とはいえこちらもこれだけの数を生食ではさばけなかった。傷んでしまうのを待つには、もったいないくらいに立派な柿だというのに。
 どうしたものかと思案した結果が、僕の膝の上に並んでいるこれだ。
「でもおかげでこうやって柿のタルトを作れたよ。いつか作ろうと思っていたんだ、ありがとう」
 山田さんは桃色の頬を緩めて、会釈するようにうなずいた。視線はそのままボックスの中へ向けられる。
「わあ……!」
 初めて作ったけれど、自分ではけっこう綺麗に焼けていると思う。
 いわゆるプチサイズのタルト台を焼き、刻んだ柿の実入りのアーモンドクリームを詰め、その上に飾り用の柿を並べてもう一度焼く。焼きあがったら冷めないうちに、こちらもまた柿で作ったジャムを塗ってつやを出し、ミントを飾って完成だ。仕上げに粉砂糖をふってもいいかもしれない。
「すごくおいしそうだし、すごくおしゃれです! 柿って和菓子のイメージがあったけど、こんな風にもできるんですね……」
 すごいすごいと山田さんが目をきらきらさせて褒めてくれるたび、どうにも照れくさいような、くすぐったいような気分になる。自分の菓子作りの腕については自負するところもあるし、他人から褒められることも少なくはない。だけどこんな風に落ち着かない気分になるのは、彼女に褒められたときだけだ。
「簡単だから作ってみるといいよ。レシピは書いてきたから」
 ごまかすようにそう言うと、山田さんは心の底から嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます! うちもまだ柿があまってて、みんな食べ飽きちゃってるから……。それに、傷みはじめてるのもあるんですよ……」
 山田さんはそれがまるで自分の責任であるかのように沈痛な顔をしている。いじらしい、というのが適切なのかわからないけれど、そういう顔をされるとどうにかしてあげたくなってしまう。
「そうなのかい? 完熟してきてるのかな……それなら、実のまま凍らせたのを一口大に切って、ココナッツミルクかヨーグルトと一緒にフードプロセッサーにかけるとシャーベットが出来るよ」
 ああでも、食べ飽きているのなら食感を変えても味は変わらないから意味はないかな、と、言った後で気づいたが、彼女は大きな目をさらに大きくしていた。目から鱗、といった感じで。
「すごい……それもおいしそう……! どうしてそんなこと思いつくんですか?」
「そんな、大したことじゃないさ」
 どこかで見たレシピをそのまま言っているだけだし、と、本当のことは言えなかった。
 ……まさか僕は、七つも歳の離れた女の子相手にいい格好をしたいだとか、そういうことを考えているのだろうか。もしそうだとしたら、そう考えている僕を知ったら、軽蔑するだろうか。
「たいしたことなくないです! ……あの、ところでこれ、早速いただいちゃってもいいですか?」
 きらきらと輝く目でタルトを見つめる彼女は。

§

「どうぞ、召し上がれ」
 多分わたしの周りには、「召し上がれ」なんて言う男子はいない。せいぜい「食え」とか「食べろ」とか、情緒もへったくれもない言葉遣いの男子しかいない。やっぱり克哉さんは素敵だ。年齢のことをさっぴいてもとても魅力的な男性だと思う。
 それにしても柿のタルトなんて、考えもしなかった。
 克哉さんは年上の男の人。だからわたしの知らないことをたくさん知っている。
 お菓子作りのことだけじゃない。世の中のことばっかりじゃない。きっとわたしよりもずっと綺麗な女の人とか、わたしよりもずっと気配りできる女の人とか、知っているに違いない。今日のスカートは先週買ったばかりのお気に入り。髪だってちょっとは大人っぽく見えるようにと、早起きして編みこみをがんばった。だけどこんなふうに着飾ってみても所詮中身は高校生のままだし、こんなふうにお茶を用意して気が利くみたいにしても、こんなの誰にだってできることだし、って思ってしまう。
「口にあうといいんだけど」
 にっこり笑いかけられるたびに胸が苦しくなる。優しいから、きっとどんな人にも、こうやって笑える人なんだろうな、と、思うと、独り占めできない悔しさが溢れてしまう。克哉さんはきっと知らない。わたしがこんなことを考えているのなんて、知らない。
 秋の風は昨日より少しだけ冷たくて、鼻の奥が痛くなりそうだ。
 そんなことを考えてもしょうがないので、気を取り直してタルトの列を覗き込む。
 タルトはとてもおいしそうだし、実際おいしいに違いない。綺麗に並べられたつやつやの柿、香ばしいアーモンドクリーム、そしておいしそうに焼けているタルト生地はまるでプロが作ったように成型されていた。
「いただきます……!」
 直径七センチほどのタルトにかじりつくと、口の中いっぱいに柿の甘みが広がって、唇を離すより先に、おいしさのあまり目を大きくしてしまう。視線だけで「すごくおいしいです」と訴えると、克哉さんは笑いながら、少し顔を赤くした。ように見えた。わたしの子供っぽい振る舞いが、おかしかったのかもしれない。大体ずうっとタルトに口をつけっぱなしなのもお行儀が悪いし……と、口を離そうとすると、噛み切れなかった柿がずるりとついてくる。
 あ――

§

「あ、」
 咄嗟に手が出てしまった。
 べとりと手のひらに落ちてきた柿を見ながら、女の子に食べてもらうならもう少し小さく切っておけばよかったと僕はひっそり反省する。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、いいんだ、気にしないで。服が汚れなくてよかったよ」
 こぼすだろうと思っていたわけではないけれど、白いスカートにシミがついたりしたら大変だろうなという考えは頭の片隅にあったのかもしれない。こんなに似合っているのだから、汚してしまっては惜しいと。だから手を伸ばしてしまった。結果論としては彼女の服を汚さずにすんでよかったと、僕は思っている。思っているが、やはり普通はこんなことをしないのだろうか。
「ごめんなさい、あの、本当に……」
 恐縮しきりの様子で、山田さんはバッグの中からポーチを取り出した。白地に淡い水色で小花柄が入り、ワンポイントに猫のシルエットがあしらわれている。まだ話してはいないけど、もしかしたら彼女も猫が好きなんだろうか。同じ趣味だったらなんとなくうれしい。その一方で心のどこかでは、女性は気軽に猫のモチーフを身につけられるのがうらやましい、と、大人気ない感想を持ってしまう。
「えっと、それ、どうしましょう……」
 捨てちゃうのももったいないし、と、山田さんは僕の手のひらの柿を指差した。両手にはポーチから取り出したティッシュペーパーと、携帯用のウェットティッシュが握られている。
「確かにもったいないけど、僕が触ってしまったから――」
 さすがに妙齢の女性にこれを食べろというのは忍びないので、切れ端は僕が引き受けることにした。
 うん、おいしい。ジャムの甘さは控えめにしておいて正解だった。もらった柿は甘みが強かったし、アーモンドクリームも主張が強い。欲を言えばもう少し味に変化が欲しかったけれど――
 と、気づいてみれば山田さんが赤い顔をしている。
「どうしたの?」

§

 多分、自覚はないんだろう。それがまたわたしを落胆させる。
「あ、なんでも、ないんです……」
 だってその柿は、わたしがさっきかじったのの切れ端なわけで、つまり、その、間接キスってほどでもないかもしれないけど、似たようなものなわけで……。
 ああ……。どうしよう……顔が熱い。
 でも克哉さんは多分、いや、確実に、そんなことに気づいていない。考えもしないだろうし、想像だってしてないに違いない。だから動揺だってしないし、こんなのはなんてことないことなんだ。きっとわたしなんて対象外もいいところ。何しろわたしと同い年の弟さんがいるって話だから、対象外も対象外だ。
 だけどこうしてときどき会ってくれるし、メールのやりとりもしてくれる。わたしだって克哉さんの交友関係の中では上位に食い込んでるんじゃないかって思うし、がんばってるんだけど、ときどき、こんなどうしようもない歳の差に打ちのめされそうになってしまう。
 それでも、諦めたくない。
 にっこり笑顔を心がけて、わたしはウェットティッシュを一枚差し出した。
「手、これで拭いて下さい」
「ああ、ありがとう。やっぱり女の子はこういうものを持ち歩いてるんだな」
 克哉さんもまた、笑顔で指先と手のひらをぬぐい始めた。綺麗な手。いつかその手に触れてみたい。つないだりだって、できればいいのに。
「たいしたことじゃないですよ。それに、たまたま入ってただけです」
 嘘。今日だけなんです。好きな人の前では少しでもいいところ見せたかっただけなんです。
 あなたが好きです。どうしようもなく、好きなんです。
 うつむいて、言えない言葉を心の中で繰り返す。気づいてほしい気持ちが半分、気づかれませんようにって祈るのが半分。
「山田さんはしっかり者だから、弟に少しでも見習わせたいよ」
 わたしは弟さんがうらやましいです。だって、いつだって考えてもらえるし、心配してもらえるし、そうしてもらうのに理由なんていらないんだもの。
「そんなこと。克哉さんの弟さんならすごくしっかりしてるんじゃないですか?」
「そう思う? そうだったらいいんだけど、アイツは本当に人に心配ばっかりかけるんだ」
「……心配してもらえるだけ、いいじゃないですか」
「山田さん?」
 ついうっかり本心が出てしまっていた。克哉さんはわたしの顔を、心配そうに覗きこんでいる。それにすら、下心からどきどきしてしまう自分が恥ずかしい。
「何か、あったのかい?」
「――あ、」
 あります。気づいてほしいけど、絶対に気づかれたくないこと。矛盾してるけど、それが真実。
「……違うんです! 特に何も……ただその、わたしにも、克哉さんみたいな優しいお兄ちゃんがいたら、いいなあ、って、思って……」
 わかってください。こんな嘘でごまかさないと、全部こぼれてしまいそうなんです。

§

 誰だって、他人の考えがわかるわけではないけれど、想像を働かせることはできると思っている。山田さんが何かに悩んでいるのかそうじゃないのか、悩んでいるとしたらそれは何なのか、わからないけれど、僕にだって考えることはできる。問いただすような不躾なことはしなくても、心配している人間がここにいることを、伝えることはできるはずだ。それで少し彼女の心が軽くなるのなら、僕はそのくらい喜んでする。
「その……君の兄にはなれないけど、僕は一人の男として、山田さんのことを気にかけている、つもり、だ」
 ゆっくりと言葉を選んだつもりだけれど、最後のほうに行くにつれて、なんだかすごく恥ずかしいことを言っている気がしてきた。変な男だと思われていないだろうか、気持ち悪いと拒絶されないだろうか。
 ……というか、僕は今なんと言った?
「あっ……ああ、いや、その、一人の男というか、大人としてというか、ええと……」
 失言だった。最近の僕は少し浮き足立っていると言われても仕方ないかもしれない。名前で呼ばれるのをいいことに、山田さんは僕のことを「大人」として認識しているのではなく、「男」として認識しているのではないか、なんて、思い込んでいたのだから。その思い込みが言葉に表れてしまったに違いない。本当に、失言だった。

§

「ごめん、変なことを言って」
 克哉さんの頬が――頬だけと言わず、顔が、赤い。きっとわたしも同じくらい赤い顔をしているんだと思う。
「へっ、変じゃないです!」
「え、そ、そうかい?」
「はいっ!」
 だって「男として」なんて、言われるって思ってなかったから。
 あんまり嬉しくて、声が上ずってしまう。
「あの、うれしいです、ありがとうございます」
 訂正されちゃったけど、でも最初に言ったのは「大人として」じゃなくて「男として」だもの。わたし、もしかしたら「女として」意識されてるのかな。なんて、期待しちゃう。期待しても、いいのかな。
「そう、か……。僕でよければ、力になるよ」
 絞り出したような言葉に、わたしはもう、何も言えなかった。きっと今口を開いたら、気持ちが全部こぼれてしまうに違いないから。
 結局わたしたちはその後しばらく、顔を赤くしたまま黙り込んでしまう。
 まるで冷たい秋の風を、身を寄せ合う口実にしているみたいだった。

- end -

20140814

…という感じの「刑事とJK」シリーズを書いています、ん。