狂おしい恋の果て

第二話

涙痕は隠して見せない

 思ったよりも早く聖司に出会うことが出来たので、わたしはきっと笑顔になったんだと思っていた。
 成長した幼馴染は、別に顎に不安があるわけでもなかろうに、左手を添えて何かを見ていた。見ていたのはピアノかそこに座っていた女の子かどちらかだろう。知り合いならばもっと遠慮なく声をかけるなりしているだろうから、彼が何を思いながら何を見ているのかわたしにはわからなかった。
 もしも彼がわたしのことを今も覚えていて、あの小さな女の子を見つめながらわたしのことを思い出していたのだとしたら。それだけでわたしの心は十分に救われるだろう。声をかけるでもなく、すれ違うだけで、満足するべきだった。
 なのにわたしは、生きているわたしという人間は、欲深い。嬉しかったのだ。彼の姿を目の当たりにして、その目がわたしを捉えてくれることを望んでしまったし、そうされたことがたまらなく、嬉しかったのだ。
 わたしが笑ったのは再会の早さのためではない。わたしはわたしが思っていたよりもずっと、聖司と会うことを待ち望んでいた。
 喜んでいたのは事実だ。けれど、聖司がここに現れた、それが意味する一つの事実は、わたしに嫉妬という念をも呼び起こさせた。
 わたしはピアノが嫌いだ。少なくとも好きではない。そのくせ、楽器店でアルバイトをしている。もちろんピアノには感謝している。子供のころ、音楽教室に通っていなかったら、わたしは聖司とは出会えなかっただろうから。矛盾したまま整理のつかない感情は、わたしという人間の生い立ちをそっくりそのまま表しているように思える。
 今、聖司の手はすごく大きく、指が長くなっている。まさかあの都市伝説のような『お風呂の中でひっぱると伸びる』、を試したわけではないと信じたいけど。
 そう言うと、馬鹿じゃないのかと呆れられた。
 そうか、自然に大きな手のひらになったのか。ちりちりと、嫉妬に心が痛んだ。
 わたしは自分の手をこっそりと握り締めた。人並み程度の長さの指は、もう楽器なんて久しく演奏していない。
 あの頃はわたしのほうが聖司より、手のひらも大きければ指も長かったのに。だけどあのころから聖司のほうがどんな曲も、わたしよりうまく弾けた。
 神様は、ずるいと思った。

 普通とか人並み程度っていうのはどういうことだろう。
 身長一五八センチのわたしは、日本の一七歳女子の平均身長プラス一ミリメートルらしい。手の大きさは、友達と比べた限りじゃ大きくもないし小さくもない。髪の色も真っ黒じゃなくて、明るいところではダークブラウンに見えるありふれた色。どうってことない顔立ち、中肉中背って体型、数値化できるものなら、普通とか人並みとか、そういうものは手に取るようによくわかる。
 それ以外は?
 例えば『ごく普通の両親』とか『ごく普通の家庭』とか『ごく普通の生い立ち』とか、それは一体どういうものを指している?
 サラリーマンのお父さん、専業主婦のお母さん、子供は二人で……。そんなものを見るたびに、わたしは自分の境遇ってものをぼんやりと考えていた。考えても、結論は出さない。出せない。出したくないのか、出すことができないのか、わからない。
 お医者のお父さん、教師のお母さん。子供はわたし一人で、会話する相手はみんな別。お父さんは患者と、お母さんは生徒と、わたしは聖司と。
 それがいつのまにか、父は母ではない女性と、母は父ではない男性と、今思えば会話どころじゃないつながりを持ちだして。
 どうしようもなくなって我が家は空中分解した。違う、最初からまとまってなんていなかった。まとまるには我が強すぎる人ばかりの集まりだった。
 そして今も、離婚には至らないただの別居がいつまでも続いている。
 父は母でない女性と一緒にあの家で暮らしているんだろうか。
 母は、こっちは確実に、父でない男性と東京で暮らしている。
 わたしは先月から、一人で公園通りのアパートに暮らしている。それまでは母と彼女の恋人と一緒に、東京でぎこちないままごとをやっていた。
 みんなバラバラに生きている。それは、普通じゃないことなんだろうか。よくわからない。
 わたしはわたしで、母は母で、父は父だ。みんな他人だ。家族なんて言っても、世界は『A』と『A以外』にしか分類できない。
 わたしと、わたしじゃないもの。
 普通と、普通じゃないもの。

『弥子ちゃん、たまには連絡を頂戴ね』
 母は恋人と二人きりで過ごしたがっていて、わたしはままごとに飽きていた。利害が一致したから、わたしは一人暮らしを始めた。
『弥子、お金が足りないのならお父さんにいつでもいいなさい』
 別居が始まってから毎月、わたしの名義の口座には父からのお小遣いが振り込まれている。母と一緒にいるときは月に五万、一人暮らしを始めてからは月に十五万。それでも足りないんじゃないかと疑われて、誕生日とクリスマスとお正月には臨時ボーナスが入る。それがなければあの人は、自分が忘れ去られるとでも思っているんじゃないだろうか。
『弥子ちゃん、携帯電話は持っているの?』
 中学に入ると、母の恋人から携帯電話を貰った。薄いピンク色の最新機種だった。名義は母親になっていて、それはいつまでも彼をお父さんと呼ばなかったわたしへの配慮だったのかもしれない。今、思えば。

 どうしてみな、わたしに何かを与えるのだろう。
 どうしてみな、欲しくもないものばかりをくれるのだろう。
 どうして、欲しいものは手に入らないのだろう。

 わたしは別に、自分のことをかわいそうだとは思わない。
 所詮は十人並みのわたしが、万人がびっくりするような悲劇の中にいるなんて思えなかったからだ。
 父も母もわたしの保護者である前に一人の人間なのだから、好きにしたらいい。虐待もしていなければ保護監督責任の放棄もない。十分に保護者の務めは果たしているもの。
 ニュースで見かける、虐待の末に死んでしまった幼児だとか、子供に殺されてしまった親だとか、そういう人たちのほうが苦労しているんだと思う。少なくともわたしは、死んでしまおうと思ったことも誰かを殺したいと思ったことも、誰かに殺されそうになったこともなかった。
 よって、わたしのおかれている境遇もごく普通、ありふれている。
 普通というのが多数派を意味しているのだということを知って以来は、そりゃあ両親がこんな風にいびつに歪んでいる、もはや家庭と呼べないような家庭は少なくとも多数派じゃないとは思うけど。でもきっと世界中に、完全に歪みのない場所に生きている人間はほとんどいないとも思っている。
 それでも時折、クラスメイトが毎日何かしらの悩みを抱えて愚痴をこぼしている横で、わたしはキュッパキャップスを舐めながらぼんやりと考え事をすることがある。
 本当にこれが普通なのかしら。
 『テストの点が悪くって、お小遣いを減らされた』とか『彼氏と夜遊んでたのバレて門限が早くなった』とか、そっちのほうが即物的で直接的に困りそうな悩みなのは明らかなのに。
 わたしはというと、お小遣いは減らないし門限はない。と言っても、お金を使うことはあまりなく、母たちのほうが週末は門限を守らない、どころか、帰ってこないことのほうが多かった。
 もう、慣れた。
 わたしには悩みと呼べそうな、悩みもない。たぶん。

『ひとつ、やる。つけてたら、ねがいごとが、かなうんだ』

 聖司の目は、とても綺麗なルビー色だ。
 わたしの目は、とても地味な灰色だ。
 わたしの人生がぱっとしなくて、聖司の人生が華やかなのは目の色のせいだろうか。それとも逆に、人生がそれぞれそうなっているから、目の色に表れているんじゃないだろうか。
 どっちでもよかった。
 でも、何か理由がないと、わたしはだだをこねる子供みたいに聞き分けがなくなりそうだと思う。
 聖司はいつだって優しかった。まだ小さかったわたしは、もらったメダイユに何をお願いしようかとじっくり考えた。

“もっとピアノがうまくなりますように”
“うちにも大きなグランドピアノがきますように”
“おとうさんとおかあさんと、いっしょにごはんをたべられますように”

 子供は正直で、もう誰にも手の施しようのないことだって、神様はなんとかしてくれると思い込む。何も言わなくてもサンタクロースは望むものを持ってきてくれると信じているように。

 久しぶりに思い出したのは、多分聖司の首にメダイユがぶら下がっていたからだと思う。
 聖司の願いは叶ったのかな。
 わたしの願いは叶わなかったから、せめて聖司の願いは叶っていればいい。そうすれば報われるのに。
 ううん、違う。聖司の願いは叶っていないし、もしも願いが叶っていたら、わたしはこの街に戻ってくることなんてなかった。

§
「俺は譜面を探している。棚はどこだ?」
 頭一つ分、わたしよりも背が高くなった聖司は、態度まで大きくなっている。
 笑いそうになって、慌てて視線を逸らしながら「こちらです」と、案内した。絨毯を踏みしめて壁際の棚まで移動する途中、電子ピアノの前の親子に「いらっしゃいませ」と会釈する。聖司はどの楽譜を探してるのかな、何を弾くのかな。棚の前に立つと、聖司は隣に立つわたしをゆっくりとふりかえった。
「弥子――」

 聖司がピアノから逃げてしまったあのコンクールの日、わたしは会場のふかふかの椅子の上で、聖司が姿を見せるのをずっと待っていた。
 『設楽聖司 曲目/ショパン:バラード第一番、ト単調、Op.23』
 会場の入り口で手渡された冊子の、その部分を指先でなぞっていた。ざらざらしていた、かすかに盛り上がったインクが滲むんじゃないかってくらい。
 聖司が演奏しないっていうのがわかったとき、わたしはあいつのことを賢いと思ったし、バカだなとも思った。そしておおっぴらにあいつのことを「バカ」って言えるネタが出来たのでしめしめと思っていた。
 まあ今となってはわたしだってバカだった。その時点で、聖司と離れ離れになって四年経っていたんだ。忘れられていたっておかしくない。それに東京からこっそりはばたき市に戻ってくるのもそうそう簡単にはできないし、そのときわたしがホールにいるなんて聖司は知る由もなかったはずだから。
 いつかまた、聖司のピアノを聴けたときにからかってやろうって思っていたのに。
 聖司が本気で逃げたんだと知って、そしてそれをわたしが知っていることで、このネタは笑えない笑い話に成り下がった。

 なんだってまた、ロシア系っぽい人がはばたき市のコンサートに出てるのかは知らないけれど、ニコライという人の弾くピアノは無理矢理わたしの、いや、きっと大勢の人の中に捻り入ってきた。あんな強引な演奏は、大嫌いだ。あんな、自分が何よりも正しくて絶対なのだと思わせるような傲慢さが、わたしは大嫌いだ。
 聖司はどう思ったのだろう。少なくとも、勝てやしない、逃げちゃえば負けることはないって思ったんだろう。屁理屈をこねまわすのが得意そうな聖司らしいやと思った。まあ、確かに勝負しなきゃ負けることはないんだから。
 でも聖司、そのあとどうするつもりなの。どこまで、いつまで逃げるの。逃げられると思ってるの。

『ご来場の皆様に、ご案内申し上げます。誠に恐れ入りますが、プログラムの一部変更をお伝えいたします。ただいまより、十分間の休憩時間をはさみ、十六時二十五分より…………』

 恐縮すべきは聖司だ。おばかだ。人に迷惑かけて、逃げたつもりがそれって結局自分の首を絞めてるだけじゃないか。
 ざわついた客席に深く沈みこんで、わたしは聖司のピアノを思い出そうとした。けれど雑音に阻まれて、もう何も思い出せやしなかった。
 忘れかけていたものを思い出したかった。
 もうずっと前から、わたしの願い事はひとつっきりだったに違いない。
 それは、ある側面から見れば、『ずっと聖司が楽しくピアノを弾けますように』、という願いで、別の面から見れば、『聖司のピアノをずっと聴いていられますように』、そういうことだった。
 また他の面から――これが本当の願いかもしれないけど――見れば、『わたしは心安らげる場所が欲しいんです』
 ただ、それっきり。

 失うものなんて何ひとつ持っていないわたしに、聖司はなんだってくれてあげるべきなんだ。

「弥子、お前が今聴きたい曲は何だ?その楽譜を買っていく」

 聖司は優しい。いつだってそうだった。
 ときどきそれが疎ましかった。あの外国人のピアノほどではないにしろ、聖司の傲慢さもなかなかのものだと思う。それは持てる者の、驕り。
 ううん、とわたしは少し唸って、さっき学校から出たときに見上げた曇り空を思い出した。
「“雨だれ”、すごくゆっくりの。そんなにのろのろ、かたつむりみたいだと眠っちゃうからやめてよって、わたしに言わせるくらいの」
 聖司は一度瞬きをした。
「おまえはいつだって妙な注文をつける」
「だって聖司はいつだってそのとおりに弾いてくれるから」
 そうすることができる天賦の才ってやつを持っているもの、聖司は。
 何も持っていないわたしは何も与えられなかった。
 何だって持っている聖司は、これからもっとたくさんのものを得る。
 それが本当は、嫉ましかった。
 嫉ましいのに、どうしてわたしは聖司のピアノを、もっと聴きたいなんて思っているんだろう。

初出 2010.10.6
再掲 2015.3.8

スケルツォ第四番……ショパン: スケルツォ第4番, ホ長調, Op. 54
雨だれ……ショパン: 24の前奏曲第15番, 変ニ長調, Op. 28-15