狂おしい恋の果て

番外

ポッキーゲーム


 帰って来るなり「ポッキーゲームとはなんだ」と真面目な顔をして尋ねてきた聖司に、弥子は怪訝な顔をする以外に何もできなかった。弥子本人は経験こそないもののポッキーゲームのなんたるかは知っている。この遊び(と言うのだろうか)の知名度がどの程度のものなのか見当もつかないが、どこか浮世離れした聖司が知らなくても不思議はないかな、と納得したのも事実である。
「……なんなの、藪から棒に」
「友達から言われたんだ。今日は日本じゃポッキーゲームの日だろうって」
「ああそう……」
 渋面の弥子の脳裏に、ジャパニーズサブカルチャー好きのフランス人の顔が浮かんだ。日本人の聖司や弥子よりも日本文化(ただし偏っている)に詳しい、大方あいつの言葉だろう。余計なこと吹き込みやがって。内心舌打ちしたい気分を、弥子はいつものポーカーフェイスに隠した。
 聖司はツイードの上着を脱ぎつつさらに続ける。
「俺はお前とポッキーゲームをするんだろうとも言われた」
「……ふ〜ん」
「だからポッキーゲームが何か――なんだその顔」
「……いや別に」
「だから、ポッキーゲームっていうのはなんなんだ」
「なんなんだって、言われても、説明しづらいなあ……」
 本当のところ、しづらいというより気恥ずかしい。
「現物があれば説明できるのか?」
「え、あるの?」
 フランスに越してきて数か月になるが、こちらの菓子はあまり口に合わないと弥子は不満に感じている。日本の菓子も輸入食品店などにあるにはあるが種類は少ないし売り切れるのも早い。ゲームはさておきポッキーのあのこうばしいクッキー生地とまろやかなチョコレートのコンビネーションは、今の会話でかなり恋しく思えていた。
「ある」
「うそ」
「本当だ」
 鞄から聖司が取り出したのは、紛れもなくポッキーだった。
 あの直方体の箱、赤いパッケージ、洗練されたフォルムのポッキーの束。
「ジャンにもらったんだ」
 オタクの外国人程度にしか思っていなかったけれど、弥子は生まれて初めてジャンに感謝した。ありがとうジャン。今日だけは君のことを忘れない。五秒間くらい。
「ぽ、ポッキー……!」
「お前そんなに嬉しいのか……」
 鼻の穴が膨らんでいるぞとは、言えなかった。言ったところで聞こえもしなかっただろうが。
 弥子は興奮気味に頬を染めながらポッキーを掴もうと手を伸ばす。
「待て」
「あー!」
 それをさっとかわし、聖司は自分の頭の上までポッキーを持ち上げた。「おあずけ」だ。
「お前にこれを渡したら、説明せずにそのまま食べてしまうつもりだろう」
「当然です」
 やっぱり。聖司は呆れたように、というか、実際呆れて溜息をついた。
「それじゃあポッキーゲームがなんなのかわからないだろう」
「わからなくても死なないし」
「向上心のないやつだな」
「それほどでも。ええい、およこし!」
「お前、それが家主に対する言葉か」
 実際、この家は聖司の家だし、転がり込んでいる弥子は同居人というよりただのごくつぶしである。が、それとこれとは別だ。別であってほしい。
「パワハラ、モラハラ、セクハラー」
「なんだその呪文は」
「聖司がわたしにポッキーをあげたくなる呪文」
「ならない」
「どケチ」
「ああもう、いい加減に教えろよ。埒が明かない」
 時間の無駄だと言われれば、確かにそうだ。
「教えたらポッキーくれる?」
「別に、いいけど」
 言質はとった。弥子の目がきらりとひかり、彼女は思い切り息を吸い込んだ。
「ポッキーゲームとは一本のポッキーの両端を二人の人間が同時に咥えて食べ進むゲームであり先に口を離したほうが負け。以上」
 一息に言い切ると、弥子は聖司の腕を掴み、ポッキーを手元まで下げてそれをひったくった。
 おお愛しのポッキー。期間限定とかアーモンドがまぶしてあるようなやつじゃなくてよかった。あれは邪道。このなんの変哲もないプレーンなポッキーこそ至高……。
 きらきらとした目はそう物語っているのか定かではないが、ともかくこのうえなく嬉しそうな顔でぺりぺりとミシン目を切り取る弥子はここ数日の中では一番楽しそうだった。
 一方の聖司は弥子の言葉を理解すると同時に徐々に耳のあたりが赤くなってきている。
「……俺は、かつがれたのか」
「……それはこの場合適切じゃないと思うけど」
 おそらくジャンは聖司が知っているものだと思い込んでいるだろうし、担ぐだとかそういう次元の話ではない気がする。頭を抱えそうな聖司だが、弥子の視界には入っていない。
「……ふふ」
 切込みの入った銀の袋を開くと、あまい香りが鼻に感じられた。
 へっへっへ、久しぶりだなポッキーよ……どれほどこの日を待ちわびたことか……さあ覚悟するがいい、貴様らをまとめて喰らってやるわ!
 いつもの三白眼がカッと見開かれ、罪もないいたいけなポッキーたちを獲物と定めている……わけではなく、弥子は純粋にポッキーを食べられる嬉しさに頬をゆるめていた。
「まあ、いいか……」
 こいつが楽しそうならなんでもいいやと、ある意味投げやりな笑みを浮かべて聖司はリビングを後にする。聖司は食べないの? と言う弥子の声に振り返ると、彼女はまさにポッキーの端を咥えたところだった。うっと言葉に詰まりそうになる聖司の眼前で、弥子は思い切りよくポッキーをポキンと折る。
 脱力した。こういう女なのだ。
 明日ジャンには言ってやろうと聖司は思う。
「弥子が大喜びだった。ポッキーは文字通り全部、あいつが食べつくしたんだ」と。

end

2014.11.11