3rd Anniversary.



プロポーズ・アゲイン

(ミノフスキー学園設定で)

夏季休業中の学校はシンと静まり返っているが、校庭と体育館は部活動中の生徒の声で溢れている。日中の暑さに少し負けそうになっている自分は、もうあのようには若くはないということを思い知らされているようで少し癪でもあった。
平時ならば午後9時に施錠をし、見回りを終えて帰宅するのが常だが、さすがに今は午後6時にもなると誰も残ってはいない。
橙色の夕陽が差し込む廊下、見回りを終えた私は首筋を伝う汗を拭いながら最後の教室に鍵をかけた。

学校とは逆に、夜を迎えようとする街は人で溢れかえっている。待ち合わせをする恋人達や大学生の集団は数え上げればきりがない。
そろそろ自動車を買って通勤するほうがいいのかもしれないと思いながらも、歩道から見た公道は渋滞しているものだから、その考えはすぐに打ち消された。ぐったりとしそうな体を帰宅ラッシュの満員電車に押し込まなければならないのかと考えると、疲労が増したような気がした。

「ガトーせんせ?」

歩きすぎようとしていたパチンコ屋の前で、自分を呼ぶ声がしたような気がした。ジャラジャラというけたたましい音と、店内の騒がしい音楽が交じった不快な音色に紛れて声がするなんて気のせいなのだと言い聞かせたが、

「やっぱり先生だ!」

後ろから片腕にしがみつかれた。先生と呼ばれ、確かに自分は教師なのだが、こんなところで声をかけるような人物に心当たりはない。正体を見極めるために振り向くと、そこには化粧を施した茶色い髪の女性が満面の笑みを浮かべていた。

「私ですよ、私!ジェーン!覚えてません?」

全く見覚えの無い顔に眉を寄せていると、少し困ったような顔をした彼女はジェーンと名乗った。

「ジェーン…バーキンか?」
「そうです!よかった、忘れられたのかと思った!」

私は彼女の頭のてっぺんから爪先まで、たっぷり三往復は眺めてしまった。
ジェーン・バーキンというのは、一昨年に担任した生徒だった。成績優秀な選抜クラスに所属しており、素行にも問題なく無事国立の大学へ進学したはずだったのだが。
これはどういうことか。髪は茶色、睫はあの頃の倍近い長さ、胸元が大きく開いた服、あまつさえ下着のように短いズボンをはいている。おまけに耳朶には直径10センチはあろうかというような輪がぶら下がっているではないか。

「ね、先生、ここで会えたのも何かの縁だし、どっかでちょっとお話しません?」

魔女のような長い爪の生えた手で髪を耳にかけながら、ジェーンは私の手を引いた。はっきりいって予想外の自体についていけなくなっていた私は、ジェーンのなすがままに、裏路地の居酒屋へと誘われた。

ジェーンは慣れた様子で生ビールを頼み、テキパキとメニューを注文していった。大学に入ればこうも変わるものだろうかと、シャラシャラと音を立てるブレスレットを見つめながら考えていた。

「先生は何飲みます?」
「…ウーロン茶」
「へ!?あ、車で来たとか?」
「いや、単純に飲めないだけだ」

意外、とジェーンは笑った。馬鹿にしているような素振りはなく、見た目は変わってもあの頃と同じ、クラス中に対して気配りが出来る優秀な委員長のジェーン・バーキンなのだと実感する。私はなんとなく居心地が悪く、ジェーンがカバンをごそごそ漁るのを横目で見ながら腕を組み替えていた。

「吸ってもいいですか?」

ジェーンが取り出したのは名刺より少し大きな黒い箱と、よく見る100円のライターだった。“吸っても”ということは、あの箱に入っているのは煙草なのだろう。真面目な優等生が煙草を吸うということが驚きだったのもあって私がずっと黙っていると、ジェーンはもう一度「いいですか?」と聞きながら首を傾げてみせた。

「先生は苦手ですか…あっ!?」

苦笑したジェーンの手の中からそれらを素早く奪い、カウンター下にあったゴミ箱に放り投げた。

「嫌って言われれば吸わないのに…」
「そういう問題ではなくてだな……いつから吸っているんだ」
「え、えと…20歳になってからですよ、ほんと!」

私のただならぬ気配を察したのか、ジェーンは上体を微かに反対側に反らした。丁度よく空いた私達の間に、ビールとウーロン茶が運ばれる。何故か私のほうに運ばれた生ビールのジョッキをジェーンが奪うよりも早く、私はそれを自分の手元に引き寄せた。

「せ、せんせ…?」
「大体なんだその格好は。いくら夏だからといっても露出のしすぎではないのか」
「あの、先生それ私のび…」
「その耳も爪もどういうつもりだ!あまつさえ煙草など、婦女子が嗜むものではない!」
「―る、って、飲んでるし…」
「バーキン、そういえば君が私に声をかけたのはパチンコ屋の前だったな、」

飲めないんじゃないのかと、ジェーンが心配そうに見つめてくるが、お構いなしにもう一度ジョッキの中身を煽った。炭酸が鼻にくる。ダンッとカウンターに空のジョッキを叩きつけながら、

「まさか、君はあそこでくだらん遊戯に耽っていたわけではあるまいな!」

頭がくらくらしてきた。これは、そうだ。教え子のあまりの豹変のために受けている衝撃が大きいからに違いない。
私は、決して酔ってなどいないのだ。

「あの、ていうか先生、顔真っ赤なんですけ」
「質問に答えなさい!」
「…なんでそんなこと先生に言わなきゃなんないの?別に親とか彼氏とかじゃないじゃない」

むっとしたジェーンが反論するものだから、私も大人気なく言い返してしまった。

「じゃあ私が君の彼氏とやらになってやろうじゃないか」
「は?……………あの、酔ってますよね?ね?」
「酔ってなどいない!」

そうだ、酔ってなどいない。
酔っているのは、顔が真っ赤なジェーンの方だ。
私は、いたってシラフである。

- end -

20090805

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