「ジェーン!起きろ!」
折角の休日なのに、我が愛しのダンナサマ、ジェリドは私をゆっくりと寝かせてくれないらしい。
「もー…なによぉ…まだ9時じゃない…あと1時間ぐらい…」
文句も彼の耳には届かないらしく、無理矢理抱き上げられるようにして私の上半身はベッドの上に起き上がる。
低血圧な私の体はフラフラとしたまま、支えてくれるジェリドがいないとその場に倒れてしまいそうだ。
「支度しないとこのまま車に運び込むぞ?」
「したく…?どこか行くの?」
「ドライブだ。俺はスッピンでもパジャマのままでも構わねえから、もたもたしてると本当に担ぎこむからな」
「んもー…じゃあ服だけ着替える…メイクは車の中でするから…」
突然すぎて文句の一つもいいたくなるけど、ジェリドに文句なんて通用しないんだから困ったもので。
しぶしぶ私は服を着替えてメイク道具をまとめ始めた。ジェリドは急いでいないのかどうなのか知らないけど、私のために一杯のカフェオレを淹れてくれていた。
少し温くなったそれを飲み干して、やや覚醒してきた頭で車に乗り込む。ジェリドの趣味はドライブで、車も今時ミッションの4WDだ。
「どこに行くの?」
「それは着いてのお楽しみだな」
荒っぽい運転のせいで軽くしかできないメイクを終えると、私は窓の向こうの景色を見ようとした。
見たことのない景色で、一体どこに向かっているのか見当もつかない。
お気に入りの曲を聴きながら、30分ほどたったころにジェリドは郊外の何かの店に車を停めた。
「ここだ」
「ここ?」
よくみると、カフェだった。ちいさなブラックボードにモーニングセットの文字が見える。
「たまにはこういうとこで朝飯を食うのもいいだろ?」
ずいぶん遠いところまで朝ごはんを食べに来たものだと呆れてしまう。
「よくこんなところ見つけたわね…」
「おう!いつも裏道探してるからな、その途中で見つけたんだ。お前好きだろ、こういう感じの店?」
「うん…え!?裏道探しってまさか…」
「早起きして車が少ないうちにひとっ走りしてるんだよ」
「…いつも朝方にいなくなってると思ったら、そういうこと…」
ジェリドは悪びれもせず、むしろ穴場の店をみつけたことを褒めて欲しいとすら思っているような顔をしていた。
本当、呆れてしまうけど、正直言えばちょっと嬉しい。だって、私の好きそうなお店を、私のために探してくれたなんて。
笑い声を上げたときに、ジェリドのおなかがぐぅと鳴った。
「じゃあ、朝ごはんにしようか」
目覚めると、ぼんやりした光の中にコーヒーの匂いがした。
ベッドの隣をみると、そこには誰もいなくて、私は彼の名を呼ぶ。探すように。
「ロラーン…?」
「あ、起きました?」
キッチンのほうから声が聞こえる。むくりと体を起こすと、ロランがマグカップを持って歩いてきていた。
「おはよう、ジェーン」
「おはよう、ロラン…ありがと、コーヒー」
「ジェーンは目玉焼き、半熟でいいですよね?」
「うん。ごはんの準備させちゃってごめんね?」
いいんですよ、とロランは笑いながらベッドに腰を下ろした。
「あら?目玉焼きやいてるんじゃないの?」
「まだですよ。少し、ジェーンと一緒にいたいから」
ロランは言いながら、カーテンを目一杯引いた。さっきまでとは違う、眩しい朝の日差しが差し込んでくる。
「あ、それともおなかすいてます?そうだったらすぐ支度しますよ」
「違う違う、まだ大丈夫よー」
私が熱いカフェオレを口に運ぶのを、ロランが見ている。
「んー、おいしい」
「よかった」
「いつもながら、ロランはコーヒー淹れるのが上手よね」
「ジェーンの喜ぶ顔が見たいですから」
あぁ、幸せだなあと思う。
特に何もない休日でも、ロランと一緒にごはんを作ったり洗濯したり、苦手な掃除でも楽しくなってしまう。
おかげで独身時代は散らかっていた私の部屋は、今はチリ一つない。
「わたしって幸せ者ね」
「僕もですよ」
微笑みあうように見つめあった私たちの耳に、トースターの音が届く。
立ち上がってキッチンに向かったロランに私は声をかけた。
「今日は、何しようか?」
「はー!おいしかった!ごちそうさま!」
ジュドーがごはんを食べる様子、っていうのはそれはもうものすごい。
何を作ってもおいしいと言って平らげてくれるものだから、作る方としては本当に嬉しくなる。
「おそまつさまでした」
「今日のも本当おいしかったよ」
「そう?」
「特に魚のフライ!俺、今まで紫蘇とか薬味系?嫌いだったけど、紫蘇で巻いた魚って旨いんだね…ジェーンが作ったからかもしれないけど」
「上手ねえ…で、これからは食べれるようになったかしら?」
「そうそう、大人の階段登ったカンジ?」
なんちゃって、とおどけるジュドーと一緒に笑って、私は食器を片付け始める。
「あ、手伝うよ!」
「いいよ、ジュドーは疲れてるでしょ?」
「いいの!疲れてないない!」
私の手からまとめた食器をひょいと奪うと、ジュドーは鼻歌を歌いながらシンクの桶に水を溜め始めた。
「おいしいご飯にありがとう、を込めてね」
「あら、それなら私だって、いつもお仕事ご苦労様、を込めてごはんを作ってるのに」
コップやら箸やらをまとめてジュドーの元へ向かうと、困ったように笑うジュドーが耳元に口を寄せた。
「っていうのは建前でさ、本当はジェーンと一緒にいたいだけ」
なんとも子供っぽい台詞に、私は思わず噴出してしまった。
「なんだよー!」
「あはは!だってなんだか、子供みたいなんだもの!」
ちぇー、と拗ね始めたジュドーをよそに、私はスポンジに洗剤をつけて泡を立て始める。
と、ジュドーは私の背後に回ると、
「じゃあ子供っぽく、お母さんにくっつくからね!」
私の腰に両腕を回してきた。
「こら、洗い物ができないでしょ」
「俺子供だもーん」
「調子良いんだから…!」
「どう?おいしかった?」
「ん、ご馳走様」
カミーユはいつもこんな、うすい反応。
食べ終わった夕食の食器を運びながら、私はリビングに移動するカミーユに声をかけた。
「ねぇ、昼間に予約しておいた番組、録れてるかしら?確認してもらっていい?」
「ああ」
4人はゆうに座れそうな大きなソファに腰を下ろし、カミーユはリモコンでデッキを操作している。
ちゃんと録画できてるかどうか、言ってくれないのは多分上手くいってるからで、会話が少なくても喧嘩とかしないのは、私たちも上手くいってるからだと思う。2人分の少ない食器を洗い終わって、コーヒーを持ってリビングに向かうと、テレビの画面はF1だった。
私が録画したドラマの再放送を見たかったんだけどな。
「また観てるの?」
「いいだろ。好きなんだから」
観たくないなら先に風呂に入れよ、と、カミーユは欠伸交じりに続ける。
ちらと彼のほうを見ると、目を軽くこすっていた。
「カミーユ、疲れてない?膝枕してあげようか?」
「な、バカ!いいよそんなの!」
「あらそう」
顔ごとこっちに向けて抗議するカミーユの隣に座って、コーヒーを飲みながら爆音のレースを観ているけれど、正直よくわからない。
カミーユは天邪鬼だから、疲れてても疲れてるようなことは言わない。そういうのは結構寂しいんだけどな。
と、肩に軽い衝撃。
「カミーユ?」
「…首、疲れた」
「うん」
かすかに視界に入る、赤い顔。アイスコーヒーにしてあげたほうがよかったかも。
現在、深夜1時。私はダイニングのテーブルで冷めた食事をじっと見つめながら、それを食べるはずだった人物の帰りを待っていた。
玄関のドアが開く音がしても、私は椅子から立ち上がろうともせず、彼がこちらに歩いてくるのを待っていた。
「…おかえりなさい」
「…起きてたのか」
アナベルは珍しく、お酒臭かった。全然飲めない人で、飲んだらすぐに眠ってしまうのがアナベルなのに。
「ごはんいらないなら、言ってくれればよかったのに」
むっとしたまま、顔も見ないまま、私は一言だけの抗議をした。いつもいつも言い負かされてしまうけど、それでもこれだけは言いたかった。ネクタイを外すような仕草は伺えるけど、アナベルは何も言わなかった。
言い返さないってことは、自分が悪いのを認めてるんだろうけど、絶対に謝らないのもアナベルだ。
そのまま食事には手をつけず、彼はバスルームに向かっていった。
私もなんだかバカらしくなって、涙を拭きながら寝室へ向かった。
「あ…!?9時!?」
翌朝は深夜まで起きていた所為で寝坊してしまった。いつもならアナベルよりも先に起きて支度をしているはずなのに。
しかも、寝坊しようものならたたき起こされてお小言を言われて、それからアナベルを見送るのが常なのに。
静まり返った家、きっとアナベルはもう家を出ている。後悔しながらダイニングへ向かうと、昨日の夕食が綺麗に片付けられていた。
食器はシンクの中に放り込んであって、用意できなかった朝食代わりに食べたのか、それとも昨日のうちに食べていたのか定かではないけれど、なんだか申し訳なかった。
その日、夕食の準備が終わる頃に家の電話が鳴った。
『私だ。今から帰る』
それだけ言うと、アナベルはブツリと電話を切ってしまった。相変らずマイペースだけど、こんな電話を貰ったのは久しぶりだった。
違和感のようなものを覚えながら帰りを待っていたけれど、結局予想よりもずっと遅くに、アナベルは帰ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
玄関で出迎えて、アナベルが入れるように体をずらしても、彼は一向にそこから動こうとしない。
「どうしたの?」
「……昨日は、すまなかった」
ずいと差し出されたのはデパ地下で有名な洋菓子店の白い箱だった。ありえないくらいに大きなその箱を受け取ると、指先に冷たさが伝わってくる。開けてみると、ベリータルトにイチゴのショート、ザッハトルテもティラミスもある。おいしそうなケーキばっかりだ。
「これから、ちゃんと連絡する」
要するに、このケーキの山は私への謝罪のつもりなんだろう。
でもそれよりも、アナベルが素直に謝ってくるのが嬉しかった。緩んでしまう頬を掌で隠したくても、ケーキを抱えていてはできず、
「これ、二人では食べきれないかもね」
「私も食べるのか?」
「え!?これ全部私に食べろっていうの!?」
月末は残業が多くてとても大変。それから満員電車に揺られて家まで帰って、ごはんを食べたりするのは大変だった。
「たっだいま〜!あー疲れた!」
「お帰り、おつかれさん」
でも今は帰りを待ってくれる人がいる。
笑顔で迎えてくれるシローは、ベージュのエプロンが妙に似合う。へとへとになって帰ってきても、シローがいればこっちも笑顔になってしまう。キッチンからはおいしそうな匂いが漂って、
「今日はテレビでやってたレシピに挑戦してみました」
「何々?」
「トマトとチキンの煮込み!今からパスタを茹でるからちょっと待っててね」
はい、ビール!と差し出されたのは私の大好きなヱビス。
プルタブを引いて一口飲むと、すぐにオイルサーディンの皿が目の前に出された。
「…ほんっと、どこの飲み屋よりも最高だわ」
「メニューは代わり映えしませんよ、お客さん」
「好物が揃ってればそれで最高なの!ほんと、これ大好きなのよ〜。作ってみたけど、シローさんがやるみたいには出来ないのよね」
全くそうなのだ。
このオイルサーディンのマヨネーズ焼きは、スライスしたタマネギとマッシュルームの上にオイルサーディンとマヨネーズを載せてオーブンで焼くだけだというのに、シローと私じゃ出来が違う。
確かにシローは料理が上手い。他の料理なら諦めもつくけれど、こんな簡単な一品料理で差がつくと自信を失ってしまいそうになる。
「ジェーンが自分で作れるようになったら俺がいる意味がなくなっちゃうじゃん」
シローはパスタを茹でながら、私のビールを一口飲んだ。
「えー?私は夜ごはんがスーパーのお惣菜でも、洗濯物が上手くたためなくても、帰ってきたときにシローさんがいてくれたらそれで幸せなんだけどな」
「ジェーン、酔っぱらってる?」
「何よ」
「いや、褒めちぎられてるから…」
「シローさんは幸せじゃないですか?」
ほろ酔いの私を、彼は笑った。
「幸せだよ?」
ママがいってた。男と買い物に行くのだけはよしなさいって。
「うむ、これもいいが、コチラも捨てがたいな…」
ママはきっと、女の長い買い物は殿方との喧嘩の原因になるからよしなさいという意図で言ったんだろうけど、これじゃあ逆だと思ってしまう。
今、私の目の前で服を広げているのはハリー・オード。私の夫。
どっかの球団のファンだろうと言いたくなるようなストライプの衣装に身をつつんでもなんだかこう…あまり違和感を感じさせないすごい人。これは別に褒めているわけではなく、純粋に変な人だと思っているだけ。
「ジェーン、君はどちらがいいと思う?」
振り向いたハリーが両手に持っているのは、またしても似たようなストライプのシャツだった。
「…どっちも一緒なんじゃないの」
「心外だな」
それからハリーは、素材が違うだのストライプの幅が微妙に違うだの、延々と語り続けた。
私にとっては非常にどうでもいい。というか、ストライプ以外の服を着るという選択肢はこの人にはないのだろうか。
「もー!それなら両方買えばいいじゃない」
「そうだな、やはりジェーンも両方素晴らしい服と思うよな」
いや、そうじゃないし。と、否定するのも面倒くさくてうんうんと頷いて見せた。
で、結局大きめの紙袋をひっさげたハリーと並んで歩いていると、またショップに入ろうとする。
「ちょ、ちょっと!また何か買おうって言うの!?」
ちょっとは財布とタンスのキャパシティを考えて欲しくて、私は慌ててハリーを引き止める。
「なんだ?いいじゃないか」
「よくないよくない!さっき買ったでしょ、同じようなものがいくつあっても…?」
ハリーが指差したのは、メンズのショップじゃなくて、レディースの、それもちょっと高そうなショップだった。
「え?なんで?」
「私の買い物は終わったからな、次はジェーンが服を買う番だ」
言うと、ハリーは私の手を引いて入り口のドアをくぐってしまった。
「べ、別に私はいいのに!」
「そういうわけにはいかない。私がジェーンのためにそうするように、ジェーンも私のために常に綺麗でいて欲しいからな」
サングラスの奥の目が、一瞬優しく弧を描いたように見えた。
「…ほんと、自信過剰なのかなんなのか…!」
週末を利用して模様替えをしようと言い出したのは私だった。
とはいえ家具を変えるだけでは飽き足らず、この際ファブリックの色も全部変えてしまおうと思って、私とヒイロは近くのインテリアショップに来ていた。
…のだけれど…。
「ヒイロ、カーテンの色は青がいい?それとも緑かしら?」
「ジェーンの好きなようにしたらいい」
「じゃあじゃあ、リビングのソファも同じような色にしようと思うから、この中から選んでよ」
「俺にはわからない」
「…もー!ヒイロはいつもそうなんだから!」
「俺にはわからないし、お前の好きにしたらいいと言っている」
ダメだ、埒が明かない。
昔からこうなのだ。変なところに拘りはあるくせに、他のことには完全に無頓着。
家事でもなんでも、やらせてみれば人並み以上に出来るのに、全く熱意が感じられない。
そんなヒイロでも、こうして一緒に暮らしていける私のことが時々自分で変なんじゃないかと思ってしまう。
「じゃあ本当に好きに選んじゃうからね!」
返事はない。まぁ、散々好きにしろって言ってたんだからもういい加減言い飽きたんだろう。
私はヒイロをほっぽりだして、あらかじめメモしておいた窓のサイズを見比べながらカーテンを見繕っていた。
選ぶときくらいは一緒にいればいいのにと思いながらヒイロを探すと、何故か彼は大きな鏡が並べられたコーナーにいた。
「どうしたの?鏡欲しいの?」
いつもは家の鏡なんて見もしないのに、と思って声をかけると、
「お前が欲しがってただろう。ウチに置けそうなのはこれだな。これなら寝室の壁際に置いても、クローゼットの開閉の邪魔にならない幅だ。高さもジェーンの身長なら問題ない。だが、色が問題だ」
「ヒイロ?」
「お前が好きな色がないんだ。だから、これを買うなら俺が好みの色に塗ってやる。…買うか?」
驚いた。ヒイロがつらつらと饒舌に喋っていることはもちろん、こんなことを考えていたなんて。私が欲しいといっていたもの、好きな色、無関心だと思っていたヒイロなのに…。
「ほんとに?やってくれるの?」
嬉しさを隠せない顔でヒイロに聞くと、
「お前がそう望むなら」
20110710再掲