羊でおやすみアナベル



「眠れない?」

私は深夜にガトー少佐の部屋を訪れた。別に、変な気持ちとかそういうのはない。ただ、お話が出来たらいいなぁとか、そういう淡い期待は持っていたけど。
そう、変な気持ち云々以前に、少佐は私のことをきっと『手のかかる子供』ぐらいにしか思ってない。
私は、そりゃあ少佐のことが大好きで、お互いに好きって言い合えるような関係になれたら…っていつも願っているのだけど、あぁ、残念ながらそんな日は永遠に来ない気がする。
少佐は軍服のズボンに、上半身は白い半そでのTシャツだった。盛り上がった肩の筋肉とか、厚い胸板とか、嫌でも目に入ってきて顔が赤くなるのがわかる。やっぱり、来たのは間違いだったのかも。

「あ…いえ、眠れます。寝ないと、明日も早いし…」

恥ずかしいのと、なんだか居たたまれなくなったのとで私は踵を返して部屋を出ようとした。両手を頬に当てると、ものすごく熱くなっている。変なヤツだって思われてるに違いない。

ジェーン、」
「はい?」

呼び止められて、それで足を止めた私の片腕を少佐が掴んだ。心臓が大きく跳ねる。

「私に任せろ」



任せろ、と言って少佐は私をベッドの、それも壁際の方に寝かせた。
あまりにもあんまりな展開に、私の顔は火が出るかと思うくらい熱くなっているし、心臓が破裂して死にそうなほど早い鼓動が自分でもわかった。
ブランケットで顔を半分隠して、それでも少佐のほうを見る余裕もないくらい。
だから、私の隣にガトー少佐が滑り込んだときには、もう目の前で花とか星とか弾け飛んでいる気がした。

「ああああああのっ、これは、一体っ」
「どうした?別に取って喰いはしないぞ」

と、少佐は言うけれど、全く説得力がない。取って食わないっていうのなら、これはどういう状態なのかと聞いてみたい。泣き出しそうな顔の私の隣、左手に頭をのっけた少佐が、見たこともないくらい穏やかに微笑んだ。

「羊を数えれば眠れる」
「はいっ?」

一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
羊、あぁ、羊ね、うん。数えると眠くなるって言うよね、確かにさ。
でも、それって眠る人が数えるんじゃないの?普通?
ていうか!これ!今の状況!完璧、添い寝、じゃん!

「いえあのその、だ、大丈夫です!」
「どこが大丈夫なものか。ジェーン、お前コーヒーでも飲みすぎたんじゃないのか?興奮しすぎだ」

どうしようもないのと、恥ずかしさで少佐とは反対側の壁を向いた。あぁ、どうしてこんなことになったんだろう。少佐の部屋になんか来るんじゃなかった…。いつも、こうしたいと思っていたはずなのに、いざこういう状況になると頭の中がこんがらがって、もう自分でもなんなのかわからない。ブランケットを上まで持ち上げて、隠れた私の肩を少佐の手がぐいと引っ張る。

「何もしない」
「………」
「…眠りたいのだろう?」
「……恥ずかしいんです」

なんとか紡ぎ出せた言葉に、少佐が軽く笑うのが聞こえた。

「目を瞑っていれば関係ないだろう。ほら、」

ギシ、と音を立てて少佐が私のほうに近寄って、それから耳元で囁いた。

「こっちを向きなさい」







口をへの字に曲げて、今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で、ジェーンは私のほうを向いた。自分がそうしたときよりもずっと軽い、ベッドが軋む音がする。ジェーンとは上下逆のカーブを描こうとする唇を隠すことなく、彼女の頬にかかった髪を指先で払 いのけた。熱い。頬が、指先がジリジリと音をあげそうなくらい、熱かった。

「照れてるのか?」
「ちっ、が!…違いますっ!」
「じゃ、なんだ。怯えてるのか?」
「………」

素直じゃない。苦笑とともにふっと息を洩らして、それから一つ咳払いをした。

「何もしない。信用できないなら、こうしているといい」

自分の頭を支えていない方の手を、ジェーンの手の上に重ねた。

「お前が手を握っていれば、何もできやしないからな」
「ば、べ、別に、信用してないわけじゃなくて…えと、」
「わかったわかった」

指と指を絡めてみせると、あからさまに動揺しているのが愛らしくてたまらない。
こんな感覚は覚えがある。道端の子猫。近寄ってきた人間に身を委ねていいものか判断しきれていない、無垢な子猫の態度そのものだ。

「ほら、目を閉じて」

顎を動かして、ジェーンに促す。子猫は視線をさまよわせながら何度か瞬きをし、それから恐る恐る、目を閉じた。

「いい子だ」

呟くように言うと、視界が遮られた分聴覚が過敏になったのだろう。私の手につつまれた小さな手がビクリと揺らいだ。
羊が一匹………羊が二匹………羊が三匹………
かすかに震える睫を見つめながら、羊を数える。さて、どこまで数えれば子猫は夢の中に堕ちるのか。
柵を飛び越える羊も大変だなと、柄にも無い想像をしながら。








少佐は、格納庫とかブリーフィングルームで聞くよりもずっと優しい声で羊を数えてくれた。
なんだかおかしな状況だけど、とっても心地いい。
低くて、時々喉が掠れたような色っぽい声。初めて聞くかもしれない。
私、今だけは少佐のトクベツなのかな。こんなふうに手を握られて、優しい声を聴きながら、ああ、少佐がこんなことをしてくれる存在が、世界で私だけだったらいいのに。
ううん、そんな贅沢は言わない。今だけでいい。今の、この瞬間だけ、永遠になって、ずっと私をつつんでいてくれたらいい。

頭の中で、羊がどんどん柵を飛び越えていく。もう何匹?

フワフワした羊毛につつまれたことはないけれど、きっとそれ以上に気持ちよくて、幸せ。
甘くて優しい声が聞こえなくなるまで、握った手が汗ばむまで、私はこの上ない幸福につつまれて、本当に満たされていた。







かすかな寝息が聞こえてくると、嗄れかけていた喉から安堵の溜め息がこぼれた。口の中がカラカラだ。頭を支える腕も辛い。とりあえず、腕をベッドに投げ出して、頭も横にする。
握られた手はしっかりと絡んで、外せそうに無い。否、外したくないのかもしれない。出来ることなら腕の中に閉じ込めて、朝が来ない夜を共に過ごしていたい。
眠れないと言って訪れたときにはどうしたものかと思ったが、こうして寝顔を見つめていると半開きの唇が妙に色っぽい。思わ ず親指の先で触れてみると、彼女の唇はそれを咥え込もうと動く。
寝ているのだから、何も考えているはずがないとわかっていながら、それでも扇情的な光景に身体が熱くなる。
少し間をおいて指先を離すと、小さな赤い舌が追いかけるように唇を舐めた。全く、無自覚ほど罪なものは無い。
とりあえず、ようやく眠れたジェーンに無茶を働く気はないし、何もしないと言った手前もある。が、

今度眠れないと言ったら、もう寝かさない。

20090303