ヒイロ・ユイといえば、話しかけることはおろか近づくことさえ困難極まりないヤツだった。学校の連中はそう思っていた。少なくとも、99%くらいはそうだった。
昔のアイツは大体いつも一人でいて、そうじゃないときといえば何かしらの授業でペアを組む必要があるときとか、そういう感じだった。
まあ色々あって“俺たち”とつるむようになってからはそうでもないみたいだが、今でも95%ぐらいの生徒はヒイロのことを近寄りがたいヤツと思っているんだろう。
それに俺たちだって、ヒイロのことをよく知っているわけじゃない。家族構成とか、趣味とか、そういうことも知らないし。
なんで仲がいいのか。よく聞かれるけど、これはただ単純にアイツが助っ人として出場した試合でちょっと話すようになったからだ。大体、仲がいいなんていうけれど、一般的に言えば俺とヒイロは知り合いとしかいえないかもしれない。
アイツは、ヒイロは特定の部活に所属していない。ただ、運動神経は抜群だし、文化系のことでも人並み以上に出来るヤツだから、あらゆる部からひっぱりだこだ。執着心がないというか、協調性がないというか。ただ、特定の部に所属していないことでこの学校の部はうまく回っているようなものでもある。
俺はサッカー部だけど、そのときは確かフォワードの後輩が怪我で出場できなくなって、ヒイロにお呼びがかかったんだったか。ちょっとミーティングをして練習をするだけで、ヒイロはすぐにチームになじんだ。もちろん、まるで長年のチームメイトのようにとか、そういう意味じゃあない。認識力というか、そういうものが長けているんだろうなと俺は思った。パス回しも、俺や他の連中が息を呑むぐらい鮮やかだったし。おかげで試合には勝てたし、それ以来俺はアイツを部に勧誘しようとがんばってるわけだが…。
「ふふ、そうなの?」
「ああ」
それが、今朝目にしたのはあの、あの無愛想全世界代表が、見目麗しいお姉さまと一緒に登校してくる図と来たもんだ。
制服は高等部の…二年生か。スタイル抜群で着こなしも清楚な感じ、何よりあの笑顔、たまらないね。
「ふぅん…あ、それじゃあここでね。がんばってね」
軽く手を振って去っていくお姉さまにヒイロも手を振った。振ったと言うより、手を上げただけなんだろうが、ヒイロの場合、振ったのと同じだ。
これは一大事だ。
あのヒイロ・ユイが女の子と仲良さげに(一般と比べればそうは見えないにしても、)登校している。
「え?…ああ、それなら僕も見ました。高等部の人ですよね?」
「あれってさぁ、付き合ってるってことかぁ?」
そんなの僕に聞かれてもわかりませんよ。
困ったように、カトル・R・ウィナーは笑った。コイツは大手財閥の嫡男で、俺と同じでヒイロと割としゃべることのあるヤツだ。聞いてみれば、俺と同じように、吹奏楽部のカトルも部活の助っ人にヒイロを呼んだのがきっかけだったらしい。マジでヒイロって何でもできんだな。
休み時間の教室で、カトルはハードカバーの本を読んでいた。
「ヒイロも、そういう人ができたのなら、もう少しすれば人が変わるかもしれないね」
読んでいた本をカバンにしまい、カトルは次の授業の教科書を机から引っ張り出した。
まじめな優等生で、成績は常に上位に食い込んでいるカトルらしいと思った。財閥の跡取りで成績優秀で顔も良ければ性格も問題なしなんて、ヒイロよりも欠点がなさそうだ。好奇心丸出しの俺とは違って、カトルはヒイロの浮いた話に下世話な興味はなくて、ただ純粋に、それが事実だとしたら心から祝ってやるのだろうな、と俺は思った。
「デュオ、そろそろ授業が始まるよ。教室に戻らないと」
「へーへー。じゃあな」
とは言っても気になるものは気になる。
翌朝、俺はいつもより早起きしてわざわざ家とは反対方向のヒイロの家まで向かった。待ち伏せみたいなもんだ。われながら良くやると思う。ヒイロが女の子と一緒に登校するのがものめずらしいだけじゃない、かな。あの子、かわいかったしな。ヒイロとそういう関係じゃないなら、俺にだって
「チャンスがあるはず…っと。確かここだったな」
名簿で調べ上げたヒイロの家は、こぎれいな家族向けマンションだった。昨日は始業の15分前に校門で二人を見た。学校からヒイロの家まで歩いて10分。余裕を持ったとしても20分あれば十分だ。その時間を逆算して、ちょうどヒイロが出てくるところを捕まえればいいわけだ。いや、ついていったらあの子に会わないかもしれないから、こっそり後をつけることにしよう。
俺は曲がり角に身を隠した。
それから数分が経ったころ、マンションのエントランスからヤツは出てきた。それも一人じゃない。あのお姉様と一緒に。
「(おいおい!マジかよ!)」
思わず声を上げそうになった口を押さえながら、まさかまさか、中学生でどうせ…いや、同居だなんてことはないよな。
とにかくこのままここにいたら二人に鉢合わせしちまうと思って、少し先まで歩こうとしたそのとき。
「あら?何の音かしら?」
「………」
俺のケータイのアラームが鳴った。まずった。いつも律儀に起きる時間にセットしといたのが裏目に出た。慌ててとめようとしてポケットの中をまさぐると、焦った俺の手はケータイを取り落とし…
「落ちましたよ」
「…ど、どうも」
お姉様がそれを拾った。
「何してる。デュオ」
「へっ!?あ、いや、その…」
「ヒイロくんの、お友達?」
やばい。ヒイロが俺を睨んでいる。
「よ、よおヒイロ…」
「そんなんじゃない」
「お友達じゃないの?」
「遅刻するぞ」
「あ!…もう!」
お姉様は俺を振り返りながら、先を歩くヒイロに追いつこうと駆け足になる。
取り残される俺。ちょっと惨め。
「おいおいおい!ちょっと待てよヒイロ!」
慌てて俺も駆け寄ると、ヒイロはぴたりと歩みを止めた。
「いや、邪魔するつもりはなかったんだよ」
言い訳がましい、いや、言い訳だ。ヒイロは呆れた顔をして、横のお姉さまはキョトンとしている。
「邪魔?」
「いやぁ、その…ひょっとしなくても、付き合って…」
「えっ!?」
お姉様はみるみるうちに顔を真っ赤にして、それからブンブンと首を横に振った。
あれ?この反応だと、そういうわけじゃなさそうだ…な。
「ち、ちがいます!あの、私、ヒイロくんのお隣に越してきて、友達がまだっ、いなくてっ!」
「そんなに力いっぱい否定しなくても…」
ヒイロが傷つくんじゃなかろうかといらぬ心配をしながらヤツを見ると、やっぱり案の定ヒイロは無表情のままだった。
と、いうことは、だ。
「あ、俺デュオ・マックスウェルって言います。よろしく」
「デュオ、くん?」
「そう。ヒイロとは、まぁ、友達だな。ウン。俺サッカー部なんだけど、今朝もヒイロを勧誘しに…いや、それはどうでもいいか。お姉様のお名前、聞いてもいい?」
「お姉様?って…わ、私?」
「そう!」
「私は、ジェーン・バーキン…ヒイロくんのお友達なら、よろしくね」
「こちらこそ!」
俺は半ば無理矢理、ジェーンさんの手を握って持ち上げた。びっくりしたような顔をして、それから軽く微笑んでくれる。
いやぁ、やっぱヒイロにゃもったいないぜ。
この調子なら俺にも断然、勝機はありそうだ。と、思ったものの、
「………遅刻するぞ」
「あ、そうだね!」
ジェーンさんはヒイロのぶっきらぼうな声に呼び戻されるようにまた、走り出した。
まぁ、お隣さん同士なんてのはいいハンデだと思いたい。そうじゃなきゃあ、あのぶっきらぼうのヒイロにゃ勝ち目なんてないからな。
「ヒイロくん!ちょっと待ってよ!」
………うん、ハンデ…だよな………ハンデか?
20091216