Anavel Gato

私たち、自称『家だと誘惑が多すぎて勉強できないので休日も学校に来てます』組、です。


今日のメンバーはカミーユ・ルー・ジュドー君、私、ジェーン・バーキン。いつも来てるサラが来てないけど、一年生のジュドー君がいる。でも毎週顔ぶれは細かく違っていて、先週はルーが吹奏楽部のコンテスト、代わりに暇をもてあましたゲーツ、そしてクラブの休憩中だけエルがやってきた。
誰ともなく、朝の9時に2-4に集まって、テキストを広げている。お昼ごはんは近くのファミレスに行ったり、おいしいパン屋さんのサンドイッチを中庭で広げたり、男の子が多いときは味のこゆーいラーメン屋に行ったりする。
あ、大事なことを言い忘れてました。この集まりはテスト前だけ。まさかまさか、私たちはいっつも勉強ばっかりしているような、真面目な生徒ではないんです。

「ねー暇だよ、なんかして遊ぼうよ!」

ジュドー君はいつも、「邪魔しに」来ているとカミーユをして言わしめるほど、集中力が続かない。今も両手を頭の後ろで組んで椅子をギイギイ言わせている。私の目から見ても、ジュドー君は…まあ、真面目とは一番かけ離れている気がする。いい子ではあるんだけど。

「ジュドーうるさい」

カミーユが振り向きもせずにぴしゃりと言い放った。ジュドー君はおとなしく黙って、鞄をごそごそあさっている。国語の苦手なルーはシロー先生特製のプリントをしばらく睨みつけていたけど、急に私のほうを向いた。ゴシュウイワカシュウ、といいながら。

「ねえジェーン、ってゴシュウイワカシュウって八代集?」
「へ?…あ、後拾遺和歌集?…どうだったっけ?カミーユ、わかる?」
「……資料集ひきなよ」

わからないんじゃん、とルーが言いながら古文資料集を開いた。プリントには、『次のうちから八代集を選べ』の設問と、ずらりと並んだ古典文学のタイトル。まじまじとそれを見つめていると、三人の会話(と呼べるのだろうかこれは)から外れていたジュドー君がその上にトランプを出した。

「気分転換に大貧民しようよ!」

大貧民?

「大富豪じゃないの?」

私が首をかしげていると、カミーユが振り向いてそう言った。大富豪、それならわかる。

「え?大貧民でしょ?」
「そうだよ、ルーさんの言うとおり。大貧民!」
「はあ?大富豪だろ?だよな、ジェーン?」
「私、大富豪だと思ってた…違うの?」

それからしばらく、やれ大富豪だやれ大貧民だの不毛な争いがカミーユとジュドー君の間で続いていた。ルーはさっさとプリントと資料集のにらめっこを再開させて、問題を解き終わっている。私は、三次関数の滑らかな曲線が描かれた問題集を見ながら、面積の公式を思い出そうと頑張っていた。けど、思い出せない。数学が得意なルーに聞こうかな、と思っていたら、逆にルーが私の制服を引っ張った。

「なに?」
「ね、見てよアレ」

ルーが指差した窓の外、校庭を見てみると、ガトー先生がいた。外にいるなんて珍しいな、剣道部顧問なのに。

「ガトー先生がどうかしたの?」
「いいこと思いついたのよ!」

ルーは弾かれたように向きを変えると、未だに争っているカミーユとジュドーに、その“いいこと”を話した。ジュドー君はワクワクした顔つきで、カミーユは対照的に呆れた顔をしてみせた。

「…馬鹿馬鹿しい」
「面白そうじゃん!買った人はハーゲンダッツね!」
「カミーユもやろうよ!気分転換になるって!」
「ジェーンはどうするの?」

ルーの言う、“いいこと”というのは…
『ガトー先生の髪を束ねている紐を、気づかれずに解いたら勝ち』
という、なんともいたずら心満載なゲーム。でも、確かに楽しそう。それに相手があのガトー先生って言うのがまた、難易度的に難しそうだけどいけそうな、丁度いいライン。もしシロー先生だったらなんか簡単そうだし、ギニアス先生は半径3メートル以内に侵入するのが難しそう。

「おもしろそうだからやる!」
「決まりね!ほら、行くわよカミーユ」
「ちょっ…なんで俺まで入ってるんだよ!」



校庭のガトー先生は、剣道部の部員を走らせていた。天気がいいしね。外に出ただけでも気持ちがスッとする。カミーユもなんだかんだでやる気はありそうだ。

「いい?まず気づかれたらアウト。それから、『髪を触らせろ』とか、そういうおねがいをするのも駄目」
「難しそうね…」
「…頭の使い方次第ってことだろ」
「楽勝!じゃあ、みんないっぺんに行く?」

一番乗り気なのはやはりジュドー君だった。彼が最初に行くのかと思っていたら、なんとまずカミーユが名乗りを上げた。意外だな、と思っていたら、カミーユ曰く“先手必勝”なんだとか。残された私たちは校舎の影からカミーユを見守る。
同じように、ガトー先生は校庭のブロック塀の低いところに腰を下ろして、部員達の走りっぷりを眺めている。そういえば、あんなTシャツ姿って初めて見るかも。

「何アレ…」

ルーが笑いをこらえている。カミーユったら、まるでアニメのスパイみたいに物陰から物陰へ姿を隠しながら先生の方へ接近している。その姿は、かなり怪しいし、かなり滑稽。と言っても、校庭に身を隠してくれるようなものは木ぐらいしかないし、その間隔もたかが知れている。カミーユは諦めて、何気なく歩いているフリをすることに決めたようだけど…。

「あー、あれは絶対気づかれてるね」
「しかも警戒されてるとみた」
「あんな歩き方じゃしょうがないよね」

しかめっ面のカミーユが何も出来ずに戻ってくると、忍ばせるような笑い声が私たちを包んだ。尚更機嫌を悪くしたカミーユは、次は私に行ってこいと言う。

「なんで!なんで私!?」
「ジェーンが一番笑ってただろ!」

ルーもジュドー君も笑いながら“いってらっしゃい”と手を振っている。こうなっては、腹をくくるしかない。私はカミーユとは逆に、最初から走ってガトー先生のほうへ向かった。もちろん、先生も私が駆け寄ってくるのに気づいてこちらを見る。
私は断りも無しに先生の隣に腰を下ろして、制服のセーターの下に忍ばせておいた、A5版の数学のテキストを取り出した。ふふ、頭を使うというのはこういうことよ、カミーユ。

「どうした?バーキン」
「先生…私、どうしても積分の問題が解けなくて…。今、いいですか?」
「ああ、構わない。熱心だな」

ふっと軽く微笑んだ先生に、ちくりと胸が痛んだ。ゲームの標的になっているとはつゆ知らず、こうして生徒の質問にも答えてくれるなんて…ああでもやっぱ私だってハーゲンダッツ食べたいし。
先生は私の手から教科書を取って、積分の最初のページを出した。そうして、先生が熱心に説明してくれている間に、紐を取ってしまおうと思っていたのに、右手も左手も動かない。低い声をずっと聴きながら、真昼の太陽の熱が私の頭を熱くしていくのがわかった。めまいがする、気がした。

「…そういうわけで、面積を求めるときはこの公式に……バーキン?」

ぼうっとする頭で生返事をしていた私に気づいた先生が、心配そうな顔をして覗き込んできた。

「どうした?熱でもあるのか?」
「いえ…あの、大丈夫です」

いままでよりもずっと、顔が近づいている。あ、今がチャンスなのかもしれない。私はそろりそろりと右手を上げ始めた。

「…ちょっと熱いな」

けれど私の右手は空中で止まった。それどころじゃない。私の体は、心臓までとまりそうだった。私のおでこと、先生のおでこがくっついている。あまりに突然で、一体何をどうすればいいのかわからない私の横で大きな声がした途端、視界が暗くなった。

「取りっ!やったね!俺の勝ちー!!」
「な…!?」

高らかに勝利宣言をしたのはジュドーだった。いつのまに、どうやってここまできたんだろう。束ねられていた先生の髪はばさりと下に落ちてきて、私の視界が暗くなったのはそのせいだと気づいた。先生も突然、紐を解かれてびっくりしたみたいで、勢いよく振り向いたせいで毛先が私の頬をかすめた。なんだか、いい匂いがした。

「ジュドー・アーシタ!何をする!!」
「ごめーん先生!今度返すから!」

ジュドーはそのまま走り去っていった。カミーユとルーがいるほうに。追いかけようとした先生は、私とみんなを見比べて、心配してくれたのかどうかわからないけど、私の隣に座ったままだった。
長い、銀色の髪をかきあげながら先生はため息をついた。見慣れないし、なんだか、その、かっこいい。
先生は私のほうを見ながら言った。視線がなんだか痛い。

「勝ち、というのはなんだ」
「……さ、さぁ?」
「君も組んでたのか?」
「ち、違います!」

本当は違わないんだけど、私も加わってるのは、それはそうなんだけど、でも、

「あの、この熱は…本当なんです」

- end -

20080921