Garma Zabi

つくづく、感心すること。こんなに強い日差しの中で、あんな激しい運動が出来るなんて、ね。


来月のコンクールに出す絵を、私は数ヶ月前から描いている。もちろん、一枚の絵にそんなに時間をかけているわけじゃない。あーだこーだと試行錯誤しながら埋まってしまったスケッチブックはもう数え切れない。気分がのらないわけじゃないけど、納得いく作品ができない。同じ美術部の部員の中には二枚目に取り掛かってる子もいるのに・・・そんな焦りまで、私を急かしていた。

そのうち、油絵の具の匂いが充満してる美術室にいてもどうにもならないと思って、私は大きなスケッチブックと鉛筆の入ったケースを抱えて校内をうろつき始めた。一週間前のこと。
被写体と言うか、モデルというか、それを求めてテニスコートの前に腰を下ろしたのも、一週間前。
ウチのテニス部といえば結構強いから、部員なんてそれこそ山のようにいるのに、私はこの一週間、ずっと同じ影だけを追ってる。

視線の先で、レモンみたいな色のボールを追っているのは、ガルマ・ザビさん。
学年は一つ上、成績優秀でしかもテニス部の主将。生徒会長のシーブックさんとはまた違う意味での模範的優等生。
それだけじゃない。
ガルマさんのお父さんはよくテレビにも出てる大物政治家でこの学園にはかなりの額を寄付してる(らしい。エルが言ってた)。お兄さんも若手議員、お姉さんは海外で活躍してて、それから下のお兄さんは、お母さんは、・・・なんてキリがないけれど、ようするに雲の上の存在みたいなものだ。

そんな彼が、私らみたいな“パンピー”と同じ学園に通うなんて、ちょっとありえない感じ。実際、理事長とガルマさんのお父さんが旧知とかじゃなかったら、こんなところにいないんだろうなあと思う。

学年が違うし、ガルマさんのことはテニス関係の表彰とかでしか聞かない。
人物の動きをスケッチするフリをしながら、私は彼と、彼をとりまく人物を観察していた。

わかったこと。

ガルマさんはいわゆるお坊ちゃまみたいに偉ぶったりしない。そういうの、壁とか?感じさせないように気を遣ってるみたい。後輩の面倒も見てるし、自分の練習をしながら部全体の練習の流れも気にかけてる。そうそうできることじゃない。休憩中に部員と話してる姿も、“パンピー”諸君と大差ない。意外。
日よけのバイザーから時折見え隠れする眼差しはキラキラしてて、テニス楽しいんだろうなあとか、ちょっとした憧れみたいなのを私の中に確実に植えつけていった。

そして今日も木陰の中に腰を下ろして、テニス部、というよりガルマさんの練習をみていた。いつもと違うのは、彼が打ちそこなったボールが、開いていたフェンスの出入り口から私の足元まで転がってきたこと。

「ありがとう!投げてもらえる?」

ボールを拾い上げた私に、小走りでやってきたガルマさんが声をかけた。咄嗟に何もいえなくて、無言で頷いてから私はそのレモン色のボールを投げた。
易々とキャッチして、彼はにっこり私に微笑を投げかける。何もいえなかった自分が無性に恥ずかしくかった。投げたときの逆光とあの笑顔がいつまでも眩しかった。


『とは言っても、あの状況で何を言えばよかったのかしら』

ずずず、と細いストローでアイスコーヒーを飲み干してから、私は同じものをもう一度注文するためにカウンター席を立った。
ここは帰り道にあるチェーン店のカフェ。学生にも良心的な値段だけど、コーヒーの味は中々のもの。気に入っているから、たまにこうして時間をつぶしてしまう。店内に、客は半分とちょっと。
レジ前で注文と支払を終えて、ガムシロップとミルクを一つずつ手にとって、席に戻ろうと踵を返した私は、一瞬びっくりして立ち止まってしまった。後ろに並んでいたおじさんにぶつかりそうになって、すいませんとかろうじて言えたぐらい。そのくらい驚いた。
もう一度、見間違いじゃなかろうかと思って見てみるけど、私の席の隣にしれっと座っているあの紫色の髪はガルマさん以外に心当たりはない。いや、ガルマさんがそんなところに座ることにも、心当たりはないけれど。席は他にも空いているのに。
一人・・・かな?ひょっとして待ち合わせとか?いや、だったらなおのこと誰かいる席の隣になんて座らないはず・・・荷物は置きっぱなしだし・・・。

「あのう・・・」

無言で席に着くのもおかしいと思って、私は軽く声をかけてみた。右手に持ったアイスコーヒーが冷たくて、ちょっと辛い。

「あ、やあ!」

ガルマさんは振り向くと、まるで長年の親友のように笑顔で返事をしてくれた。なにかすっきりしない。はて、私とガルマさんに面識なんてあったかなあ?
考えても思い当たることなんてない、あるはずが無い。ますます謎ばかりが増えて、しかもなんと声をかければいいのかわからなくて、とりあえず私は腰を下ろした。

「突然僕が座っていたから、驚いたでしょう?」

まるでいたずらっ子のように、ガルマさんは言った。ええ、そりゃあもう驚きましたとも。輪切りのレモンが浮いているグラスをストローでかき混ぜる手つきは優雅で、でも、その脇に空のガムシロップが転がっているのにも気づく。ああ、甘党なのかな。というかこんなやっすいお店に来るのか、この人は?どんどんイメージが上書きされていく。

「ええと、お、驚きました」
「そうだよな」

じゃあ何で?とは聞きづらい。私はグラスの中にミルクとガムシロップを注いで、できるだけ優雅に見えるようにかき混ぜた。所詮、無駄な努力なんだけど。

「コーヒー、飲めるの?」
「え?はい・・・甘くしないと無理ですけど」

藪から棒に何を?

「甘くしても、僕はコーヒーが飲めないんだ」
「・・・コーヒー牛乳は?」
「うーん・・・飲めるかもしれない」

意外。でもどっちかっていうと紅茶のイメージだなあ。そう伝えると、ガルマさんは苦笑した。なんか悪いこと言ったっけ?

「紅茶ぐらいならまだかわいい方なんだけど、時々変なイメージを持たれてて、それに困らされることがある」
「例えば?」
「黒塗りの車で送迎とか、服は全部オートクチュールとか、家ではバスローブとか・・・」
「最後のはないなあ」

面白くって、ちょっと笑ってしまった。前髪?をいじりながら、ガルマさんは軽く笑った。ちょっと安心してるようにみえるけど、これって私の緊張をほぐそうとしてくれたのかなあ。やっぱりいい人なのかもしれない。

「名前を聞いてもいいかな?」
「ジェーンです。ジェーン・バーキン」
「ジェーン、ちゃん、」
「呼び捨てでいいですよ」
「じゃあ、ジェーン」
「はい?」
「そのスケッチブック、」
「え?ああ・・・」
「いつも絵を描いてるだろ?ちょっと気になってね」
「あ・・・」

「見てたんですね」といいかけて、それを言われるのは私の方だと思った。見ていたもなにも、彼を描こうとしていたのだから、一週間も。幸か不幸か中身はラフなスケッチばかりで、「見せて」と言われてもそれがご本人とわかることはない、とは思っていた。甘かった。
軽い気持ちでスケッチブックを渡すと、ガルマさんは細い指先でゆっくり捲り始めた。洋書とか、そういうの捲ってる方が似合いそうな気がするし、そういえばテニスやってるなんて聞いたときもそんなイメージわかなかった。こんなこと言ったら、ガルマさんは落ち込むかなあ。
ストローを咥えてぼんやり窓の外を眺めていたら、不意に、というかぎくりとするようなことを言われてしまった。

「思い込みかもしれないけど・・・僕を描いてるのかな?」
「へっ?」

驚いて、ストローを吹いてしまった。大き目の空気の泡がグラスの水面に浮かんでくる。ああ、はしたない・・・。まるで見ていないかのようにスケッチブックを捲り続けるガルマさんは、まだ歳若い私の、初めて接する紳士だった。そう、思った。

「いや、これを見てそう思ったわけじゃなくて、その・・・いつも君の視線を感じるから」

絵の所為じゃなくて、私自身の所為だったか・・・。恥ずかしいやら申し訳ないやらで、とりあえずアイスコーヒーで顔の火照りを冷まそうとした。隣からも、グラスの中で氷がぶつかる音が聞こえる。

「あ・・・す、すみません」
「謝ってもらおうとかじゃなくて・・・その、思い込みの所為でもあるけど、ただ君に興味が沸いて」
「興味・・・ですか」
「うん、まあその、個人的に」

ええと、それはどういう意味で取ったらいいんでしょうか?

いつまで経っても視線を合わせることが出来なくて、ずっと窓の外を見ていた。もうすぐ、日が暮れていく。あの、眩しい太陽が姿を消してしまうのが残念で、私は目に焼き付けようとしていた。口先は、どうでもいいことばっかり紡ぎだしていく。

「・・・練習、観にいくのって、邪魔じゃありませんか?」
「とんでもない・・・邪魔にはなってない。けど、」

視線だけ、ガルマさんのグラスの中に残されたレモンの輪切りにむけた。ああ、太陽みたいだ、と思った。

「ジェーンの視線に気を取られすぎてる気が、しないでもない。今日は、ボールを君のところまで追いかけた」

勘違いしそうなことを言われてるはずなのに、赤い顔を冷ましてくれるコーヒーもレモンティーも、お互いもう、飲み干していた。

ガルマさん、運動の所為じゃなくて火照ってる頬、期待してもいいんですか?

- end -

20080518