Jerid Messa

お向かいのジェリドくんとは、もうかれこれ10年以上の仲だ。

と言っても単なる近所づきあいで、ジェリドだって(実際のところ、私のほうが一つ年下なんだけどこう呼んでいる)、私よりも仲のいい女の人なんてたくさんいるに違いない。

そうだ。小学校に入る前はジェリドなんてジェリドだったのに(こう言うとみんな変な顔をするだろう、が、こう言う以外になんとも形容しがたいのだ)、中学とか、高校に入った頃からジェリドが突然モテだした。
気に入らない。
何で気に入らないのかというと、幼稚園のころは好き嫌いが多くて小学生のころはピンポンダッシュだのなんだののいたずらばかりして中学生になると年下の私に勉強を教えてもらって、高校に入ると『夜は危ないからお前送ってけってお袋に言われた』と毎日律儀に迎えにくるのにそのたびに袖にされているあのジェリドがモテているのが気に入らない。気に入らないから『送迎』を断っているのか、そんなんであっさり引き下がるジェリドが情けないのか、はたまた高校生にもなって母親を言い訳がましく引き合いに出すジェリドに辟易しているのか、私にもよくわからない。
ただ、やっぱり私にはそういう話題は何にもなくて、ジェリドにばっかりそういう話があるのはやはり気に入らない。


話は変わるがミノフスキー学園には音楽室が二つある。大きさは同じくらいで、ただし一つの部屋は機材室が大きくて、一つの部屋にはちょっとした雛壇がある。前者が吹奏楽部用、後者が合唱部用。私は合唱部だから、雛壇があるほうの部屋をよく使っている。合唱部は男女合わせて30人ぐらいで、女子のほうが少し多い。私は大体、雛壇の下の真ん中ぐらいでソプラノの担当。どういうわけかそれなりに実力があるらしく、独唱でコンクールに出ることもある。というか、そういうコンクールの話になると何故か私がその出場枠に入ってしまう。そしてこれまたどういうわけか、新任の音楽の先生にも気に入られて毎日個別レッスンがあるのだ。本当にどういうわけか。
最初はちょっとカンベンして欲しいとは思っていたものの、その先生、ララァ先生というのだが、割と私と気が合うようだしあわせてくれるピアノもなんだか歌いやすい気がして、今となっては居残りも楽しみになってきている。
そういうわけで私は他の部員よりも遅くまで残っているので、ジェリドが迎えに来るようになってしまったのだ。
きっとうちの母親あたりがぽろっとこぼしたのに違いない。

「いらない」

無表情なのだが、他人から見ると仏頂面で私は呟く。
愛想が悪いと言われてなんだか友達は少ないけれど、休み時間に大声で笑いあったりしないでいい分、喉のコンディションを保つための面倒くさい努力が少なくて私は助かっている。

「来なくて良いもん」

ジェリドはスポーツバッグを提げた肩をすくめた。ため息までついている。

「もう帰るからね。―先生、ありがとうございました」
「気をつけてね」

ララァ先生はいつものようにエキゾチックでなんだか何を考えているのか読めない微笑だった。大方、このやり取りが毎日続いているもんだから呆れているんだろう。
譜面と教科書の入ったカバンを片手に歩き出すと、その後ろをジェリドがついてくる。
毎日、こんな感じだ。
ジェリドはすでに下足を持ったまま音楽室まで来ているから、場所が違う下駄箱でもぴったりとついてきて、結局家に入るまで見送られてしまう。癪だ。
お見送りとあわせて毎日の恒例がある。ジェリドはいつもポケットから飴やらチョコやらを取り出して、私に一つくれる。もう一つは自分で食べている。毎日、時間が時間だからおなかはすくし、さりとて早く家に帰りたいから寄り道もしたくない(第一ジェリドがいるからさっさと家に帰りたいのもある)私にとって、それはちょっと、ほんのちょっとだけ楽しみだった。
けど、今日のそれはちょっと違う。

「なんだかすごく、豪華な包み…」

金と黒のストライプ柄の包みをくるくるしていると、ジェリドが口の中に放り込みながら、

「もらった」

一言だけ、何気なく言った。
こんな豪華なもの、誰からもらったのかと問うと、

「あ?いやなんか、くれるんだよ。女子が」

俺ってモテるから。なんて言っている。それを聞くとなんだか無性にイライラしてきて、足を止めてしまった。自然、先を行くようになってしまったジェリドが何事かと振り向く。
その顔が、本当に何の心当たりもなさそうで余計に腹が立って、

「いらない」

包みをつき返してしまった。

「なんでだよ?美味いぞ?」
「いらない」

今までも何度も言ってきた言葉なのに、今のはいつもより嫌そうに言っているのが自分でもわかる。
それと同時に、迎えに来られるのは別にいやじゃなかったのかもしれないと、初めて思い当たった。それは私をものすごく動揺させる。

「やだもん。女の人からもらったのなんて、いらないもん」
「…んなこと言ったってなぁ、お前…今までの中にだってもらったやつはあったぞ?」
「なんでそんなのくれるの!わかってたらもらわなかったのに!」

気づいたら、普段出さない声の大きさが出ていた。

「なんでそんなんなのに私のこと迎えにくるの?なんで?なんで、受験生なのにこんなんしてる暇があったら勉強すればいいのに、私に教えてもらうくらいじゃん。だからいらないって言ってたのに、なんで?」

視界が滲んできていた。何を言っているかもよくわからなくなって、手のひらをぎゅっと握り締める。
豪華な包みの中身はキャラメルかチョコレートか、ぐにゃりと変形した。
ローファーのつま先を見つめながらどうしようもなくて途方にくれていると、ジェリドが私の頭の上に手を置いた。

「お前はさぁ、ジェーン、そういうとこ変わってねーよな。部活とは大違い」

ぽんぽんと軽く叩いた後、小突かれる。

「俺がいなきゃどうしようもねーだろうなあ…来年からはいなくなるかもしれないんだぜ?」
「……いなくても大丈夫だもん」
「どうだか?心配したりヤキモチ妬く相手がいなくなると張り合いが無いかもなぁ」

思わず手を払いのけてジェリドを見上げると、ちょっとニヤニヤしながらジェリドがうなずいていた。
必死に押し隠していたのに、今のわけのわからない文句でジェリドには全部伝わってたのだろうか。
今の疑問すらわかったように、ジェリドは私の手を引いて歩き出す。

「何年見てきたと思ってるんだよ。お前のことは多分お前以上に知ってるぜ」

滲んだ背中が大きく見えた。
多分、ジェリドは私が思ってる以上に大人になってきているんだろう。空手部の主将だし、もうすぐ大学生だ。
それに比べて私はいつまでもわがままで独りよがりで友達も少ない。
そういう、目に見えないギャップを認めたくなくて私はジェリドを避けていたんだろう、多分。

「ヤキモチやかれるのも悪かねぇなぁ」

間の抜けた声で笑いそうになりながら、ジェリドが呟いた。
即座に否定してやりたかったけど、結局「うるさい」と言うだけで私は黙り込む。
ちょっとずつでも素直になれば、きっと何かが変わる気がした、そんな夏の夜だった。

- end -

20100503