汗かくの嫌いだし、体育着に着替えるのも面倒だから、大体こうやってサボってます。
「せんせぇ〜マジお腹痛いの・・・」
「ジェーン、いつもいつもそうやってサボってんのは感心しないよ?」
ギィ、と音を立てて回る椅子に座るのはシーマ先生。怒ってる、というより呆れている。しょうがないし、今に始まったことじゃない。それでも少し罪悪感はあるけどね。しかし今回はマジでおなか痛いのだ、女子ゆえの痛み。
「いや今回は本当、バファリンください」
「・・・しょうがない子だねえ。ほら、それ飲んでさっさと見学にいきな」
「はあーい」
冷蔵庫のミネラルウォーターを貰って、鎮痛剤を飲み込む。薬がすぐに効くわけじゃないから腰はまだ痛い。いつもならシーマ先生と話したりして時間を潰すんだけど、今日は先生も忙しいみたい。私は言葉に従って保健室を出た。
グラウンドには向かわずに、自販機で紙パックのジュースを買った。お気に入りの場所でこれを飲みながらぼーっとしようかな。
校舎の外の自販機に向かって歩いていた、その時。
「こぉら!お前達!授業に戻らんか!!」
二階から突然大声が聞こえた。一瞬、自分のことかと思ってびっくりしたけれど、見上げた先の声の主の視線は明らかに私じゃない方を向いてる。校舎の出入り口からバタバタと数人の生徒が走ってくる音がした。きっと怒られてるのは彼らだろう。私のいる方へ向かっているのかはわからないけれど、なんとなく身を隠してしまった。
校舎の陰から様子を見ていると、男の子が3人走っていった。速い。どうでもいいけれど感心してしまう。そのあとに続けて明るい水色の髪の・・・ああ誰だっけ、あの人。
「こら!止まれといってる!」
「止まれって言われて止まる奴がいるかよー!」
「このっ・・・!」
「センセー、自習監督しなくていいのかい?」
追いかけっこは目の前を通り過ぎていった。あんな先生、いたっけ?
「くそっ、足の速い奴等だ・・・」
彼は自販機の前で足を止めた。じっと顔を見てると思い出してくる。教育実習生だ。いつかの朝礼で紹介されてた。名前、なんだったっけ?
ジュースのパックにストローを刺しながら考えても思い出せない。まあ、自習監督がどうのこうの言ってたからこっちに来ることはないと思うけど・・・なんて思ってたら何故かその彼は私の方へ向かってくる。やばい、でも先はフェンスで行き場所がない。
ええい、どうせ見つかるのなら、と私は思いきって足を踏み出した。
「うおっ!なんだ君は!」
案の定・・・いや、思ったよりもずっと大きなリアクションが返ってきたので私の方が驚いた。怪訝な目つきなのも無理はない。だって今は授業中だもの。
「体育を見学してたら気分が悪くなって・・・日陰で休ませて貰ってたんです・・・」
我ながらとっさによくこんな言い訳が浮かんだと思う。が、片手にジュースを持った見学者がいるはずもない。しまったと気づいたが遅かった。
「ん・・・?そうか、保健室に行かなくていいのか?」
「は?あ、いえ、しばらく休んでたらよくなると思うので・・・」
思ってたよりも鈍いと言うか、なんというか・・・これじゃあさっき生徒に逃げられてたのも納得だ。私が自販機前のベンチに腰を下ろすと、彼も何故か隣に腰を下ろした。
「あの・・・」
「ん?」
「自習監督、行かなくていいんですか?」
「・・・そうだな」
・・・そうだな、って。なんなんだろうこの人。ぱっとしないスーツの胸元にはネームプレートみたいなものがついている。生徒に名前を覚えてもらうためなのだろうか。マシュマー・セロと書かれている。
マシュマーさんはため息をつきながら上半身を前方に軽く倒して、両手を組んだ。長めの髪が頬にかかっている。
「なんか・・・悩んでるの?先生?」
「え?」
意外だったのだろう、先生は私のほうを振り向いた。
「言っちゃあなんだけど、私、人の相談によく乗るんだ。・・・まあ、年上の人の相談なんて乗ったこともないんだけどさ。でもほら、話してみればなんか楽にはなるかもしれないよ?」
誰かに聞いてもらうだけで気分が楽になるってのは私自身もそうだし、私に相談事を持ちかけてきた友達もよく言ってること。なんてことを言ってもそれに乗ってくるなんてないと思ってた。
「・・・君、名前は?」
「ジェーン」
「そうか。ジェーンも授業をサボってるんだろ?」
「え」
ばれてたのか。当たり前と言えば当たり前で、それがマシュマーさんにばれた元凶のジュースを私はストローから吸った。
「そしてジェーンは俺に何か言われても授業に戻る気はないんだろう?」
何を言ってるのか良くわからなかった。おぼろげにわかるのは、マシュマーさんは私がサボってるのに気づいてて、気づいていながらそれを咎める気はないのだということ。
それでいいのか教育実習生。
「言うことを聞いてくれる生徒がいないわけじゃないが、そうではない生徒の方が余計に、疲れる。同時に、俺は教師に向いてないんじゃないかとか、思う」
今度は弱音かよ。あまりの消沈ぶりを目の当たりにしていると、つっこむのもなんだかかわいそうな気がしてくる。
「やめちゃうの?」
「・・・・・・」
マシュマーさんは答えない。
「なんかさ、情けないよそれ。そんなんでへこたれられたら生徒としてもなんか、嫌だな。生意気言うようだけど」
聞いているのかいないのか良くわからない瞳だった。構わずに私は続けた。
「私だってさあ、学校嫌いだけど毎日来てるよ。なのにさ、そんくらいでやめちゃうの?」
「やめるなんて言ってない」
だーもう!ウジウジしてる奴は年齢性別を問わず好きじゃない。
「大人ってさ、もっとしっかりしてると思ってた」
気まずい沈黙。言いかたが生意気すぎたかなあなんて後悔していた。けれどそんなこと気に病んだってしょうがないので今度はマシュマーさんを励ましてみる。
「ほら、ネクタイ緩んでるよ。物事は格好から入るのも大事だっていうじゃん?クワトロ先生みたいにビシッと決めたらなんか変わるかもよ!」
手を伸ばして紺色のネクタイを締めた。締めすぎたのか、マシュマーさんは、ぐえっと妙な声を上げた。その後少し咳き込んで、ぼそりと何か呟いた。
「なに?」
聞き取れなかった私は聞き返す。
「大人じゃない、なんて言ったら・・・」
「そんなズルイこと言うのは大人だね、って言う」
「そうか。手厳しいな、ジェーン」
苦笑するマシュマーさんの視線はどこを指しているのかわからない。
なんだか面倒ごとに巻き込まれちゃった気がしないでもないけど、体育の時間が終わるまでならこの人を励ましてあげてもいいかな、なんて思った。
- end -
20080702