Seabook Arno

小さい頃って何の迷いも無くって、明日とか未来とか、確実に約束されてるものだって、信じてた。


2限と3限のあいだの休み時間、私は友達と一緒に次の音楽の授業のために廊下を移動していた。クラスがある棟とは違うから、少し時間がかかるのが難点。でも、もうすぐ見える中庭を突っ切っていけば移動時間が少なくて済む。ほんとは、上履きで渡っちゃいけないんだけど。

初夏に近づいて、中庭の花壇は色とりどりの花を咲かせていた。ああ、もうすぐ夏服で、梅雨も始まるな。なんて思ってた私の目に、とても懐かしい人物が写りこんだ。
そわそわと所在なさげに視線をさまよわせていた彼女は、どうやら私に気づいたらしくこちらに向かってかけてきた。安心したような、嬉しそうな笑顔につられて私も顔をほころばせた。

ジェーンお姉ちゃん!よかった!」

お姉ちゃん、と呼んでくれるけど、彼女、リィズ・アノーは私の妹ではない。初等部の可愛らしい制服が、高等部の敷地内ではやたら目立っている。心細かったのだろう。

「どうしたの?リィズちゃん、こんなところで」

抱き着かれた衝撃で体が後ろに揺らいだ。

「あのね、お兄ちゃんがお弁当忘れて行っちゃったから、届けにきたの」
「シーブックが?」
「うん。今高校3年生は朝補習があってるでしょ?いつも早く行っちゃうから・・・」
「あ、そうか。リィズちゃんは偉いね」

ふふ、と得意げな笑みを浮かべるリィズを見ていると、小学生は可愛いなと思う。同時に、こんな妹なら本当に姉妹になりたいとも感じた。“約束”を思い出しながら。

「でもね、お兄ちゃんがどこにいるかわかんないし、休み時間はもう終わっちゃうから・・・」

表情を曇らせても、彼女の可愛らしさは損なわれることが無い。あの頃、私とシーブックがリィズくらいのとき、私達はどんな子供だっただろうか。

「お願い!お姉ちゃん、これ、お兄ちゃんに届けて!」
「え?あ・・・リィズちゃ・・・」

私にネイビーブルーの弁当包みを押し付けるや否や、彼女は初等部のほうへ駆け出して行った。引き止めることも出来ない。私だって、次の授業に遅れてしまう。しょうがない。昼休みにシーブックのクラスに行くしかないか。幸か不幸か彼は高等部では有名人だ。なにしろ、生徒会長。諦めかけてテキストと一緒に弁当を抱えると、成り行きを見守っていた友人が話しかけてきた。

「ね、あの子生徒会長の妹なの?」
「うん」
「へぇ、ていうかジェーンはなんで仲がいいの?」

軽く、説明をした。“約束”のことは隠したまま。

所謂、幼馴染だった。小さいころはよく一緒に遊んだ。
公園、寄り道、秘密基地。なんだって一緒だった。お風呂だって一緒に入ったりした。

こんな、ささやかな会話だって、いつも繰り返してた。

『リィズはね、ジェーンおねえちゃんがほんとの、おねえちゃんになってほしいの』
『じゃあ、わたしとシーブックがけっこんしたら、おねえちゃんになれるよ!』
ジェーン、それほんと?ほんとに、リィズのおねえちゃんになれるの?』
『ほんとだよ!だって、ママがいってたもん!』
『おにいちゃんと、ジェーンおねえちゃんがけっこんしたらいいの?おねえちゃんになるの?』
『ほんと!』
『ぼく、ジェーンのことだいすきだから、およめさんになってよ』
『うん!“約束”よ?シーブック』

思い出せば顔が赤くなるような、あどけない“約束”。ずっとこんな風に時間が過ぎていくと思っていた。

それまで一緒に遊んでいたシーブックとの間に距離が出来だしたのは、彼が中学になったころ。お互い、家に遊びに行ったりすることもなくなった。私も彼も成長して、昔と同じように、とはいかなくなった。そういうものなのだろう。学校ですれ違っても、学年が違うし、彼は成績優秀な生徒会長、話をすることもない。
“約束”を頭の片隅に抱えたまま成長した私は、それを少し寂しいと感じる。シーブックがどうなのかは、知らないけれど。

そんな昔のことを思い出しながら、音楽の授業中、アイナ先生の奏でるピアノをぼんやり聴いていた。


「あの、し・・・あ、シーブックさんいますか?」

3年生の教室を訪ねた私は、入り口の近くにいた男子生徒に声をかけた。他人行儀すぎる“さん”付けに違和感を感じながら。

「あ?シーブック?・・・おいジョージ!アイツどこにいるんだ?シーブックは」
「屋上だろ」

ジョージ、と呼ばれたおとなしそうな彼は、大きな眼鏡の彼にそっけなく答えた。一言礼を言ってから、私は屋上への階段へ向かった。
屋上で、シーブックは何をしているんだろう。お弁当はないし・・・ああ、売店で何か買ったのかな。

ゆったりと雲が流れている。私がドアを開けると、フェンスに凭れていたシーブックを見つけた。彼もこちらを見ているけど、やはり驚いたような顔をしている。お互い無言のまま、私は彼のもとへ歩み寄り、スカートのプリーツを崩さないように気をつけながら隣に腰を下ろした。

「これ、リィズちゃんに頼まれて」

無愛想すぎるかな、と、言った後に後悔した。けれどシーブックは意に介さないような顔をしている。

「リィズがジェーンに頼んだのか?」
「うん。中庭でつかまっちゃって」
「そっか、悪いな」

制服のネクタイを外して、ブレザーは脱いだまま放り投げている。いつもはパリッとした印象なのに、どこか、一緒に草むらを走り回った昔の彼のようで。いつも優等生みたいに振舞うより、ずっと似合ってた。こんなこと思うのは幼馴染の私ぐらいかもしれないけど。
シーブックは、サンドイッチで簡単な昼食の最中だった。やはり売店で買っていたのだ。

「食う?」
「え?」

差し出されたのは、まさに今の今まで彼が食べていたサンドイッチ。プラスチックのパックに入ってるそれはまだ結構残ってる。小食な私の昼食にちょうどいいくらい。

「だって、弁当来たし。あ、もう食べたとか?」
「ううん、食べてないけど・・・」

正直、気まずいような感じになりそうだったから、すぐに教室に戻ろうとしていたんだけど。

「ここ、気持ちいいし。昼飯食うんなら最高なんだけど・・・」
「・・・じゃあ、いただきます」
「うん」

横顔を盗み見ると、やっぱりあの頃とは全然違ってた。眉の形とか、口元とか、変わってないのに、というか何が変わってしまったのかわからないけれど、私もシーブックもあの頃とはまるで別人になっていた。

「勉強、大変?」
「ん?・・・ああ、まあそりゃね。朝早いのはキツイな」
「そっか・・・来年私もそうなるのかあ」
「進路、どうするの?」

とりとめのない会話の合間に口にするサンドイッチのカラシが鼻にツーンとくる。

「まだ決めてない」
「文系?」
「ん、数学出来ないからね」
「ほら、あれは?ジェーンさ、リィズによく本読んでただろ?面倒見いいし、先生とか向いてるんじゃないの?」
「あー・・・あれは先生っていうより・・・リィズちゃんは妹みたいな・・・」

あ、と気がついた時には口に出していて、“約束”のことを思い出していた。シーブックは、覚えてるのかな。

「どうした?」
「え?ううん、なんでもない」

やっぱり覚えてないよね。何歳の頃だったかは私だって覚えてないくらい、昔のことなんだし。涼しい風に、前髪をさらわれた。一瞬暗くなった視界に、ピンク色の何かが現れる。

「そ?飲む?」

差し出されたのは紙パックのいちごオーレ。昔から苺好きだったよね。こういう、どうでもいいことは変わってないくせに、かわいい“約束”は覚えてないのか、ふーん。

「甘いよ」

ストローから一口飲んだ。昔は、こういう甘ったるい飲み物を私もよく飲んでいた。

「美味いと思うけど」
「味覚がおこちゃまなんじゃない?」

なんとなく、仕返しもこめてシーブックをからかうと、彼は軽く笑いながらこう言った。

「かもね。俺、あの“約束”だってまだ覚えてるし。ガキなんだろうな」

瞼をぱちぱちさせながら、その言葉の意味を反芻した。ずずず、といちごオーレを飲み干す音だけが聞こえた。あ、間接キスじゃん、とか、後一口飲みたかったな、とか、考えてるんだけど考えるだけで頭がうまく働いてくれない。ついでに視線もあわせることができなくて。
でも、“約束”覚えてたんだ。それがなんだかほっとしたような気持ちで、嬉しくて、私までこんなことを口走ってしまった。

「それじゃ、私もおこちゃまじゃん。覚えてるもん」

お弁当持ってきたお礼に、いちごオーレでも買ってもらいたいな。

- end -

2008051