ヘラヘラしてる男の人は嫌いです。
「それってさぁ、嫉妬なんじゃないの?」
「はぁ!?」
お昼休みの教室。エルと私は仲良くお弁当をつつきあっている。ブロッコリーが苦手なエルのお弁当箱から、その緑色の野菜を。そして、プチトマトが苦手な私のお弁当からは、真っ赤な球体がエルの口に吸い込まれていった。
「嫉妬って、どういうことよ?」
「…だからさぁ、」
エルは頬杖をついて、フォークの先で私を指した。
お行儀悪いわよ、と言うと、エルは素直に口の中のトマトを飲み込みながら頬杖を外して身を乗り出してきた。
「他の女子と話してんのが気に入らないってさ、それって単なるジェラシー?でしょ?」
「…馬鹿馬鹿しい!」
話題の中心は国語担当のシロー・アマダ先生。男女学年問わず、ほとんどの生徒に好かれてる人気者。とはいえ、女子の過半数はシロちゃんシロちゃんとまるでアイドルかなんかのように懐いている。それを見るたびに、私は「バカじゃないの?」と思っている。
ということをエルに話したのだけれど…。
「そーお?いいじゃない、シロー先生。私は好きだなあ、優しいし!」
「エルまでそういうこと言うの?理解できない!」
「なによー。じゃあさ、ジェーンはどういうのがタイプなワケ?」
「え…そりゃあ、男らしく!寡黙で!そんでもって包容力のある人!」
「ガトー先生とか?」
「ダメ!すっごい厳しいじゃん!デートに遅れただけで死ぬほど怒られそう」
「…ギニアス先生」
「…包容力ある?」
「うーん…じゃあ…シロッコ先生?」
「無理。あのタイプは考えてることが全くつかめないから」
「はー…わかったわ」
「?」
「ジェーンって、死ぬほど理想が高いって事がね」
別に、理想が高いわけじゃないと思う。
男らしい男の人なんて、少なくなっただけで実際にはまだまだ絶対いるし(いないと困るし)、そういう人こそが男の中の男なんだと思う。
それなのに、シロー信者(今勝手に命名)ときたら、なんであんなに、ヘラヘラしてる芯の成さそうな人を選ぶのかしら。
「でもさ、」
そんなことを考えていると、エルが唐突に切り出した。から揚げを口に放り込みながら、私は続きを待った。
「あーいう、一見ナヨっとしたタイプに限って実際は男らしいと思うけどな、私」
「そんなさ、“街で不良に絡まれていたら、偶々通りかかった、優しくて腕っ節の良い素敵な男性が、『ええー!?あのシロー先生!?信じられなーい!』”…みたいな展開、あるわけないわよ」
息も切れ切れになりながら、身振りを交えた私の台詞に、エルは苦笑していた。
「別に、そこまで言ってないんだけどね…」
「あっ…」
少女マンガみたいな例えが気まずくて、私はウインナーが刺さってた串をくわえ込んで、俯いた。
学校が終わると、駅ビルの大型書店で毎月買っているファッション誌を買って、それからCDショップを回って、なんてことをしていたらあっという間に社会人の帰宅ラッシュの時間になってしまっていた。
『うっわ…満員電車、やだな…』
でも、この後少し時間をずらすくらいじゃ満員電車は回避できない。
自宅最寄り駅までの5駅間、ガマンしようと思って乗り込んだのが、運のツキだったのかもしれない。
『やだ…いやだ、やめてよ!』
痴漢。
声なんか出ないって、テレビで言ってたけど本当だった。周りにこんなに人がいるのに、いや、いるからかもしれない。全然声なんか出そうにない。
最初は、誰かの鞄が当たってるのかなと思ったけど、違う。明らかに体温のある掌が、意図的に私のスカートの上から、お尻を触っている。誰がやってるのかわからない。確かめたいけど、気持ち悪くて振り向くことなんかできない。
『早く…早く駅に着いて』
あと2駅だ。それまでガマンすればいいんだと自分に言い聞かせて、鞄をぎゅっと抱きしめた。
『えっ…!?』
なのに、あと少しなのに、痴漢の手は私のスカートの中に入ってこようとしている。
悲鳴すら上げられず、私は鞄を抱く手に力を込めた。さっき買った雑誌が入っているビニール袋と手の間が、汗でじんわり湿ってきている。
気持ち悪い。
涙が零れそうになったとき、電車は駅のホームに停車するために速度を落とし始めた。ガクンと乗客の体が傾いだのと同じタイミングで、聞き覚えのある声が車両の中に響いた。
「何してるんだ!アンタ!」
えっ、と思ったときには、誰もが声の主を振り返っていた。
「な、何してるって…何も…」
「嘘を言うな!あの子の体、触っていただろう!」
知らないオジサンの手をひねり上げているのは、紛れもない、
「せんせい…」
シロー先生だった。
乗客の間でザワザワが広がっていく。そうこうしているうちに電車はホームに滑り込んでいく。私はドアが開くのと同時に、「来るんだ」という、シロー先生の有無を言わさぬ口調と手に引っ張られて、ホームに下りていた。
「…どうかしました?」
オジサンと、女子高生。両手でそれぞれの手を引いていれば、皆の注意も引くだろう。近寄ってきた怪訝そうな駅員に、先生は説明をしていた。私は、どうしてだろう。何も言えず、恥ずかしいとさえ感じていた。
「やってないって言ってるだろ!」
「俺は見たんだ」
「証拠はあるのか?」
「あの…!」
駅員の前で押し問答をしていた先生と痴漢のオジサンの間に、気の弱そうな大学生らしい男の人が割り込んだ。
「本当です、その人…痴漢してました」
「な…!」
「俺、気づいてました…気づいてて、何もいえなかった」
申し訳なさそうに俯くその人は、シロー先生をまっすぐ見て、こう言った。
「あの、俺が言うのもおかしいんですけど、その子を助けてくれてありがとうございます」
「え…」
「あなたが助けてくれてなかったら、もし、その子がずっと心に傷を負ったままだったら、俺は一生後悔してたと思うんです」
その人は今度は私を見て、頭を深く下げた。
「俺に勇気がなくて…助けられなくて…ごめん」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか私の目から涙が溢れ出した。
その人を責めているわけじゃない。だけど、何かが切れてしまったように、私の視界はあふれ出す涙で歪んでいった。駅員がオジサンをどこかに連れて行くのが気配だけで感じられた。
先生は、ずっと私の手を握って、背中をさすっていてくれた。
「…君は、すごいと思うよ」
先生はにっこり笑って、大学生に告げた。その笑顔は、私がずっと嫌っていたもののはずだったのに、今は、すごく眩しかった。
「こうして証言しに来てくれたし、彼女に謝ってる。それだけでも勇気の要ることだよ」
「…でも、」
「あの…、先生の、言うとおり、です……」
ありがとう、と、私は二人に言った。涙声で、顔も歪ませながら、それでも二人の“男の人”に言いたかった。
「先生…?あ…君、ウチの生徒…?」
「き、気づいてなかったんですか?」
びっくりしたような顔で、先生はまじまじと私の制服を見ていた。
「いや…体が先に動いてしまって…」
バツが悪そうに頬をかく先生を見ながら、私はちょっと笑った。
大学生の彼も、「逆に男らしいですよ、教師って立場より先に行動するなんて」と、笑顔を見せていた。
「そう言ってもらえると、嬉しいけど…」
「うん、先生…ありがと」
エルの言うとおりだったな、と私はちょっと悔しい気持ちを抱きながら、先生の大きな手をぎゅっと握り締めた。
- end -
20081105