Paptimus Scirocco

「せんせ、また、カミーユと…ジェリド先輩がケンカしてますー!」

ぜーぜー息を吐きながら、空手部マネージャーの私はヤザン先生に言った。
そもそも、なんで顧問なのに図書室にいるのよ、おかしい。絶対おかしい。シロッコ先生と仲がいいってのも奇妙だ。おかげで武道場から職員室、さらに図書館まで走ったんだから。途中でギニアス先生に顔をしかめられ、ガトー先生に注意され、シロー先生にぶつかりそうになり、ついにクワトロ先生にぶつかった。転んだところをゲーツ君に見られて、大笑いされた。明日回し蹴りしてやる。マネージャーとはいえ、このジェーン、舐めてもらっては困る!

「またかぁ?…ったく世話の焼ける…」

ヤザン先生はものすごくめんどくさそうに椅子から立ち上がってから図書室を出て行った。念のために、開いたドアの隙間からのぞき見てみたけど、急ぐわけでもなくゆっくりと歩いている。あーあ、この間にあの二人がどうなってても、しーらない。
私は武道場に戻るのもめんどくさくて、第一疲れていたから大きくため息をつきながらヤザン先生の座っていた椅子に腰を下ろした。
図書館のカウンターの奥に、司書室はある。図書館の貸し出しとかそういう作業は図書委員がやってるみたいだから、私も他の生徒も、シロッコ先生が普段何をしているのか知らない。きっと私たちの知らない仕事があって、それをやっているのだろう、と信じたい。

「君は戻らなくていいのか?」

何かの本から視線を離さずに、シロッコ先生は言葉を発した。この部屋には私とシロッコ先生以外いないから、私に言ってるんだろう。細い指先がページを捲った後に私は返事をした。

「武道場から職員室まで走って、それからここまで走ったんですよ、疲れました」
「それはご苦労様」

本心で言ってるのか、わからない声音だった。ここから追い出したいようにも見えない。
そもそもよくわからない人だ。一年の時に同じクラスだったサラは憧れてるみたいだけど私には全然わからない。切れ長の涼しげな目元、綺麗な薄紫の髪、ヤザン先生とか、バニング先生とは好対照の白い肌。いつも寒色系の服を着ていて、なんだか触れられない何かのようだ。誰かがふざけて蝋人形なんていっていたのを思い出す。この人に、人間らしいところなんてあるんだろうか。なんとも失礼極まりない好奇心が起き上がってくる。しばし私はシロッコ先生を眺めていたけど、慣れているのか、それとも私のような人間は気にも留めていないのか、一瞥すらされなかった。

「せんせー、のど渇いたんで何かもらえませんかねえ」

沈黙が続くのも気まずくて、部屋の隅に置かれたポットと、インスタントコーヒーのビンと紅茶の包みを横目で確認しながら言ってみた。まあ貰える訳ないけどもらえればラッキーだ。このさい水でもいいし。

「コーヒーと紅茶しかないが?」

先生はようやく視線を上げて私に言った。予想外の反応だったのと、視線に驚いて、返事をするのが一瞬遅れた。
他の先生だったら、用が無いならと追い返されてもいいようなことを言ったつもりだったんだけどな…。

「もらえるんですか?」
「私も飲もうと思っていたからね」
「じゃあ私が淹れます!」

ガス圧チェアーの反動を使って私は立ち上がった。シロッコ先生の机の横を通って、ポットのほうへ歩いていこうとすると、突然腕を掴まれた。

「私が淹れよう。座っていなさい」

そう言って立ち上がった先生は、思っていた以上に背が高くて、それになんだかいい匂いがした。

「あっ、は、はい…」

ドキドキしているのを気づかれていなくて、顔を見ることも出来なくて、掴まれた腕を見つめながら私はかろうじてそう答えた。先生が軽く笑った気がする。ひんやりとした先生の手が離れたのを確認すると、私はさっきまで座っていた椅子に腰を下ろして、赤くなっていそうな顔を両手で包んだ。おかしいな、調子が狂う。

「紅茶かな?」
「えっ?…あ!えと、はい、紅茶で!」

我ながらバカみたいにしどろもどろだった。どうしてこんなに急に、意識してしまったのだろう。ちらりと、時折先生の後姿を見ながら、私は手元に運ばれてくる紅茶を待っていた。


「あの、」
「どうした?」
「…お茶淹れてもらって、すみません」

言い出しておきながら、先生にお茶を淹れてもらうなんてまずそうな気がして、私は俯いたままそう言った。先生は、おそらく自分用のだろう、高価そうなカップを口元にあてて微笑んだ。もしかしたら笑ってないのかもしれないけれど、先生の口角はいつも上がり気味だと思う。何が楽しいんだか見当もつかないけど。
お茶をすする間、私たちは無言だった。何を話したらいいのかわからなかったし、カップに細い指を添える先生がやたらと綺麗に似合いすぎて言葉をかけることが出来なかった。
なんだこれ。パプテマス・マジック?

「マネージャーというのは大変そうだな」
「え?ええ…」
「問題児が二人もいる上に、顧問があのヤザンだからな」
「………」

さすがにヤザン先生を悪く言うわけにはいかず(ちょっとは愚痴りたい気持ちもあったけど)、私は曖昧に笑っておくことにした。

「名マネージャーだ」
「は?」
「ヤザンからそう聞いている」
「えー?それ、本当ですか?」
「嘘は言わないさ」
「でもそれが本当だとしても、ヤザン先生にはもう少し顧問らしくしてほしいんですけどね」
「あぁ、私がいつも引きとめているからね、すまない」

おかわりはいるか?と立ち上がりながら聞いてきたシロッコ先生に、返事をするのが遅れた。
先生が言ったのはほんとのことだろうか。
猫舌の私のカップには、冷め切っていない紅茶がまだたっぷり残っている。コポコポと、紅茶をカップに注ぐ音を聞きながら、シロッコ先生はヤザン先生を庇っているのだろうか、と考えた。
というか、そもそも

「先生とヤザン先生って、仲いいですよね。正反対にも見えるのに、なんでですか?」

ゆっくり、カップとソーサーをもって椅子に座りなおすシロッコ先生を、私はドキドキしながら見つめていた。

「気になるのかな?」
「はぁ、そりゃまあ…」
「別に大した理由はないさ」

先生は口元の笑みを少し強めて、私の目を見ていた。

「彼曰く“ここが一番楽して茶が飲める”、そうだ」
「はぁ?」

何それ?
と言いたげな私に、先生は優しく説明してくれた。
説明を簡潔にまとめると、職員室じゃ今までミライ先生がみんなにお茶を淹れて回っていたのに、エマ先生やらレコア先生が赴任してきてからというもの『女性だけが進んでそういうことをやるのはおかしいと思います!』という主張に皆が呑まれてしまったらしい。
確かにあの二人ならそういうこと、言いかねない。
で、結局今までミライ先生のお茶の恩恵を一番受けていたヤザン先生は、サラ(何故か知らないけどヤザン先生はサラを気に入っている)から聞き出したこの司書室に入り浸っているんだとか。

「それって、シロッコ先生がいいように使われてるだけじゃないですか?」

思ったままのことを口にしてしまったけれど、シロッコ先生は顔色一つ変えず、むしろ何も感じないような口ぶりで、

「それがもてなし方というものさ」

と、さも当然のように言い放った。

「だから私にもお茶を淹れてくれたんですか?」
「そうだな」
「でも…」

言い出したのは私のほうで、と言外に滲ませながら首を傾げると、先生はまるで私の言わんとすることがわかっているかのように笑った。

「君がいつ出て行くかわからなかったからね。というと言い訳のようだが、無理に引き止めるのは私のやり方ではないのだよ」
「はぁ…」
「女性は特に丁重にもてなさなければならないと思っているからね」

それは、さっき話題に上ったエマ先生のことをうけて言っているのだろうか。

「年齢も立場も問わず」

続けられた先生の言葉は、なんだか色々な意味を含んでいるような気がした。けれども首を傾げたままだった私は、先生って案外、今時珍しい紳士なのかもしれないと感じ入ってしまっていた。
お茶一杯でほだされるわけではないけれど、中々いい経験をさせてもらっているのかもしれない。

- end -

20090604