シンクロトロン

チョコレートには負けないで

表表、裏裏、表表、裏裏。

コタツよりもホットカーペットよりも、灯油を使うファンヒーターが好きだ。
点火するときの音も、香ばしいようなにおいも、ちょうどいい温度の熱風も、心のそこからのお気に入り。
あぶないとか火傷するとか言われるけれど、靴下をはいた足の裏を直接排気口にぺたりと当ててるととても暖かいのでやめるにやめられない。やめる気なんてないけど。
表表、裏裏、表表、裏裏。もうすぐ糸がなくなる。
「花子ー」
お母さんがわたしを呼んだ。家の中で声を張り上げるのって、あまり好きじゃない。お隣の家が同じようにしているのが聴こえて、そのとき何とも言えない、でも安吾ならきっと「ヌカミソ」だと断ずるに間違いないと思って、げんなりしたのだった。
これが反抗期と言うものなのかわからないけれど、やや大きめの音を立ててドアを開閉し、これまたちょっと派手な感じで階段を下りていく。
大学生にもなってこういうことをするのは子供じみているとは思うけれど、やってる最中は思い当たらないのだ。
「ルカくんが来てるわよ」
いつだって冷静にいられたなら、こうやって慌てたり恥ずかしい気持ちになったりしなくていいのに。
琉夏くんはお母さんに招き入れられて、玄関でブーツを脱いでいるところだった。
「どうしたの?」
まだ夜の8時、なのか、もう夜の8時なのか。それはともかく夜にウチに来るなんて珍しい。アポなしだし、怒るべきだろうか。
さっきまで電話で未確認飛行物体がどうだの言っていたけど、まさか今日、これから、UFO見物なんだろうか。
やっぱり怒るべきかなあと思っていると、寒さで頬を赤くした琉夏くんに先手を打たれた。
「お邪魔します。問題集借りにきた」
はいこれおみやげ、と言いながら手渡されたのはココアの缶だった。ぬるい。
何がなんだかな顔をしているわたしを、琉夏くんは勝手知ったる我が家のように二階へ連れていく。わたしの部屋なのに、琉夏くんはさっさと入り込んで、その上ファンヒーターの前のベストポジションに居座った。
「オマエ、何してたの?」
「うん?編み物だよ?」
ああ、もう。また怒るきっかけを奪われた。
「へえ?何編んでんの?」
というかわたしは、本当は怒る気がないのかもしれない。バカ正直に聞かれたことには全部答えて、話の流れを遮ったりはできない。
「マフラーだよ」
全長おおよそ琉夏くんと同じくらいになる予定のマフラーは、多分現時点ではわたしの身長と同じくらいになるだろう。
端っこを持ち上げて、琉夏くんは自分の首にぐるぐる巻きつけた。「似合う?」
「似合う。気に入った?」
「すごく。このまま巻きつけて帰りたいくらい」
「それはもうちょっと待ってね。まだ編み終わってないから」
棒針に引っかかった途中から、編むのを再開しても琉夏くんはマフラーの端に巻かれたままだった。
「ねえ花子」
「うん?」
表表、裏裏、
「これものすごーく長いマフラーにしてみない?」
「なんで?」
表表、
「それなら二人いっしょに巻けるだろ?」
裏。
「いっしょに?」
「そうだよ?そのほうが楽しい」
「…………楽しい、」
まあ確かに、
「そうかもしれないねぇ」
表、あ、間違えた。

20101114

“安吾ならきっと「ヌカミソ」”……坂口安吾著『戦争と一人の女』

title from OL 「ココア」よりサブタイトルをお借りしています。