シンクロトロン


ままの味

木でできた編み針は、見ているだけでほっこりするアイテムなのかもしれない。
それとも花子が穏やかな表情でゆっくりと編み物をしている光景と、木の温かみのせいかもしれない。
彼女の肌の色よりも黄色みが強い細い棒に、チャコールグレーの毛糸が規則正しく並んでひっかかっている。よくよく考えれば編み物は、毛糸を引っ掛けてからませて、その繰り返しで暖かい一枚を作り上げる。ただそれだけのことが、なんだか不思議な気がした。
濃い灰色の糸のところどころが青みがかった薄い灰色になっている。「そういう糸なの」 おもしろいものもあるもんだ。
「でもどうして突然編み物なんて始めたの」
お裁縫とか、そういうものが得意だとも好きだとも聞いた覚えはない。
「おばあちゃんがね、ひざ掛けを作ってくれたの」
「あ、おばあちゃん元気?」
先月の末に、花子は入院中のおばあちゃんをお見舞いに行ったらしい。なんでも家の階段でちょっと転んで、足の骨にヒビが入ってしまったんだとか。
「うん。治るのに少し時間はかかるけど、すごく元気そうだったの。ベッドの中でずっと編み物しててね……」
ベッドの隅に畳まれているひざ掛けを、花子はふわりと広げた。くすんだサーモンピンクの、縁に花のモチーフが並んだ花子らしいかわいいひざかけだった。
「かわいいでしょ?私も何か編みたいなって、思ったの」
「ふうん」
もう一度編み針を手にとって、慣れた手つきで動かし始める。
元々器用な方だったから、マスターするのも早かったんだろう。
「これができたら、もっと色々編むの」
「色々?」
「うん。お母さんにはひざ掛け、それからミヨに帽子、カレンにはストール、コウくんはネックウォーマーなんていいかな」
「あれ、俺のは?」
「ふふ、琉夏くんはね、上手になってから、琉夏くんが好きなのを好きな色で編もうかなって思ってるの」
「じゃあこのマフラーは?」
「これ?試作品だけどお父さんにあげようって思って」
「あれ。残念」
「だって試作品だもん」
俺はトクベツ扱いになってるのかな。よくわからない。
「今度、一緒に毛糸買いに行こう?」
「それもいいけど、花子が編んでくれたのなら俺はなんでもうれしいよ?」
マフラーでも手袋でも帽子でも。絶対、あったかいに違いない。
「本当?」
「ホント」
ベッドに並んで凭れている、花子の頭が俺の肩の下あたりにコツンとぶつかった。
「じゃあサプライズにする。プレゼントって、選んでるときも楽しいから」
「……なんかそれ、わかるかも」
「でしょ?これは似合うかな、とか、こういう色好きだったなとか、考えてる時間が楽しいの」
選んでる間、相手のことだけ考えてる。それは俺だって同じだった。
花子の華奢な指に納まっている指輪、それを選ぶまでの随分長い間、迷ったり悩んだりもした期間はすごく幸せでもあった。
俺たちの思い出のサクラソウ、白くて細い銀の台、ゆらゆら揺れる繊細な葉のチャーム。ぴったりだって思ったときの嬉しさ。
そういうのを、俺を相手にして花子が幸せな時間をすごしている証を、もらえることがすごく幸せ。
「きっとおばあちゃんも同じかなあ。編んでるとき、楽しそうだったの」
そうだな。愛されているということを、何の迷いもなくそのまま受け入れられる花子は本当に素直でいい子で、愛を受け入れることがそのまま相手の幸せになるということを、俺に教えてくれた。
「俺もね、小さい頃に母さんが手袋編んでくれた」
もう、遠くに行ってしまった母さんも、花子みたいな気持ちだったのかな。
「お母さん、きっと幸せだっただろうね」
少しだけ黙り込んでしまった二人の空気から察したように、花子は薄く微笑んだ。
「うん。父さんのマフラーとおそろいでさ、トナカイの柄とか雪の結晶の模様とか、きれいな色でたくさん編んでくれた」
「得意だったんだ……」
「そうかもしれない」
「模様編みはまだ出来ないから……来年まで待ってね?」
顔を上げて微笑んだ花子を抱きしめた。
「それはそれ、これはこれ」
「…………うん」
あの小さな手袋には収まりきれないくらい大きくなった手で、大切な存在を掴める幸せを、俺は誰かに叫んでしまいたかった。
「自慢する」
「え?」
「自慢するんだ、みんなに。俺の大切な人が、こんなに素敵なものを俺のためだけに作ってくれたんだって」
「自慢……プレッシャーだなあ……」
「ん?恥ずかしいとか言わないんだ?」
ちょっと前まで、高校時代なんてずっと、そう言っていたのに。
「え、あ、もちろんそれもあるけど!」
なんてことを言いながら、花子はぎゅうと、俺にしがみついた。
「でも……嬉しい、よ?」

ああ、もう。このもてあますくらいのぬくもりは、幸福の具現なんだ。

20101207

title from OL 「ココア」よりサブタイトルをお借りしています。