シンクロトロン

銀の匙の渦

小さな片手鍋にココアの粉と水と砂糖を入れて、火にかけながらじっくりかき混ぜる。
ペースト状になったら少しずつ牛乳を注いで、のんびりゆっくり焦げないようにまたかき混ぜる。
とても気持ちが落ち着く時間。
時々琉夏くんは、私のことを「ココアのようにあったかい」なんて言う。
こんな風に穏やかなものだと思ってくれているのかな、と、そう考えると私の胸の奥もふわふわと暖かくなってくる。
沸騰するまで、焦げてしまうまで暖めるのは駄目。ゆっくり焦らずにかき混ぜながら一定の温度を保つ。
冷めることもないように、そういう風に私たちもずっといられるように。
ココアを作るときは、そんなことを考えてしまう。

いつかのフリーマーケットでみつけた、レトロなピンクと水色のペアのマグカップを戸棚から取り出した。
滅多に使うことはないそれを軽く洗う。
例えば二人、大人になって一緒に暮らし始めたら、毎日このカップでココアを飲むんだろう。
きっといつか来る"いつか"を夢見る瞬間も、期待が膨らむようで胸が苦しくなるようで、でも幸せで楽しい。

今日はお砂糖多めにしたから、浮かべるマシュマロはなし。
レトロなストーブの上にビスケットを並べて、その上に置いて溶かしてもいいかもしれないけど、でろでろになったマシュマロでストーブを汚して以来我が家では禁止令が出てしまっている。
しょうがないからオーブンで焼いたりもするけれど、でもストーブで焼いたほうが断然美味しい。
本当はなんの違いもなくて、ほんの些細な気持ちの問題なのかもしれない。だけどやっぱりマシュマロはストーブで焼いたほうが美味しいし、ココアは二人分用意する方が幸せで、それは私にとって本当に、心からの、真実。

マグカップを二つ持って自室に戻る。ドアを開けてもらおうと中の琉夏くんに呼びかけても、返事がない。
「……?」
しょうがないからどうにか自力でノブを回して開けると、暖かい空気がふわりと体を覆った。
やけに静かだと思ったら、琉夏くんはベッドに凭れるようにして眠っている。
小さいけれど確かな息遣いが、暖房の駆動音にまぎれていた。
「あらら……」
しょうがないなあと笑う自分はどんな顔をしているんだろう。
困ってなんかいなくて、きっと幸せそうに笑っている。そうであってほしいと願う。
彼の、ふわりと放射状に広がった長い睫が、ときどき微かに揺れていた。
毎日予備校に通って、片手間にバイトも続けて、大変だろうなとは思うけど。でも充実しているのなら、楽しいのならそれが一番だって信じている。
彼ががんばっているのは自分のためだけど、その半分ぐらいは私のためでもあるのだと知ったとき、心が苦しくなるくらいの愛おしさを感じたから。
本当は、そんなにがんばらなくってもいいんだよって言いたくなるときもある。ありのままでいてくれることが、偽らない気持ちを私に見せてくれることが、本当に何よりも嬉しいから。
なんて甘やかすと付け上がるのは高校時代までの話で、今の琉夏くんなら私がなんと言おうとがんばってくれる、ううん、がんばるんだろう。
『オマエの隣にふさわしいような、彼氏になるからね』
だったら私だって、琉夏くんにふさわしい人間でありたいと思う。
こういうの、いいな。
お互いに依存しきらないような、それぞれちゃんと目標とか持ってるような、自立したカップルって感じで。
でも時々甘えたくなるのもきっと真実だから、今だけは眠る彼に寄り添ってぬくもりを享受したい。
きっと同じことを考えて、琉夏くんは今宵、ここに来たんだろう。

カーテンの向こうには、呑み込まれそうな夜空が広がっている。遠くに煌く星星の更に向こう側に、もしかして誰かがいるのかもしれないなんて思っちゃうような、そんな説得力を感じてしまうのはさっきの琉夏くんとの電話のせいだ。
突拍子もないことを言うのにもだいぶ慣れてきて、最近じゃ上手い返しもできてるんじゃないかって、ちょっと自惚れてたりもする。
窓の枠にマグカップを並べた。琉夏くんが起きたら二人で……そのとき冷めていないといいけれど。
ああでも、またココアを淹れなおすのも全然かまわない。
何杯だって淹れてあげよう。
それは幸せな時間で、この先何度も繰り返すだろうビジョンが、ずっと広がっているのが嬉しい。
未来にはずっと幸福だけが続いているわけじゃないと思うけど、今思い描くのは暖かなものだけでいいと、今だけは甘えたい。

20110227

title from OL 「ココア」よりサブタイトルをお借りしています。