虹のワルツ

02.喉がかわく日(夏碕)


最初の日に知り合ったバンビちゃん……こと、小波美奈子ちゃんは、とてもかわいい女の子で、それに気さくで明るくて、隣の席っていうのもあって、いい友達になれそうだと思った。
私のクラブがない日は一緒に帰ったりするし、ゴールデンウィーク中はカレンとミヨと、4人で遊び倒した。とっても楽しくてなんだかずっと前からこの4人は友達だったような気にもなるくらい。

小学生のころから続けている新体操は、どうやら私の代ではあまりやってる人がいないらしく、中等部のころはなんと学年で私一人だった。高等部での、部活初日には私を含めて3人の新入部員がいる。経験者は私だけで、他の二人は先輩と顧問の先生から説明を受けていた。私は先生から許可を貰って、多目的室の隅で自主練にいそしんだ。
他の運動部とは違って、新体操部は鏡のある多目的室で練習をしている。先週は美奈子ちゃんが見学に来たけど、間違って体育館に行っていたらしく、やって来たのはもう練習が終わりそうな頃だった。とても残念がっていたので、今日は一緒に多目的室に行って、ちょっとだけリボンで演技をした。やっぱり、中等部の頃の後輩みたいにかわいい美奈子ちゃんの頼みは断れない。

「久しぶりだったから、途中で落としそうになっちゃった…」
リボンを持つ右手は演技の間、ほぼずっと動かしていなければならない。本当に久しぶりだったからちょっと痛くなってしまった。
まだ4月の頭で、早めに終わったクラブからの帰り道、私は美奈子ちゃんと一緒に昇降口で靴を履き替えている。
「ううん!すっごく綺麗だったよ?」
西日を受けて、いつもより健康的な肌色に見える美奈子ちゃんが褒めてくれた。
「ありがとう」
純粋に、嬉しい。実はこう見えても中学のときは大会で入賞したこともあるから。
そんなことを言うと、きっと私が困るくらいに美奈子ちゃんは褒めてくれると思うから言わない。そのかわり、美奈子ちゃんはクラブはどうするのかと聞いてみる。
「うーん……何かやりたいとは思うんだけど……」
「だけど……?」
ローファーに履き替えて、私たちは正門に向かいながら話す。
「私……はば学に入学できたのがちょっと信じられないくらい成績、よくないから」
「……そうなの?」
そうは見えない。隣の席だからわかるけど、美奈子ちゃんは毎日予習復習をしているみたいだから、成績は悪くはないほうだと思っていた。
「そうなの。だから猛勉強しないと取り残されちゃうかなーって思って。補習とかになっちゃったら大変でしょ?」
「そうだね……そっか、クラブは入らないんだね」
「うん。なんか奇跡みたいなのが起こって私の成績がずばーんと上がったら、入るかも」
そういうと、笑った。私も笑う。
と、美奈子ちゃんが日のさしてくる方を見つめる。
「あっ!琥一くん!」
知り合いだろうかと思って私も首を回すと、そこには背の高い誰かがいた。逆光でよく見えない。
右手で目の上にひさしを作ってよくよく見つめると、ものすごく、いわゆる“ガラの悪い”男子生徒がいた。男子“生徒”?本当だろうか。でも、着崩しているとはいえ一応制服も着ているし……。ぎょっとして何もいえない私をそのままに、コウイチくんと呼ばれた彼は美奈子ちゃんに気づいたらしく、
「おう」
と、短く声をかけた。
「今帰り?」
「見りゃわかんだろーが」
言葉のとおり、彼は下校途中で、もちろん私たちの向かう方と同じく正門を通るのだから、自然と距離が狭まっていく。
だんだん近づいてよく見えてくる彼の顔は、眉は短いし目は切れ長だし、加えてオールバックで高身長。私じゃなくても、ちょっとお近づきになりたいとは、思えなさそうだ。というか、“不良”の人だ。
この人は美奈子ちゃんの、一体なんなんだろうか。あの日、アナスタシアで散々カレンに問い詰められたときには「彼氏はいない」って言ってたから、違うとは思うけど…だったらなおさらなんなんだろう……。
そんなことを考えている私には見向きもせず、彼はスタスタと歩いていってしまった。
なんだかほっとしている私に、美奈子ちゃんは教えてくれた。聞いてはいないんだけど。
「幼馴染なの、琥一くん」
「え?引っ越してきたんじゃなかったの?」
「あ、私実は昔、はばたき市に住んでて、そのころの」
なるほど。
きっと彼も昔は、美奈子ちゃんの隣が似合うくらいの男の子だったに違いない。
「怖いでしょ?」
「えっ!?」
言い当てられたようでぎょっとしてしまった。美奈子ちゃんはいたずらっぽく笑って、
「だって私だって、この前会ったときはびっくりしたもん!」
「あ、そ、そうなんだ……」
確かに、数年ぶりに再開した幼馴染がアレでは、誰だってそうだろうな。昔の彼の姿がどんなものか、私には知る由もないけど。


それから何故か私は美奈子ちゃんからこんな質問を受けた。
「夏碕ちゃんは恋人とか好きな人とかいないの?」
どうでもいいけど、私が美奈子“ちゃん”と呼ぶので、美奈子ちゃんも私のことを夏碕“ちゃん”と呼んでいる。
「い、いないよ!」
「あ、焦った。怪しい」
「なんでそうなるの……疑うならカレンに聞いてもいいよ?」
「うーん、そうまで言うってことは本当なんだろうな」
というか、そんな嘘をつく意味もあまりないと思うし。
「なんかもったいないなー」
「ええ?」
「だって夏碕ちゃん、き――」
美奈子ちゃんの声がはたと止まった。足も止まっている。
「どうしたの?」
みるみるうちに表情が曇っていくから、彼女の視線の先をさっきと同じように辿ると、
「あ……」
さっきのコウイチくんがいた。しかも、悪名高い余多門高校の、怖そうな人たちと一緒に。
どういうことだろう。仲間なのか、けんかなのか。立ち尽くして考えているうちに、余多門の一人が彼に掴みかかろうとした。
ケンカだ。思わず口元を押さえて目を瞑ろうとすると、
「琥一くん!」
美奈子ちゃんが叫んでいた。案の定、一触即発だった彼らがいっせいにこっちを向く。
マズイよと言いたくても声が出せなくて、彼女の袖を引っ張る瞬間に、美奈子ちゃんは再び叫んだ。
「今、先生呼んだから!」
正直、それで効果があるのかわからなかった。ただただ怖くて、中等部まではみんな真面目でおとなしい人たちに囲まれてたから、こんな場面は見たのは初めてだった。まるで漫画やドラマの世界の、私の住む世界とは全然違う世界の話みたいだ。
美奈子ちゃんの横顔は、私と同じくらい切羽詰っていたけど、なんとなく、あのコウイチくんを助けようとしているんだなということはわかった。美奈子ちゃんは、強いと思った。私より背も低くて、かわいい女の子なのに。
幸いにも大事にはならず、美奈子ちゃんはその場でコウイチくんにケンカは駄目だと説教まで始めてしまった。なおさら不機嫌そうになった顔を見ているのも耐えられなくて、私は先に帰るといって、立ち去った。
本当に、怖かった。
それが、私の、彼に対する第一印象。

20100708