虹のワルツ

03.そんな些細なきっかけに負けはしない(夏碕)


季節は、制服のブレザーがカーディガンとかベストに変わる頃。

いい天気だったから、4人で屋上でお昼ご飯を食べていると、なにやら美奈子ちゃんの視線を感じる。どうしたのと聞くと、
「夏碕ちゃん、シニヨン以外の髪型にしないのかなーって思って」
えっ?と思っていると、カレンが便乗する。
「ほらっ!バンビもそう思うでしょ?」
「えっ?ほら、私そういうの得意じゃないから……」
言い訳には耳もくれず、カレンは私の首に腕を回してきて、
「アタシが中等部のころからずーっとアレンジしてあげるって言ってるのに、触らしてくれないんだもん!」
「それでカレンの矛先が私に向いてくるの」
「ミヨは夏碕以上に触らしてくれないけどね」
「ああ、なるほど……」
美奈子ちゃんは苦笑しながらも、想像がつくといわんばかりにうなずいた。
「でもでも、夏碕ちゃんが髪下ろしたり、別の結び方してるの見てみたいな……」
「ほらっ。バンビが言ってるでしょ」
「ええっ!?」
カレンは制服のポケットから折りたたみのコームとヘアピンとシュシュを取り出した。さすがというべきか、花椿一族の申し子。いや、その対象が私なのだとしたらちょっとカンベンしてほしい。
「夏碕、観念したほうがよさそう」
ミヨはそれだけ言うと、赤いチェックの水筒(とてもかわいいと思う)でお茶を飲みだした。やはりマイペースのミヨは今回はあてになりそうにない。わかってはいたけど……。
「一回だけ!ね?」
上目遣いで言われると、いつかのクラブのときの様に折れてしまわざるを得なかった。そういえば結局美奈子ちゃんはクラブに入らず、ここのところ放課後に図書館で勉強をしているらしい。
うーん、でも、ちょっとくらいならいいかな。減るもんじゃないし。
「今日だけ……なら、」
「やったっ!バンビナイス!」
カレンが一番喜んでるのが不思議だけど……。自分の髪を伸ばしたらどうよとも言いたくなる。


5分ほど経ったころ、
「できた!どうどう?お嬢様っぽいでしょ?」
「すごい!すっごい綺麗!大人っぽい」
「夏碕、そのほうが似合ってる」
シニヨンを解かれて、髪を丁寧に梳かれて、それから何が起こったのかわからないけど、出来上がり(と言ってるから、見えなくてもそうなんだろう)を見た美奈子ちゃんとミヨの反応はなんと褒め殺しの嵐だった。
「ンッフッフ〜カレンさんにかかればこんなもんよ?」
「うん!似合ってる!夏碕ちゃん、毎日それのほうがいいよ!」
下ろした私の髪を指先でいじりながら、美奈子ちゃんが楽しそうに言う。なんという他人事な発言。自慢じゃないけど私、シニヨンとポニーテール以外の髪型は自分ではできない。多分。したことがないからわからないけど。
「ちょ、ちょっと待って……私アレンジとか、できないよ……」
「大丈夫大丈夫!簡単だし、できなかったらアタシが毎日してあげるから!」
「夏碕、鏡」
ミヨの差し出す鏡に、恐る恐る自分の顔というか頭というかを映してみると、
「ねー?かわいいでしょ?ポンパドール」
「そ、そういう髪型なの?」
正直、カレンには叱られるくらいそういうことに興味がなかったから、おでこの上で束にしてピンで留めました。ぐらいのものにしか見えない。全部同じ長さの私の髪は、前の部分だけ上に上げられて、残りはするんと下に下ろされている。
「いいとおもうけどな……」
「夏碕もお洒落しないと〜それから恋もしないと!」
「こ、恋って!!」
とたんに顔が赤くなるのがわかる。鏡をミヨに突き返して、もうこの話題は終わりって言いたかったのに、
「夏碕ちゃん、もてそうなのに」
美奈子ちゃん、ちょっと空気読もう。
「ねぇ?素材は悪くない、どころかかなり上よね?」
カレン、便乗しない。
「ちょっとメイクして、髪型も今みたいに気を遣えば恋愛運向上」
ミヨ……もういいから!
「わ、私はそういうのは……」
「興味ないの?」
キョトンとする美奈子ちゃんに、カレンがおかしそうに説明した。
「中学の頃からこうよー?“お付き合いとか、中学生がすることじゃないし、メイクなんて大人になるまでやっちゃ駄目と思う”だって!」
美奈子ちゃんが驚いて目を見開いている。そんなに変かな……。変じゃないと思うけどな……。なんとなく言い訳したくなって、
「い、いいじゃないの……!高校生は勉強するために学校に来てるんだから!」
「でも新体操でメイクはするから、ちょっとくらい日ごろしてても良いと思う」
「あ、ミヨ鋭い」
「それは別!」
「でも、」
美奈子ちゃんのセリフは、午後の授業の予鈴にかき消された。ようやく開放されると思って、私は真っ先に立ち上がった。
「残念!そろそろ行かなきゃね」
皆お弁当箱を鞄にしまいながら、立ち上がってスカートのプリーツを直す。
「カレン、これこのままなの!?」
「いいじゃん。今日一日くらい。あ、ピンは返さなくていいからねー」
「あの、そうじゃなくて……」
「夏碕、急がないと遅れる」
「わ、わかって……」
「クラスのみんなびっくりするよー楽しみだなぁ」
なんでみんな、自分のことじゃないのにこんなに楽しそうなんだろう……。
5限目は氷室先生の数学だ……数学ニガテ、なおさら憂鬱。
解かれた髪から、自分の使ってるシャンプーの香りがするのはなんだか不思議だった。



「大人気だったね!」
休み時間。美奈子ちゃん、なんでアナタはそんなに楽しそうで嬉しそうなの。
「しかも氷室先生までびっくりしてたし……」
そう、それが一番驚いた。「瑞野?」眉を上げながら言われても「そうですが」としかいえない。クラスのみんななんて、「どうしたの?」「アレ?心境の変化?」「高校デビュー……なわけないよな!」もう、好き勝手に言うんだから。
「……はぁ、やっぱり明日からいつもどおりに戻そう」
「えー?」
だからなんでアナタが残念がるの。
「よ、何してんの」
突然、影が落ちた。見上げると、まぶしい金髪。
「え?……琉夏くんこそ何してるの?」
ルカくんとやらと、美奈子ちゃんはお友達らしい。
「俺?数学の教科書借りに来たの」
「持ってきてないの?」
「んー……でも授業ちゃんと受けるよ?エライでしょ?」
「どうだか……でもハイ。ちゃんと返しに来てね」
「返す返す。二冊あったってしょうがないし……あ、あのさ」
「何?」
彼は腰を落として、何故か私のほうに向き直った。
「美奈子ちゃんのオトモダチ?」
「わ、私……ですか」
なんで敬語なんだろう。多分3人とも思った。思ったけど、二人は気にする風でもなく会話を続ける。
「そ。夏碕ちゃんだよ。あ、こっちは琉夏くん。琥一くんの弟だよ」
えっ。兄弟?双子……にしては似てない。髪の色が違うから余計そう見えるのかもしれない。あ、二卵性ってことかな?私はとりあえずそう結論づけた。琉夏くんは頭を働かせていた私のほうに近寄ってくる。
「コウのこと知ってるの?」
琉夏くんが首を傾げると、シルバーのピアスが揺れた。金髪もピアスも駄目だと思うけど、妙に似合ってる。近くで見るとなおさら、中性的で「美しい」という言葉が似合う人だと思う。
「こないだ、一緒に帰ってたら会ったの……っていうか、夏碕ちゃんがどうしたの?」
「ああ、あのさ、コウのヤツも忘れてるから、気の利く弟が二冊借りに来たの」
それはつまり、私の教科書をあのコウイチ君が使うということ……ですか。
「しょうがないなーもう……夏碕ちゃん、いい?」
「え?あ、うん。どうぞ……」
「ゴメンね?」
琉夏くんは、兄上様とは違って人懐っこい笑顔だった。あ、でも教科書忘れたことは反省してないみたい。
「明日から忘れちゃだめだよー?」
「わかってる。じゃね」
ひらひらと手を振って、琉夏くんは出て行った。
「ごめんね……私が言うのもおかしいけど」
「ううん、いいけど…美奈子ちゃんって、」
「ん?」
「……やっぱなんでもない」
変わった友達多いね、とはいえなかった。


6限目の現代社会のあと、美奈子ちゃんは先生に指名されて資料室まで教材を戻しに行ってしまった。今日はクラブがないから一緒に帰ろうと言っていたし、鞄もここにあるから、ここで待つのがいいだろうな。
なんて思って待ち続けること15分、さすがにちょっと遅いと思う。
みんな帰っちゃったりクラブに行ったりで、教室には私一人になってしまった。
暇だなぁ。かといって宿題をやるほどの時間はないだろうし。ぼんやりとグラウンドを眺めていると、サッカー部が変な踊り(に見える)の準備体操をしていた。あれ、一体なんなんだろう。
頬杖をついて、どれくらいそれを見ていたのかわからないけど、ガラリと扉が開く音がしたので、
「美奈子ちゃん、遅かったね――」
振り向きざまに声をかけたつもりが、そこにいたのはコウイチくんだった。なんで彼がここに?混乱する私に、彼は近寄ってきた。椅子に座ったまま、私は動けずに歩幅が大きいなぁとか、190あるんじゃないかなぁとか、現実逃避めいたことを考えていた。
「お前、小波の知り合いか?」
「えっ―あ、はい。そうです」
だからなんで敬語なんだと今度は思えなかった。なんというか、敬語を使わなきゃいけない気がする。
「だったらこれ渡しといてくれ。アイツのダチの分もな」
「あ、わかり、ました……」
目の前に本人がいるけど。
言い返せずに諾々と教科書を受け取ると、コウイチくんはめんどくさそうに肩をまわしながら出て行った。
なんだか、ものすごく緊張した。
椅子に深々と腰掛けると同時に廊下で美奈子ちゃんの声が、今度こそ、した。
「あれ?琥一くん何してるの?」
「あ?教科書返しに来たんだよ。お前の知り合いに渡しといたからな」
「ああ、夏碕ちゃん?この前会った子じゃない」
「は?」
「ほらー、ケンカした日、私と一緒に帰ってた子!」
「してねえだろ!……あぁ?あのときの女子かぁ?」
「あ、髪型変わったから気がつかなかった?」
「……まぁ、な」
「だよねぇ、やっぱりあのほうがかわいいよね!琥一くんもそう思うでしょ?」
「ハァ……知るか。俺は帰るからな」
「ハイハイ。じゃあね」

大体そんな感じの会話を、何故か背筋を伸ばして逐一聞いてしまった私は、本当に何故かその翌日、ポンパドールを再現して登校し、
「あれ?結局その髪型にしたんだ!」
と、美奈子ちゃんをさらに喜ばせる運びになってしまった。
彼女が喜ぶ理由も、私がこんなことをする理由もさっぱりわからないまま。

20100708