虹のワルツ

09.寄せ集めた言葉の欠片(夏碕)


夏に3年生が引退して、レギュラー枠が一つ開いた。これはなんとしても、そこに入り込みたい一心で、連日私は練習に打ち込んでいた。制服も衣替えの季節で、もうそろそろクリーニングに出したカーディガンを箪笥から出さないと、と、週末の箪笥入れ替え計画を考えながら昇降口に向かっていると後ろから声をかけられた。
「おねーえちゃん」
振り向くと、やっぱり琉夏くんがいた。寒がりの琉夏くんはすでにブレザーの冬服に移行している。琉夏くんを見ていると確かに朝晩冷え込んできたなあと思う。人を見て季節を感じるというのはちょっと珍しいかもしれないけど。
「今帰り?」
「うん。琉夏くんは?」
「俺も帰り。先生につかまって仕事させられてた。遅いから送ってくよ」
「ありがとう」
「なんの。正義のヒーローだから」
美奈子ちゃん曰く「シュールな発言」もなんとなく似合ってるなぁと思っちゃうのは私だけだろうか。
並んで学校を出て、色んなことを帰り道で話した。
最近は廊下ですれ違ったりするときに声を掛け合ったりするようになったけど、こんな風にたくさん喋るのは初めてだったかもしれない。
「クラブ大変?」
「うーん……でも楽しいから。レギュラーは取りたいし」
「そっか。大会があるんだっけ?」
「そうそう。10月の第3日曜日」
「出るの?」
「まだ決まってないけど……出れたらいいなあ」
「そしたら俺たち応援に行っても良い?」
俺たちって、美奈子ちゃんと琥一くんの3人を言っているのだろうか。きっとそうだろう。3人ともいつも一緒で仲良しだし、そのほかに琉夏くんが言いそうな「俺たち」は考え付かなかった。
「それ、嬉しいなあ。でも出れたらね、まだわかんないし……」
「出れる出れる。だって妹と弟が見にくるんだから、おねえちゃんは明日から猛練習して見事レギュラーです」
「ぷっ、何それ…………弟って琉夏くんのこと?」
「そうだよ?コウが弟とか、ありえないでしょ」
今度は声を上げて笑ってしまった。琉夏くんもニコニコしている。
「そういえばさ、コウと何か話した?」
ちょっと真面目な調子で尋ねられる。
琉夏くんとはこんな感じで気軽に話せるけど、正直琥一くんとはこれほどまでには、というか、あんまり話したりしない。学校でもあんまり会わないし。来てないわけじゃないと思うけど。
「話す話さないって言うより、あんまり見かけないから……」
「なんか珍獣みたい」
琉夏くんが今度は揶揄するように言った。
「でもどうして?」
「んー……兄貴がちゃんと人付き合いしてるか心配だから?」
ちょっと首を傾げながら、琉夏くんは呟いた。その仕草は、美奈子ちゃんもよくする仕草。
「弟くんも大変だね」
「そうなんです」
結局家の手前まで送ってもらった。琉夏くんは本当にいい子なんだなぁと私は本当の姉みたいにしみじみ、そう思っていた。

その3日後、私はなんと見事レギュラーに選ばれた。元々人が少ない部だったからかもしれないけど、それでも認めてもらえたということに変わりはない。でも、選ばれただけで満足はできない。休みの日も学校に来て、毎日の練習+自主練の日々だった。
くたくたになりながら、器材の片付けも終えて昇降口に向かう。いつも思うけど、誰もいない学校って本当に怖い。
ガタン。
下駄箱の陰で、物音がした。自分でもびっくりするくらいに体が震える。
誰かいるんだろうか。HRで注意された、“ここ数日学校周辺で見かけられる不審者”なんていうのを思い出して、余計に背筋が凍えてしまう。
ごくりと唾を飲み込んでその場で固まっていると、下駄箱の陰から大きな影がぬっと現れた。ひゅうと空気を吸い込む、自分の喉の音が聞こえた。
「お前、おっせえんだな」
「………………あ……?」
琥一くんだった。やたら不機嫌そうな顔……いやこれはいつもの顔?……であくびを一つして、「早く靴履け」と私に催促する。
「え?うん…………」
なんで琥一くんがここにいるのかわからないままローファーを履くと短く「行くぞ」と言って、私は彼の後ろをついていった。そうせざるをえなかった。
無言。気まずい。理由を聞いていいものかどうなのかわからないし、かといって他の話題も見つからない。琉夏くんとは話せるようになったけど、やっぱり琥一くんとはまだまだだ。あの花火大会のときは、ちょっと仲良くなれたような気がしたけど……。
「………………」
「………………」
大きな道路に出るまでは人通りの少ない道。日が落ちるのも早くなって、一人で帰るのはかなり怖かったかもしれない。明日から自主練、どうしよう。遅くなるまではやっぱり危ないかもしれない。
「おい」
「はいっ!」
考え事をしていたら急に声をかけられた。
「どっちだ」
曲がり角。ん?
「まっすぐ……」
なんだけど、送ってくれるの?
といおうとしたらさっさと歩き始めてしまった。ええ……何なんだこの状況。
また沈黙。革靴とローファーの足音が一つずつ。ペースがゆっくりなのが琥一くん、ちょっと速いのが私。制服の、ズボンのポケットに両手をつっこんで歩く大きい背中。そうやって歩いてたら、転んだときに怪我するよ。小さい頃に親に言われていたことを思い出す。
でも琥一くんにはそんな冗談みたいなことは言えそうになかった。琉夏くんとか、美奈子ちゃんならきっと臆面もなく言えるんだろうな。

ちょっと、さびしい。

結局何も喋らないまま家の前までたどり着いてしまった。一応、これはお礼を言っておくべきだろう。
「あ、ありがとう……送ってくれて……」
でもどうして、あんな時間に、昇降口にいたの?
そんなことは、私には聞けない。でも、それが“まだ今は”なら、大分ましだなぁ。
「おう」
琥一くんは、いつもどおりに短く言った。
私は琥一くんを見送るつもりで、琥一くんは何故か知らないけど、二人とも向かい合ったまましばらく立ち止まっていた。
あ、中に入れってことなのかな、そう思って「それじゃ」と言って門扉を開けようとすると、
「瑞野」
呼び止められた。
「何……?」
振り向くと、何かを押し付けられた。紙袋の包み?
「それやる。じゃあ、よ」
「え?ちょ、なにこれ?」
琥一くんは振り向きも返事もせず、もと来た方向を帰っていった。あ、家が逆方向なら悪いことしたな……。
それにしてもなんだろうこれ。
ちょっとしわしわになった包み紙はカレンのアルバイト先のかわいい花柄だ。琥一くん、これ一人で買いに行ったのかな。……ちょっと想像できない。
部屋に戻ってからあければいいんだろうけど、どうしてもすぐに開けたくなってその場で封を開けた。
中身は、流水に金魚の模様のハンカチ。
「ひょっとして」
花火大会の、かな。
気にすることないのに。それにそういうつもりでやったわけでもないのに。
なんてことを考えつつも、やっぱり嬉しくて頬が緩んでしまう。かわいいな、コレ。
大切にしよう。来年、また花火大会に行けたらそのときに使おうかな。でも、鼻緒が切れたら大変だからハンカチは二枚、持って行こう。

20100712