虹のワルツ

23.近付くタイミングと距離は慎重に(琥一)


メンドクセー。
六月の太陽は腹が立つくらいの日差しで俺を苛む。別に俺だけじゃねえだろうけど。六月は嫌いだ。梅雨入りで単車に乗りたくなくなるし、たまに晴れても初夏の太陽のせいで暑いし。
そして極めつけが体育祭だ。
誰だこんなもん考えたのは。だりーしめんどくせーし。かといって大迫に単位握られてちゃあフケることもかなわねえ。
メンドクセー。
何度呟いたかわからない言葉を、俺は少しでも涼しいところへと思って避難していた木陰で、吐き棄てた。

「琥一くん!」
ぼけっとしてたところに、聞きなれた声が遠くからかけられる。瑞野だ。
赤い鉢巻を揺らしながら、俺の近くまで走ってきた。
「ちょっと来て!」
「あんだよ」
「借り物競争なの!お願い!」
いつもの落ち着いた感じとは違う、微妙に焦ったような声色で手のひらの紙切れを見せられた。
『背の高い人』
ああ、なるほど。でも俺は走りたくねえんだよ。
「ルカでいいだろが」
「琉夏くん、美奈子ちゃんと行っちゃったもん!」
足踏みなのか地団駄なのかわからない動作で、指差す方向には小波につれられて走り出すルカの姿。
「コーウ!俺の勝ちだな!“イケメン”の借り物だし!」
“イケメン”の借り物でルカかよ。
憎たらしい顔で言い捨てるルカに、何故か俺はカチンと来た。
「行くぞ」
「はいっ!?」
立ち上がった俺は瑞野の手首を掴むと、走り出した。借りるやつと借りられるやつが逆だが気にしねえ。
ぐんぐんスピードを上げて、ゴール目前でルカと小波を抜いた。一位。
「や、やったね!ありがと……」
息切れする瑞野は嬉しそうだった。ルカと小波は本気で悔しがっている。
同じクラスで同じ赤組なんだから別にいいじゃねえかと思いながらも、その心境がわからなくもない。
「一位だと思ったのに!」
「アレだ。美奈子ちゃんを担いでたら一位だった」
「駄目だよそんなの!」
何言ってんだか。輪にした鉢巻を首に掛けたルカは、多分暗に小波の脚が遅い(少なくとも早くはない)ことを言ったんだろう。
その点、瑞野は俺の加速についてきたんだから見上げたもんだと思う。
「お前、脚早いんだな」
息切れから回復した瑞野は、そう?と笑った。
ふーん……じゃあコイツでいいか。
「お前、二人三脚俺と組め」
「えっ!?」
次のプログラムに強制参加させられて、パートナーはどうしたものかと悩んでいたが、瑞野ならいいだろう。
脚は早えし、背丈もあるから他の女子よりは俺とコンパスが合うだろう。
「私が!?」
「ふーん、なら俺、美奈子ちゃんと組んでリベンジしよ」
「いいよ!今度は負けないからね!」
偉そうに宣戦布告してくる弟と妹を鼻で笑ってやった。
「言うじゃねえか。なら、負けたほうがなんか奢りな」
「ちょっ……」
「いいよ?今度は勝つからね?」
「夏碕ちゃん、勝負だ!」
ルカと小波は闘志に燃えて、ゲートのほうへ歩いていった。俺は鉢巻を締めなおして、瑞野の頭を小突いた。
「行くぞ」
「プレッシャーだよ……」
「あン?ただ走るだけじゃねーか」
そのときは、本気でそれだけだと思っていた。

クラスのヤツに頼んで、ルカたちと同じ列にしてもらった。つーかあの二人、もう片足どうし縛ってやがる。気が早えーのなんの。それだけじゃ勝てねえだろうに。
いよいよ次の次ってときだった。
「手が届かないから、腰に手を回して良い?」
「あ?おう」
瑞野は俺の脇腹に細い指を這わせた。ちょっとたじろいだが、小波もルカの腰に手を回してるしそんなもんなんだろう、多分。
それに俺が半分無理矢理コイツを連れてきたんだしな。
俺はルカがしているように瑞野の肩に手を回した。二の腕の辺りを掴むと、ちょっと居心地が悪かったのか、
「ごめん、でも腕を掴まれてるとちょっと走りづらいかも」
それもそうだ。だからと言って俺の腕が宙に浮いているのも安定しねえし……。
「このへんだと……」
瑞野が困りかねて俺の手を誘導しようとして腕を開いたのと、俺が腕を動かしたタイミングが同じだった所為だった。

ふに。

「ひぇっ!?」
親指の付け根に当たった感触は、多分、そう……だと、思う。
瑞野が上げた短い叫びは、ルカたちはもちろん他の生徒の注目も集めた。さすがに競技が競技のせいで、ルカはニヤニヤと底意地の悪い笑い方で俺を見ている。
「ひょっとしてコウ……セクハラした?」
「してねえ!!」
今のは、ふ、不可抗力だ!
「夏碕ちゃん大丈夫?」
「だっ、だいじょぶ!うん!」
俺は動揺していた。瑞野も動揺しているだろうが、俺はもっと動揺していた。
「あの、う、腕でいいよ……」
俯いた瑞野の耳が赤い。おう、と短く答えた俺のも多分赤い。恥ずかしいというか、未知の感触にどうしたらいのかというか、どうしたらいいのかというのはそんなことより俺はどんな顔をしたらいいのか。
ああクソ!集中だ!
空いた手で額を覆っても、中々あの柔らかい感触は頭から離れてくれなかった。

「俺コーラ!」
「私いちご牛乳!」
多分そのせいだ。動揺していた所為だ。ルカたちに負けたどころかまさかの最下位。嬉しそうにコーラの蓋を開けるルカがうらめしい。
「散々大口叩いてたくせにな!」
「ウルセー」
体育館横の自販機の陰に座り込んだ俺に、瑞野がコーラを差し出した。
「ごめん……」
申し訳なさそうにしゅんとした瑞野にそう言われると、俺は本当にどうしたらいいのかわからなくなる。
「いや……」
謝るべきなのか。いやでも謝ったらまるで俺がわざと触ったみたいな……。
「あの、気にしないで」
私も気にしないから。まだ困った顔の瑞野の、どうしても胸元に視線がいってしまう。
「いや、そりゃ、つーか……事故だしな」
顔を逸らしながら、困り果てた俺はそれしか言えなかった。が、瑞野はそれでよかったらしく、
「そ、そうだよね!事故だね!」
「おう!じ、事故だな!」
二人でぎこちなく笑いあった。が、
「何が事故なの?」
小波に問い詰められると黙り込むしかなくなる。

やっぱ体育祭なんて、六月なんて大嫌いだ。

20100725