虹のワルツ

25.届かずに泡(琥一)


逡巡して、それでも行かないというのはおかしいから行くと言った海水浴の日。

「脱いで」
「やだよ!」
琉夏はさっきから瑞野に詰め寄っている。自分だってパーカー着てるくせに、瑞野に白いパーカーを脱げと何度も何度も嘆願して、その度に袖にされている。さっきは小波の水着にヘラヘラしてたくせによ。
「お願い」
「かわいく言ってもダメ」
「なんで?」
「…………はずかしいから」
汗をぬぐったのは暑いからだろうか。なら長袖のパーカーなんて脱げよと言いたくなるが、なんとなく言わない。いや、せめて鳩尾のあたりまでファスナーを下ろすとか………………言わねえけど。
「ええ?ほら、美奈子ちゃんだって水着姿だよ?」
「私だって水着は着てます」
「見たいのに……あ、ほら!コウも見たいって」
俺を引き合いに出すな。
「ほら、見たくないって」
いや別に睨んだのはそういう意味じゃなくてだな。
「はいはいもうその辺にして。でも夏碕ちゃん、海に入るなら脱がないと」
小波が手を叩きながらいい加減、仲裁に入っていった。
「別に本気で泳いだりしないでしょ?」
「しない、けど」
「私このままで行くから、海行こう?」
瑞野は片手をポケットにつっこんだまま、砂浜を指差した。ちなみに今、俺たちは海の家の端っこに陣取っている。
心底残念そうな琉夏とビーチボールを抱えた小波と、パーカーにデニムのパンツ姿の瑞野。そして俺は畳の上にあぐら。
ここは日陰でちょっとは涼しいが、海の中のほうが冷たくて気持ち良いだろうな。
「泳いだりはしないけどさ、この人たち多分私たちを海に投げ込むよ?」
小波は俺と琉夏を指差しながら、そうしたらパーカー濡れちゃうし、休憩中に着るものがないと困るでしょ?としかめっつらを作ってみせた。多分、純粋な気持ちで忠告したんだろう。が、琉夏は水を得た魚のように活き活きとして、
「投げ込む!な!コウ!」
だから俺を引き合いに出すな。
「投げ込まないという選択肢は?」
「ない!」
琉夏の即答に観念したのか、瑞野はパーカーのファスナーに手をかけた。引きおろそうとして、
「……恥ずかしい」
結局後ろを向いてパーカーを脱いでいる。そっちのほうが断然扇情的なのを、多分コイツはわかっていない。
あらわになる背中に浮き出た肩甲骨が綺麗だった。琉夏が「おお!夏碕ちゃんもビキニ!」とかなんとか言ってる。そこは……まぁ俺も同意。瑞野は脱いだ後もしばらく背中を見せたままだった。
「ええい!女は度胸!」
突然叫んでパーカーを叩きつけるようにして、振り返る。『さあなんとでも批評するが良い』と言わんばかりの顔だ。開き直ってやがる顔に噴出しそうになった。が、普段見たこともない、赤い星条旗柄の水着に目を奪われる。
「……最初からそうすればよかったのに」
呆れたような小波の声にかぶせて、琉夏が「意外だ」と一言。
「意外?」
確かに、星条旗柄の水着なんて瑞野のイメージじゃないかもしれないが、
「いや…………似合ってるんじゃねーのか?」
はっと気がついたら思ったことを口に出していた。三人の驚いた顔に気恥ずかしくなって、ぷいと顔を逸らしてしまう。
「ふーん……琥一くんはこんな水着が好きなのか……」
「ハァ!?何言ってやが、てめ、小波!」
「照れんなよ、コウ」
「照れてねぇ!」
にしてもよくこんな露出の多い水着を選んだなコイツ。首のところにかかってる紐なんかすぐに解けそ…………何考えてるんだ俺は。
「でも私もびっくりしたよ。夏碕ちゃん、もっとシンプルなのって思ってた」
「ああ、シュッとした感じの?」
「そうそう」
どんなだ。琉夏が両手で『シュッとした』のジェスチャーをしながら言った。それを見た瑞野は何故か拗ねる。
「いいよ……どうせ貧相な体ですからね……」
いや貧相じゃねーだろ。ちゃんとくびれもあるし、体育祭のときに触った感じじゃ結構…………。
危なかった。今度は口に出さずに済んだ。
俺をそっちのけで瑞野のご機嫌取りをしている二人は、俺の様子には気づいていないらしい。ああよかった。
「じゃあ、そろそろ海に入ろうか」
「だな」
「おー!ダイブ・イントゥ・ブルー!」
「競争だ!」
琉夏と小波は一目散に走り出した。去年もああして走っていった二人は夏が好きらしい。信じられねえ。
瑞野はサンダルを脱いで砂浜に足の裏をつけるなり「あつっ!」と短く叫んだ。そりゃあずっと太陽に照りつけられてるんだからそうだろう。
「よくこんなとこ走れるね、あの二人……」
「逆だ。歩いてられねえんだ。走ってすぐに飛びこみゃいいんだよ」
それもそうかと納得した顔の瑞野にズボンは脱がないのかときくと「これも水着の一部なの!」と叱られた。……そうなのか?どうせ恥ずかしがってんだろうが、俺としては履いといてもらったほうが精神衛生上好ましい。あーあ、やれやれ。自分にげんなりだ。
波の向こうから、俺たちを呼ぶ声がした。
「ああ、呼ばれてるね……行こうか」
「おう」
海の家から波打ち際まで約30メートルの距離を、瑞野は勢いよく走り出した。俺はその後ろをついていく。
砂の粒を巻き上げる脚は、しなやかな、という形容詞がよく似合うような気がした。ただ、こうして走っているとどうしても体育祭のことを思い出してしまうから、俺は途中で瑞野を追い抜いて、先に海の中へ飛び込んだ。

20100730