虹のワルツ

28.そんな風にして繰り返される(琉夏)


修学旅行は、北海道。
美奈子ちゃんがもってきた『るるぶ』のページを捲りながら「どこに行こうか」とわくわくしているのを見ているのは楽しい。ついでに言うなら、わくわくしていたかと思えば「夏碕ちゃんが忙しそうなのは寂しい」と拗ねているのもかわいい。頬杖の腕に、あのブレスレットがぶら下がっているのも嬉しい。
夏碕ちゃんは最近、クラブの元部長と引継ぎやらなにやらで忙しそうにしている。俺はなんとなく、修学旅行の自由行動も四人一緒だと思っていたけどどうなんだろう。美奈子ちゃんに聞いてみた。
「メールでね、一緒にいいよって言われた。行きたいとこあったら決めててって」
夏碕ちゃんは行きたい所、ないのかな。ぽつり、口に出すと美奈子ちゃんに尋ねられた。
「琉夏くんは?」
行きたい所か。あるような気もするし、ないかもしれない。
「オマエの行きたいところに行こう?」
「いいの?」
うん、それがいいんだ。

半ドンの土曜日。
よっぽど忙しいのか、最近あくびが増えた夏碕ちゃんとコウと、久しぶりに三人で下校する。
「いよいよ来週は修学旅行だね」
ちょっと眠そうに夏碕ちゃんが笑った。
「夏碕ちゃん、ちゃんと寝てる?」
「そんなに心配されるほどは……」
やっぱりちょっと疲れてるように見える。コウも眉をひそめているのに、夏碕ちゃんは喫茶店で修学旅行の予定を聞きたいと言って、結局三人で打ち合わせめいたものをすることになった。
二学期のクラス委員に選ばれて(なんで選ばれたのか、俺たちにも本人にもわからない)仕事をしている美奈子ちゃんにはメールで喫茶店にいると伝えた。さっさと切り上げて、来てくれればいいのに。少し曇った空を見上げる。雨は降らないだろう。
そういえば、夏碕ちゃんの左手首には銀色の腕時計しかついていないことに俺はその日ようやく気がついた。

美奈子ちゃんが「羊が丘展望台には絶対行く!」と言い張ったことを話すと、夏碕ちゃんは想像したのか、少し笑った。
「じゃあやっぱり札幌に行くのね……時計台に、二条市場って?」
「ウニとかカニとか食べれるよ?」
「へえ!ちゃんと調べてるんだ……」
「エライ?」
「偉い偉い、でも美奈子ちゃんじゃないの?」
そうかも。俺は向こうにいたときは気にすることじゃなかったし多分行ったこともない。あったとしても、もう忘れてる。
「じゃあ念のために帰り際に私ももう一冊本を買っておこうかな……」
「なんで?」
四人一緒なら一冊あればいいのに。俺がそう言うと夏碕ちゃんは「だから、念のため」と笑った。どういうことだろう、コウはわかるかなと思ってコウを見るとアイスコーヒーのグラスに手をつけずにむっつりと黙り込んでいた。夏碕ちゃんの手元を睨みながら。
「どした、コウ?腹でも痛い?」
「ちげーよ」
「大丈夫?」
冗談めかして言ったつもりだったのに、返ってきたのは予想もしない、本気で不機嫌そうな声だった。
うるせ。と、いつもだるそうなコウの発した語尾が消えそうなのは珍しい。ぷいと顔ごと逸らしてまた黙り込むコウをどうしたものかと、夏碕ちゃんはそう、考えているように見えた。
「具合が悪いならもう、出る?」
コウは何も言わなかった。夏碕ちゃんは眉尻を下げて一つため息をつく。俺は黙って二人を見ていた。夏碕ちゃんは、口を開きかけてまた閉じる。なんとなく、もしもこれが美奈子ちゃんだったらあの子は気が済むまで追求するんだと思う。コウも、もしも相手が美奈子ちゃんだったら追及されれば渋々、話すと思う。夏碕ちゃんがそれをしないのも、コウが黙っているのも、俺に違いがわからないのも、多分まだ中途半端な距離感のせい、だと思う。
コウは口元を手のひらで覆うような頬杖をついたまま、夏碕ちゃんはテーブルの上で手を組んだまま俯いて、それぞれ黙っていた。
窓から外を見る。今にも雨が降りそうだ。

そんな空模様と同じように、どうにもこうにもならないまま、俺たちは修学旅行の日を迎える。


「羊がいっぱい……!」
子供みたいな声を上げて喜んでいるのは美奈子ちゃんだけだ。俺は半分だけその姿に気を取られて、もう半分は後ろで黙っている兄と姉を気にしてる。制服の裾を引っ張る美奈子ちゃんに気づかれないようにそっと振り返った。
「北海道だからな」
それって答えになってるんだろうか。コウはいつもどおりに呆れた顔だった。
夏碕ちゃんはペールブルーのカーディガンのポケットに両手を突っ込んで俺たちを眺めている。ニコニコしながら。
それなら。
二人が何もなかったフリをするなら、俺も手伝う。
「うーん……」
「どうしたの?琉夏くん」
「わかった。コウってさ、羊に似てるんだ」
「ハァ?……またシュールなことを……」
「そういえば似てるかも…………」
だろ?無理矢理言ったわけじゃないんだ。
「コウ、メェーって鳴いて」
「鳴くか!」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに一蹴された。美奈子ちゃんは「似てるのに」と残念そうに詰め寄って、コウをさらに困らせている。美奈子ちゃんは何も知らない。もちろん俺だって二人がケンカしたとも思ってないけど、美奈子ちゃんがいなかったらきっともっとギスギスしたままだった。
でも、
さっきから一言も口を挟まない夏碕ちゃんは、実は結構意地っ張りなんだろうか。

『メリーさんの羊アイス』という、羊乳のアイスクリームを買って食べていると、クラスの男子二人が駆け寄ってきた。
「おい琉夏、琥一!」
「ここにいたのか!」
息を切らしてる二人の様子は、ただ事じゃないってことを示している。俺は美奈子ちゃんと夏碕ちゃんをかばうように、凭れていた柵から身を起こした。コウも「何かあったのか」と、ちょっと険しい顔で尋ねる。
聞けば、一緒に行動してた奴らが、修学旅行に来ていた他校の生徒と揉めているらしい。修学旅行先で何か問題行動でもしたら大事だ。そういうわけで、
「頼む!琉夏と琥一の、どっちかでいいから来てくんねーか!?」
俺たちに白羽の矢が立ったと、そういうことだった。確かに人より頭一つでかいコウか、金髪の俺ならその役目は適任だろう。
でも、不安そうな顔の美奈子ちゃんたちの顔を見ると、どうしてもためらってしまう。妙なことに巻き込みたくないのと、せっかく一緒に行動してるのにっていう気持ちと、多分後者のほうが大きい。
それに、美奈子ちゃんが俺の制服の裾を掴んでいる。それはまるで、行かないでって言われてるみたいで、動けなかった。
「俺が行く」
別に俺たちを見てはいなかっただろうけど、見かねたようにコウが名乗りを上げると男子二人はほっとしたように見えた。そして美奈子ちゃんは申し訳なさそうに俯いて、夏碕ちゃんも同じように視線を逸らした。俺も多分、同じような顔をしてたと思う。
「コウ、」
呼びかけても、手のひらを振られるだけだった。俺たちだけで行動しろってことだろう。
「琉夏くん……」
きゅっと掴む手に力が入って、俺の制服は美奈子ちゃんに引っ張られる。きっと、三人ともコウが言わんとすることがわかっているんだろう。
黒目がちな潤んだ瞳はあの頃のままだ。結局俺たちは、今でもずっと兄貴に守られっぱなしの甘えっぱなしだった。
「私……残、る」
どこに行こうかと聞いた俺に遠慮がちに美奈子ちゃんが口を開きかけると、夏碕ちゃんがかすれそうな声でそう言った。ずっと黙ったままだったとき、例えば遅く起きた朝なんかに発した言葉は、そんな風にかすれていることが多い。
「え……」
「だから、二人で先に行ってて。追いつけそうだったら追いつくから」
多分、来ないだろうと思った。
夏碕ちゃんが何を考えているのかはよくわからなかったけど、なんとなくそう思った。
コウを待っても、アイツはあの男子たちとどっかまわるのかもしれない、戻ってこないかも。そのくらいのことは夏碕ちゃんにはわかっていそうな気がするけど。
「わかった。コウをよろしくね」
「琉夏く…………」
美奈子ちゃんの手を引いて、俺は歩き出した。後ろ髪をひかれるような足取りだった美奈子ちゃんが素直に歩き始める頃、俺はコウへのメールを打ち終えたところだった。

20100807