虹のワルツ

41.知っていることの愚かしさ(ミヨ)


寒い。冬だからしょうがないけど、本当に寒い。でも商店街の中は、並ぶ店舗の暖気が漏れ出ているおかげでちょっとだけ暖かい。ここ、抜け出したくないな。私はものすごくゆっくり歩いている。腕時計を見ると、約束の時間まであと少ししかない。
カレンの家に行かなきゃいけない。でも商店街を抜けるのは寒いからイヤ。でも遅刻するのも悪いし。
あ。
遅刻するもっともらしい理由があればいい。そうしよう。
私は左右に視線を配る。ウィニングバーガー、書店、ブティック・パメラ、他。どれもイマイチ。
夏碕の快気祝いを買おうと思ったのに。何がいいかな、って考えて、結局コンビニでお菓子を買っていくことにした。ついでにミルクティーの缶を買って、カイロ代わりにした。中身はカレンの家で暖めさせてもらって、飲もう。

久しぶりに、といっても年末年始をはさんだ日だから単純にそうは言えないけど、見る夏碕は案外元気そうだった。
お正月に夏碕の家に行ったバンビは普通に接してるけど、あのパーティーの翌日から海外に行っていたカレンは過剰な心配をしてるせいか、夏碕に分厚いガウンまで着せてる。私だって上着を脱いでも暑いくらいに暖房が入ってるのに。いくらパジャマパーティーって言っても気が早すぎる。
「だから暑いんだってば!」
夏碕は私と違って寒がりじゃないから、当然ガウンを脱ごうとする。でもカレンは止める。
「ダメ!」
「汗だくになっちゃうって!」
「いいの!」
「よくない!」
ぶーぶー文句を言い合う二人を尻目に、私はミルクティーの中身を二つのカップに注いでバンビと分け合った。おいしい。ついでに買ってきたチョコレートの箱も開けて、先に二人で食べ始めた。
「あっ、これ冬季限定のだよね?もう発売されてたんだ」
「うん。商店街のハロゲンで先行発売されてた」
「え、そうなんだ。……帰りに私も買おうかな」
でも残ってるかなあ、と言いながらバンビはぱくぱくとチョコレートを口の中に放り込んでいる。
カレンと夏碕の攻防はまだ続いているけど、どちらかというとじゃれあっているだけって言ったほうがいいかもしれない。
ガウンの襟元を柔道みたいに掴んだカレンが、ちょっと真面目に口にした言葉は、
「いいじゃん、サウナ効果!っていうかさ、夏碕ちょっと太った?」
夏碕を沈黙させた。
私が見てもわからないけど、カレンにはちょっとした変化もよくわかるんだと思う。そうじゃないとモデルなんてやれないだろうし。
「……わかる?」
「わかる。どうしたの?」
「お正月太り……それに運動してないから、最近……。部活にしばらく出入り禁止になっちゃったし」
頬に手を当てて目を瞑ってため息をつく夏碕のガウンの紐を結びなおしながら、カレンは温水プールに行こうと言い出した。
「部活がダメなら他のところで運動すればいいじゃない。アクアビクス、いいよ?」
「そうなの?」
夏碕もカレンも衣装とかの問題があるから躍起になってるんだろうけど、少なくとも私から見れば十分スタイルがいい。体型を気にする必要があるのってなんだか大変そう、と思ってまたチョコレートの箱に手を伸ばすと、バンビと目が合った。チョコレートには伸ばさずに、両手を膝の上でそろえて、ちょっと険しい顔をしている。
「……バンビはそのままでいいと思う」
「え!あ、いや……これはそういう意味じゃなくて!」
わかりやすい。

いつもと同じ、黄色くて裾の長いパジャマを着せられた私は、これまたいつもと同じクマのぬいぐるみも持たせられた。みんな同じだけど、夏碕だけ違う。「いつものだと寒そうだから」って言いながらカレンが着せたのは男物の大きなパジャマとさっきと色違いのガウン。
「彼の家に泊まった翌朝みたい」
確かにそんな感じ。バンビがにまにましながら言った言葉は、見事に夏碕の顔を赤らめさせた。
何か言い返そうとしてるけど、何を言っていいのかわかってないような、そんな動揺っぷり。
「上だけだったら尚のことね」
ベッドに寝そべってクッションを抱えたカレンもにやにやしてる。
「いや、っていうか……あ!そうよ、なんでカレンがこんなに大きなパジャマ持ってるの?」
追い詰められたような顔をしていた夏碕が反撃に出た。言われてみれば確かに。
「これ?自分のだよ?メンズのパジャマはだぶだぶで楽じゃん」
「でも大きすぎない?……あ、Lだし」
バンビが夏碕の後ろに回って、首のうしろのタグを見て言った。きっとバンビは夏碕の味方になったつもりもなければカレンを追及するつもりもない、単純に気になっただけだろう。
「あ、それね。いつも自分の服買うときはSMLだとLだから、いつもどおりL選んじゃった」
そんだけ。と、カレンはけろっとした顔をしている。
「夏碕ったら何を想像してたのかしらねー?」
「…………意地悪」
物言いたげなカレンの視線のせいで夏碕は拗ねてしまった。体育座りみたいに膝を抱えて。
カレンが「ごめんってば!」となだめてもうんともすんとも言わない。私とバンビは呆れながら、諦めてこっちに来たカレンに手を取られる。
「いいもん!先にバンビから問い詰めるから」
言うと、私に目配せをしてくる。
うん、大丈夫。休み中にばっちり、調査は済んでる。私が頷いたのを見たバンビがちょっとおびえた顔をした。
「問い詰めるって……何を?」
「え?気になる男子のこと。いるでしょ?」
「誰?」
「だ、誰って……そ……ええ!?言わなきゃダメなの?」
「正直に」
半分決め付けたような私たちのセリフに、バンビは顔を赤らめながらぽつりと呟いた。
「…………琉夏くん」
文化祭前の帰り道のころから確信はしてたし、今となってはわかりきってたけど。
「やっぱりかぁ。琉夏くん、最近ちょっと変わったもんね?」
「周りがとまどうくらい」
「そう……なの?」
バンビは意外そうな顔をしていた。
私たちみたいに、ちょっと距離がある人間なら気づくけど、バンビはバイト先も一緒だしいつも顔を合わせてるから気がつかないんだろう。ちょうど、少しだけ伸びた髪の長さに気がつくのは長らくあってなかった昔の友達だけ、みたいな感じに。
四六時中顔を合わせていても気がつく間柄っていうのもある。でも多分、バンビたちはまだそういう関係にはなっていない。今は、まだ。
「でもいい感じだもんね、二人とも。……あーあ、妬けるわ」
「え!?ど、どっちに?」
「琉夏くんに決まってんじゃない。アタシのバンビなのに」
「カレンのじゃないでしょ」
バンビは安心するほどでもない安心をしている。カレンは桜井弟のことなんてそういう意味で見てないに決まってるのに。ていうか桜井弟だってバンビしか見てないみたいだし。
「すごく順調に近づいてる。このままいけば……」
でも、星の導きが最後まで確実に示してくれるとは限らない。言葉尻をぼやかすと、バンビがちょっと緊張した顔、カレンが複雑な顔をした。バンビはともかく、カレンの考えてることなんてわかりきってるから。
「バンビがとられちゃう!」
「だからカレンのじゃない」
どこまで冗談なのかちょっとわからないけど、ふくれっつらのカレンが今度はにやりと笑う。
「バンビは順調だとして……夏碕は?」
隅の方で膝を抱えたまま耳だけこっちに向けてる夏碕がぎくっとした顔になった。
「え、あ、私!?私はいいから!」
ぶんぶんと顔の前で手を振って否定しても、引きつってる顔がおかしくてしょうがない。
「いいじゃん、女同士だし。白状しちゃいなよ〜?」
「私だって言ったんだから夏碕ちゃんも言わなきゃズルイ」
じりじりと二人に詰め寄られて、夏碕が真っ赤になってる。すごい。これは見物。
「だってそ、んな……恥ずかしいし……」
ついに両手で顔を覆ってしまった。
「んもう!減るもんじゃないのに!」
カレンにつつかれても、夏碕はそのまま。
「でも……わかっちゃうしいい感じだよ、」
ねー。と、言いながらバンビとカレンが顔を見合わせる。私は頷くだけ。
「…………は?」
何がなんだか、な顔の夏碕がようやく顔を上げた。
「だってアレ、すごかったもん。パーティーのさ」
「アレってやっぱお姫様抱っこって言っていいんだよね?」
「うん。みんな見てたし噂してた」
「…………はい?」
夏碕はわからない、というより認めたくない、みたいな顔になった。
「ものすっごい心配してる顔だったね、アレは」
「その後もずっとぼんやりしてた」
「元気だよって教えに行ったら、すごく安心した顔になってたし」
「じゃあやっぱそういうこと?」
「でしょ」
「確定」
「ちょ、っ!ちょっと待って!」
話し込む私たちに夏碕がストップをかける。顔は真っ赤なまま。誰のことを言ってるのかはとうに察しがついてるはず。
「何よ」
「いや、そんな……そんなわけないじゃない」
自分に言い聞かせてるみたい。
「なんで?」
「だっ……て…………あー……ええと、あ!ほら、それはその、目の前にいたからであって!心配ってのも、だってみんなしてくれたでしょ?それにほら、優しいから!ね!別に特別とか、そういんじゃないって!」
言ってて虚しくならないんだろうか、夏碕。
呆れている私とバンビを他所に、カレンがにやっと笑った。
「……ふぅん?優しいんだ?」
「そう、でしょ?」
「優しいかなぁ?ミヨ?」
意見を求められてしまった。
「優しさや気遣いは誰にでも、ってわけじゃない。特別な人にだけ」
「…………」
「ほーら!カレンさんの言うとお、」
「カレン、」
夏碕が唐突に人差し指を突き出した。
「……何?」
「それ以上続けたら、もう課題教えてあげない」
「えっ」
ああ、それは効果覿面かも。パジャマパーティーの翌日、つまり明日は冬休み最終日で、課題をやってないカレンは明日一日で終わらせないといけない。とどのつまり、パジャマパーティーにかこつけてカレンは夏碕の手を借りて課題を終わらせてしまおうって思っていたわけで。
それに私はノートは見せない主義だし、バンビは用事があるから明日の朝に帰ってしまう。
「なにそれズルイ!」
「ずるくない。それにもう寝ないと美容に悪いんじゃないの?」
時計はすでに0時を回っている。
「はい、夏碕ちゃんの勝ち!」
バンビが間に入って夏碕の腕を高く掲げると、カレンは大人しく毛布の中に入っていった。ものすごく、渋々だったけど。
「ちぇー。でもいつか絶対色々聞き出すからね」
「話しません」
「ケチ!」
「もー寝ようよー……」
実は眠かったらしいバンビがあくび交じりに呟いて、部屋の電気を消した。おやすみ、と互いに声を掛け合ってしばらくすると、バンビとその次にカレンがもう寝息を立てだした。
「夏碕」
「……ん?」
二人を起こさないくらいの小さな声で、私は伝えなきゃいけないことを伝えた。
「あのね、もうすぐ転機が訪れる。選択を間違えないで。それから、」
これは、星じゃなくて私の意見だけど。
隣で横になる夏碕の手を握る。不安にさせたいわけじゃないから。きっと見えないだろうけど、私は微笑んだ。
「夏碕はとっても魅力的。だからもっと、自信を持って。星は誰かを導けても、誰かを輝かせることはできない。それができるのは、自分を知ってる自分だけ、だから」
「…………うん……ありがとう」
私が言わなきゃいけないのはそれだけ。私もカレンもバンビも、夏碕が幸せに笑ってるところが見たいだけ。
おやすみ。
再び声をかけあって、目蓋を閉じた。
今日はどんな夢を見れるかな。
夏碕は、どんな夢を見るのかな。

20100921