虹のワルツ

42.ただ笑顔のある場所へ(不二山)


白河夜船、って言葉がある。周りのことがわかんなくなるくらい熟睡してることを指すらしい。
本当は知ったかぶりしてるって意味らしいけど、なんでそうなんかはわかんないし別にどうでもいい。
午後の授業中にうっかり寝てしまったときはゆらゆら船の上にいるみたいで、ああなるほどなって思ったから覚えてるだけ。
瑞野に声をかけられたとき、俺はそんな感じで窓際の席に突っ伏して寝ていた。

「不二山くーん、起きてー」
肩をトントンと叩かれて、ゆっくりと顔を上げると別のクラスのはずの瑞野がいた。なんで?ってか今何時だ?
キョロキョロとあたりを見回すと、教室の中にはほとんど人がいなくて、窓からはオレンジ色の夕陽が差し込んでいた。どうやらとっくに放課後で、俺はHR中からずっと寝てたみたいだ。
「起きた?」
「……なに?」
目元を擦りながら瑞野を見上げると、俺に紙の束を差し出してきた。なんだこれ。
「生徒会の子から頼まれたの。来年度の部の書類で、部長と副部長は目を通しといてって。二部あるから」
「あー……わかった」
「……ちゃんと起きてる?」
苦笑する瑞野からもらった書類を捲ってみると、更に眠気を誘うような文字が躍っている。
「起きてるよ。ていうか何時?」
「もうすぐ5時半だよ。部活行かなくていいの?」
やべっ。
俺が立ち上がりかけたとき、教室のドアが開いた。
「嵐さん!」
道着姿の新名がしかめっ面で入ってきた。
「もー何してんすか!みんな待ってますよ!」
つかつかと俺の席の方に歩いてくると、息を整えながらまくし立てた。走ってきたんか。入部したてのころと比べるとコイツも頼もしくなったなと思う。
「悪い。準備するから先行ってろ」
「早くしてくださいよ」
今回ばかりは俺が悪い。いや、6限目に眠くなるような生物の授業があったのも悪い。
「ていうか何で夏碕さんがいるの?」
瑞野に懐いてる新名はちょっと機嫌がよさそうな口調になった。単純。
「うん?お届け物をしただけよ?」
「え?何何?」
お前、なんで俺に敬語で瑞野にはタメ口なの?
「これ」
俺が特に何も考えずにばさっと書類を渡すと、新名は何故か呆れたような顔をした。
「あーこれ、俺も同じクラスの生徒会のヤツから言われたんすよ?ちゃんと書類とか受け取りに来いって」
「しょーがねーじゃん、覚えてんだけど忘れちまうんだから」
「いやそれ、え?覚えてんのに忘れるとか意味がわかんねえ……」
鞄を担いで教室を出る用意をすると、俺たちは廊下を急ぎ足で歩き出した。瑞野も部活行くから、途中まで一緒に歩いてる。
つーか新名、俺は急かしたのに瑞野とは喋りたいわけか。わかりやすいやつめ。
「気が利くマネとかいればいいのになぁ」
新名がぼやく。そりゃ俺だってそう思うけど、そんな都合のいい人間なんて中々いねえし。
「ならお前が見つけてくるか、お前が気が利く後輩になれよ」
「嫌っすよ!」
瑞野が俺たちのやりとりを聞きながら笑っている。それを見た新名は情けない顔になった。
「っていうか夏碕さんみたいな人がマネだったら俺がんばるのに」
「無茶言わないの。これでも部長なんですから」
「そーだぞ新名。っていうかお前今はがんばってないわけか?」
「え!?いや、がんばってるに決まってんじゃないすか!」
慌ててる。けどがんばってるのは俺だって知ってるから「冗談だ」って笑い飛ばした。
「じゃあせめて夏碕さんみたいな子が来年の新入生にいることを俺は願いマス」
「……なんで私?」
怪訝な顔をしている瑞野と、俺も同じ気持ちだった。
そんなに親しいわけじゃないけど、でも確かに瑞野は気が利くいいやつだと思う。部長やってるくらいだし、だから後輩を引っ張っていくのとか得意なんだろうな。
でもそれは部長だからで、部長やってるやつがいいマネージャーになれるとは限らない。
「そりゃ、毎日ローズクイーン候補に見守られれば俄然やる気も……ええと倍増するし!?」
なんで疑問文?ていうかローズ、ローズ……なに?
「ローズ……?お前そういうのになってたんか?」
「えっ……?と?」
瑞野はへどもどしながら目を泳がせている。はっきりしねーな。だったらと思って俺が新名のほうに視線を移す前に、新名は声をあげた。
「嵐さん人の話聞いて。候補!まだ候補だから!」
「だからそのロー、ってなんだよ?」
「知らなかったんすか!?」
呆れたような新名から説明を受けた。なんか癪。
要するに勉強も運動もできて、みんなから人気の女子、しかも美人が文化祭で毎年選ばれてるらしい。
「へー。そんなんあったんか」
「そーっす」
「で、お前が候補なんだ。すげーな?」
「……初めて聞いた」
恥ずかしいんだかびっくりしてるんだか、瑞野はなんともいえない顔になった。
「でも今の二年生ってレベル高いから、候補があと、確か……美奈子さんと、C組の……」
新名が指折り数え上げた人数はギリギリ両手に納まるくらいだった。
「そんなにいるのか?」
「まだ1月っすからね。来年の文化祭前ぐらいにはぜってー減ってる」
「ああ、じゃあ私すぐに脱落するね、よかった……」
瑞野が変に安心している。なんでだろ。
「またまた謙遜しちゃって」
新名がおどけて見せた。ああ、謙遜か。納得。こいつそういうヤツだし。
「最有力候補は夏碕さんと美奈子さんなんだからさ、女王目指します!ぐらい言っちゃいなよ?」
「……そうなの?」
びっくりしてる。
なんだ、最有力候補ならもっと堂々としてりゃいいのに。
「へー!やっぱすげーじゃん。だったらもっと自信持ってさ、優勝する勢いでがんばればいいじゃん」
謙遜する女王ってなんか変だし。そう思って俺が言った言葉のせいで二人は変な顔になった。
「いや……そういう勝負じゃないすから」
「そうなのか?なんか、わかりづれーな……いっそ勝負にしたほうがわかりやすくていいんじゃねえの?」
「また無茶苦茶なことを……」
じゃあどうすりゃいいんだよ。俺が新名に愚痴ってる横で、瑞野は微妙な笑顔を浮かべてた。
女王候補ならもっと華々しく笑えばいいのに、って俺は思った。

20100921