虹のワルツ

45.無理≠不可能(夏碕)

今週はなんだか、すごく疲れた……。
クローゼットの扉の取っ手にかけられた服一式を見ているとため息がとまらない。

琥一くんをデートに誘い、大量のガトーショコラを作り、それだけでも心身ともに疲れそうなものなのに、
「夏碕、ちゃんと着ていく服とか考えてる?」
木曜日の放課後、カレンに捕まった。これが一番私を悩ませた。
「考えてるも何も……」
目を泳がせた私を見て、カレンは大きなため息をついて苦笑した。
「うん、前言撤回!ちゃんとライブハウスで浮かないようなコーディネート、考えてる?」
「え……」
とりあえず流行ってるものを身に着けておけば大丈夫だろう、ぐらいにしか考えていなかった。カレンはお見通しだったようで、私は下校の道すがら、彼女からお説教を受けるはめになってしまった。
「やっぱりね。
別に夏碕のセンスが悪いって言ってるわけじゃないのよ?たださ、いつもけっこうお上品めな格好してるけど、それでライブハウス行ったら絶対に、浮く。確実に。
考えてもみてよ?ヒールでハイキングに行かないでしょ? それと一緒。ってわけでちゃんと考えとくように!ハイ!」
カレンが鞄の中から取り出したのは、普段私が絶対に読まないようなタイプのファッション雑誌3冊だった。
本当にどうでもいいんだけど、そのとき私は『どうしてファッション誌ってこうも殺人的な重さなんだろう』と眉を寄せてしまった。
「えっ、ちょっとなにこれ!」
「それ読んで勉強しなー」
カレンは自分の家の方向へすたすたと歩き去っていく。その背中に、カレンが教えてくれたっていいじゃないのと呼びかけると、
「次があるかもしれないってのに、毎回そうやってアタシを頼ってるようじゃダメでしょ!」
と、至極まっとうなセリフが返ってきたので何も言い返せなかった。
夕暮れの中、重い雑誌をかかえて途方にくれていた私だったけど、もう後戻りなんてできない。色々な意味で。
やるしかなかった。
大体、私一人が浮いてしまうならまだしも、隣に琥一くんがいるのであれば彼に恥をかかせることになってしまうかもしれないのだ。
それだけは、避けなければならない。
大体カレンがこうして情報をくれるだけでもありがたいんだろう、きっと。デートに行くのは私であって、その結果がどうなろうと直接的にはカレンには関係ないんだから。
なんだかプレッシャーのようにも思えるけど、がんばらなくてはいけない。
何よりも自分のために。

その日は学校の予習復習もそこそこに、雑誌を読み込むことにした。
載っている服は、なんだかやたら露出度が高かったり、アクセサリーでも身につけるのをためらうような派手な色合いだったり、つまり私が普段着るような服の真逆にあるような服ばっかりだった。
こういう服が、ライブハウスで浮かない服なんだろうか。わかるはずもない。行ったことがないんだから、そこにどんな人たちがいるのかもわからない。
それにしても、ページを捲っているとなんだか頭が痛くなる。大体、こういうのを持っていないのにどうしろと言うのか。そう、そこが問題。
大体モノトーンか淡い色の、カレン曰く「お上品な」服しかない。このままじゃ無理だけど、でも組み合わせ次第でなんとかなるはず、というか何とかするしかない。私はクローゼットの中身をひっくり返して、雑誌とカレンの流行メモを見比べながらどうにか使えそうなものをピックアップしていった。
黒いジャケット、これは母さんがフリマで買ってきて『大きすぎたから』って私に押し付けたもの。
シンプルなVネックのセーター、これは首まわりの開きが大きすぎて、買ってから一度も着てない。
デニムのホットパンツ、いつかのパジャマパーティーでカレンに無理矢理着せられて無理矢理押し付けられたやつ。
ラメボーダーの派手なキャミソール、これは美奈ちゃんが買った福袋の中身だったけど、色違いをもってるからって言ってくれた。
濃い紫のカラータイツ、これは黒タイツを買ったときにキャンペ−ンのおまけでついてきたやつ。ホットパンツだけじゃ寒いからこれを下に履こう。
寒いと言えば、首周りがこんなに開いてちゃこっちも寒いだろう。
「ええと、確か……」
衣装ケースの中を引っ掻き回して、一番下にビニール袋入りのままほったらかしにされていたゼブラ柄のストールをみつけた。
靴は編み上げのショートブーツがあるからそれにしよう。
問題解決、さて寝ようと思って振り返った私の目の前、ベッドの上には候補から脱落した色とりどりの服が散乱していた。
これじゃ眠れない。
いい加減疲れていたので、私はそれらをポイポイと床に落としてしまうことにした。どうせしばらく着ないんだから、皺になってもいいや。冷めた布団にもぐりこんで少しもしないうちに睡魔は私を夢の中へと運び去った。


決戦のバレンタイン、って感じだ。
ちょっと違うけど、昔母さんがそんなタイトルの曲を聴いていたような気がする。
私、今まさにそんな感じ。いや誰かと戦うわけじゃないけど。でも強いて言うなら自分と戦っているっていうべきか。
正直に言うと、今まで勝負服とか聞いてもピンとこなかったけど、自分がこうなってしまうと勝負っていう言葉が非常にしっくりくるのがよくわかる。
これから先、起こることへの不安と期待とが混ざって、今すぐにでも逃げ出したい。そんな自分との戦い、かな。
私が立っている後ろにはブティックのショーウィンドウがあって、さっきから何度もそれに自分を映して髪を整えてる。今日はイノみたいに髪を、気持ち右寄りにわけて全部下ろしてる。乾燥で広がってないかな、毛先が切れたり枝毛とかないかな。みっともないってわかってるけど、チェックする手が止まらない。
あ、唇も乾燥してる。ポケットの中に入ってた小さなケース入りのリップバームを取り出して、蓋を開ける。美奈ちゃんから誕生日プレゼントとしてもらったコレ、桃の香りがちょっとおいしそうだし、薄くピンクに色づくのも気に入っている。
薬指に少しとって、ショーウィンドウを鏡にして下唇に塗りこもうとして触れた瞬間に声をかけられた。
「瑞野」
びっくりして振り返ったとき、薬指で唇にふれたままだったからきっと、声をかけた琥一くんは変に思ったに違いない。
「ご、ごめん!」
というか、人前でこういうことをするのはけっこうみっともないなってようやく気づいて、急いで塗りこんだ。
今日はもうほとんど癖みたいになってるけど、また髪を整える。私服の琥一くんを見るのが初めてってわけでもないのに、なんだか気恥ずかしくて顔を上げられなかった。
「待ったか?」
「ううん!」
大きな声で返事をしてしまって、もっと恥ずかしくなる。これじゃ浮き足立ってるのがまるわかりみたいで、ああ、落ち着かないと……。
首に巻いたストールの中に顔をうずめてしばらくしても、琥一くんは何も喋らない。
「……琥一くん?」
そろそろと顔を上げてみると、ぼんやりした顔の琥一くんと目が合った。
「あの……」
「―――あ!いや……」
慌てて目をそらした彼の挙動は、私を不安にさせる。何かおかしいところがあったのかな、とか、やっぱり人前でリップクリームを塗るのはダメだったかな、とか考えていると、ちょっとためらいがちな声が降ってきた。
「オイ……なんで、そんな格好してんだよ?」
「えっ……」
やっぱり私がこんな服を着るのは変だったみたい……。わかってたけど……。
もういっそストールをかぶってしまいたい、そのほうがまだマシなんじゃないだろうか、なんてことすら考えてしまう。
「似合わない……よね。変だ、」
「バカ、そうじゃねえ」
ため息交じりの声が、琥一くんにかき消された。
「なぁ……似合ってんぞ?その格好」
顔を上げると、予想外のセリフを吐き出しながら琥一くんが頬を染めていた。
「あ―――あ……りがと」
「いや……。おい、飯……食いにいくか?」
「う、うん!」
ああ、まただ。なんでこうも上ずった声しか出ないのかな。かっこ悪い……。
いつもの喫茶店へ向かうべく、並んで歩きながら私は考える。
一応、褒められたんだから私も琥一くんの服について何か言うべきではないだろうか、とか、でも私は詳しくないから的外れなことを言ったらどうしようとか。
ちらっと目だけを動かして、琥一くんを盗み見た。
ダブルファスナーの黒いブルゾン、色落ちし始めたばっかりって感じのインディゴのジーンズ、編み上げのブーツは、甲の部分だけカバーみたいなのがついてるデザイン。よくわかんないけど、全部かっこいい。おしゃれっていうか、自分に似合うのがなんなのかわかってる人なんだと思う。
私自身が、一体どんな服を着たらいいのかわかっていないからそう思うっていうのもあるんだろうけど、琥一くんはやっぱりかっこいいし、素敵だと思った。
きっとそのせいだ。
「どうした?」
と、尋ねられたときに咄嗟に
「うん、素敵だなって――」
ぽろりと答えてしまった。あっと思ったときにはもう遅かった。
私はもちろん、琥一くんまで動揺してしまって、例の喫茶店に入るまでろくに口も聞けなかった。
どこまでもしまらないというか、かっこつかないというか、本当に大丈夫なのか不安になる。
すでに自分との勝負に負けそうで。

20101008