虹のワルツ

55.くるくるめぐる(カレン)

「夏碕も出ればよかったのに」
「そんな余裕ないの。お互い知ってるでしょ」
「そりゃそうだけどさぁ……。あ!ホラ見て見て見て!もう、バンビ!カッワイイ〜〜!」

揃いの衣装に身を包んで、マスゲームの最前列で踊っているバンビは誰の目にもかわいく、魅力的だと思う。
アタシとしてはこの光景、見逃せないしそういう気もさらさらない。
ないけれど、その割に注意力散漫になっている、そういう自覚はもちろん、ある。

夏碕の不機嫌がこんなに長く続くとは思わなかった。
そもそもこのコが不機嫌になることそれ自体が珍しくはあるから、これは果たして不機嫌と言っていいものかわからない。わからないけど、ちょっと近寄りがたいくらいに纏っている空気が違う。
「(いつまでぶすっとしてんだか……)」
バンビも出場している体育祭のマスゲームを、アタシと夏碕は随分遠くから見ている。応援席からでもそんなによく見えるわけじゃないし、華やかな種目だから準備の手を止めて見入っている生徒もいるほど。
練習を重ねてきたメンバーの華麗な動きに付け加えて、このカレンさんも協力した衣装の愛らしさがあればこの状況もさもありなん……
ハァ。
夏碕の不機嫌の原因は、GW中の合宿で凡ミスを連発したこととか、模試の結果が芳しくなかったこととか……色々、アタシにだって察しはつくんだけど、多分それだけじゃないんだろう。
それに、そういう悩みを根掘り葉掘り聞き出すのもシュミじゃない。言いたくないなら言いたくないでいいし、いつか話してくれるんじゃないかなって、そういう信頼もある。
しゃべってくれない夏碕を水臭いとは、思うけど。

そうこうしている間にマスゲームは終わってしまった。バンビと夏碕と両方を気にかけていたんだから、思ったよりあっという間に終わってしまったような気がしてなんだか釈然としない。かといって夏碕をほっぽりだすなんて選択肢は最初からなかったけど。
「あーあ、すごい人の山ねぇ」
マスゲームを終えた女の子たちが、一緒に写真を撮ろうと詰め寄る男子たちに囲まれているのがここからでもよく見える。
多分その中心にいるのはバンビだろうなあ……。ちょっと気に食わないけど今日ぐらい多めに見てやろうと、アタシは男子へのお目こぼしを決めた。我ながら何様だとは思うけど。
「ね、アタシたちも後でバンビと一緒に写真とろうね?」
俯いた夏碕の肩を叩いても、
「んー」
気のない声しか返ってこない。
こんっなにいい天気の体育祭の日にこんっなに陰気な子の隣にいたんじゃ気も滅入るわ。我ながらなんと友情に厚いことだろうと泣けてくる。というのは冗談で、こんな風になってるからこそ、ほっとけないんだけど。
「ほら、カレンの番だよ」
「それはちゃんとやるわけね……。うーん……」
アタシも俯いて地面に手をつくと、軽快に走る足音が近づいてきた。
「ちょりっす!」
砂煙を上げんばかりの勢いで、というか砂煙を上げてアタシたちの目の前に現れたのはニーナだった。
「ちょっとアンタ!もう、砂!」
「あっ!すいませ……ってか何してんスか?え?棒倒し……?」
そう、アタシと夏碕は辛気臭いにもほどがあるけれど、グラウンドの片隅で棒倒しに興じていたのだ。案の定ニーナは爆笑しだして、その後にはっと気がついたような顔をする。
「……ってかカレンさんがやってるってことは、ひょっとして棒倒しブームくるとか?」
「くるか!」
「いてっ!」
ニーナの頭を叩きながら、ちょっとだけ明るくなった場の空気を感じ、感謝した。割と使えるときもあるのかと、また何様発言を心の中に留めておく。
それにしてもニーナはいつもながらの明るさプラス、体育祭の盛り上がりのせいで妙にテンションが高い気がする。わからないでもない。
ていうかみんなこんなだし、ニーナが普通で夏碕がおかしいだけか。
「そーそー、カレンさん!さっきのマスゲームの衣装マジパネェ!オレ超眼福って感じだった!」
「まぁね?でも女の子たちが元々かわいいのもあるけどね」
「あー確かにー!美奈子さんとかマジヤバかったし。2年の連中も一緒に写真撮ろうとして、さっき玉砕して……プッ」
「玉砕?」
思い出し笑いをこらえるようなニーナの言葉尻を捕まえると、何故か得意そうな顔で教えてくれた。
「いやホラ、美奈子さんフツーでも超人気っしょ?だからもう写真撮りたいヤツ山ほどいて、マジ向こう凄かったんスよ。っていうか琉夏さんと琥一さん来てからがマジのマジにヤバかった。だってさ、“そんなに写りたきゃ一緒に写ってやるよ”って、ドスの聞いた声で……」
また思い出し笑いをするニーナの横で、夏碕が俯いた。
「そしたらもー、連中マジびびっちゃって?まさに蜘蛛の子を散らすようにって感じでこう、ザーッと!保護者っつーかSPっつーか、あ、幼馴染だからああいうことするんスかね?」
気づかないニーナはまるで武勇伝を語りたがる少年の顔でさらに続けた。
「あ、オレはそういうの予測済みだったからマスゲーム始まる前に一緒に――」
ニーナの言葉は、突然立ち上がった夏碕に遮られてしまった。
「……夏碕さん?」
「あ……っと、ちょっとお手洗い!」
情けなく笑って、夏碕は体育館横へ歩いていってしまう。
残されたアタシたちはしばらくの間、茫然とその姿を見送っていた。
「…………オレひょっとしなくても……怒らせちゃったとか?」
恐る恐るアタシに聞いてくるニーナに答える代わりにため息をついた。
「えー…………ウソ……オレ、マジありえねーし…………。カレンさん!どの辺が失言だった!?」
「どの辺も何も……」
どう答えていいのかアタシにだって見当もつかなかった。ニーナは夏碕に負けず劣らずの情けない顔で(男ならしゃっきりしろと言いたくなる)、これじゃニーナだけを責め立てる気にはなれない。
「いやアンタも悪かったけどさ、アレは夏碕も悪いし何よりタイミングがサイアクだった!」
「タイミング……?」
怪訝な顔のニーナに、夏碕の不調のことを、差し障りのない程度に説明してあげると、ニーナはニーナで合点がいったような顔をした。
「なーる。夏碕さん、進路のことも迷ってたみたいだし、なんか両親とかから色々言われたりもしてるっぽいし」
「……そうなの?」
そういや前に、二人で話しこんでたなあと思い当たる。
でも夏碕の進路のことについてはアタシは何も知らなかった。悩んでるっていうことしか知らなくて、具体的に何が原因とかそういうのは全く聞いてもいない。
「え、なんか家からは少なくとも一流レベルのとこに行けって言われてるみたいなこと聞いたんスけど」
「ええ!?あの放任主義の夏碕ママがそんなこと言うはずないし! ちょっとニーナ、適当言ったらシメるよ!?」
「ちょ!適当にとか言ってないっス!」
至極真面目な顔だからニーナがウソをついてることはないんだろう。
それにしたって、アタシはさっぱりわけがわからなくて、ついでに何も言ってくれない夏碕に腹が立ってきていた。
「…………なんか、事情あるっぽいんスかね」
不機嫌になったアタシの顔色を窺うようなニーナは、ホントにヤブヘビってヤツなんだろう。アタシ、当事者のくせにちょっと気の毒に思えてきた。
「……かもね」
きっとそうだ。きっといつかは話してくれるって思いたい。そうじゃなきゃやってられない。
アタシまで暗い感じになっちゃって、ニーナが心底困ってるっていうのが伝わってくる。
「……あーっと、次、二人三脚っスね」
「ん?ああ、そうね……。アンタ出番ないの?」
「あ、オレは――」
「新名!」
あれっ、不二山君の声がやたら近くから……と不思議に思ったのと、ニーナが痛そうな拳骨をくらったのがほぼ同時で、アタシは口をぽかんと開けることしかできなかった。
「〜〜〜〜!嵐さん!」
「お前こんなとこで油売ってたんか。さっさと準備しろっつったろ」
仁王立ちという言葉がこの上なく似合うポーズで、不二山君はニーナを見下ろしていた。
何故か柔道着で。
「い、今行きますって!」
「モタモタすんな」
「いや、っていうかなんで不二山君、柔道着なの?」
「あれだ。部対抗リレー」
ああ。と納得した。アタシは辞退したけど、そういえばそんな競技もあったかとようやく思い出す。どうも体育祭とは違うことばかり、さっきから話していたせいでぼんやりしているんだろう。
アタシから見てもやる気に満ちている不二山君がニーナの首根っこを掴まんとするのを見ながら、そういえば夏碕が中々帰ってこないのもようやく思い出す。
「じゃあな、花椿」
「あ!ねえ、夏碕知らない!?」
「瑞野?」
不二山君は少し考えるように視線を上にやって、
「知らねーけど……そういや琥一にも聞かれた」
「コーイチくんが?」
「うん。なんかあんのか?」
と、言われても、アタシはただ単に夏碕が戻ってこないのが気にかかるだけだし、コーイチくんの思惑は何のためなのかもわからない。
「あ、ううん!いいのいいの。それより急がないと不味いんじゃないの?」
「あ」
「あ、じゃねーっすよ嵐さん……俺のこと急かしといてコレだかんなー……」
「口答えすんな」
「イデッ」
不憫なことに二度も殴られたニーナと不二山君は、北ゲートの方に走っていった。
一人きりになったアタシは、どうしたものかととりあえずトラックの中を見る。二人三脚の順番待ちをしている生徒たちの中で、頭一つ飛び出ているのを見て、ようやく合点がいくとともに、夏碕のアホ、と心の中で悪態をついていた。
ううん、きっと夏碕だって二人三脚もフォークダンスも楽しみにしていたに違いない。
誰かが悪いわけじゃない。
きっと小さなひずみがみんなの中にあって、それが段々全体に響いて、きっとこのままじゃ大変なことになりそうで。
そこまでわかっていても、アタシにはどうしようもなかった。できるわけ、なかった。

20110320