虹のワルツ

68. 痛む訳さえ分からずに(カレン)

忙しいときに限って、用事というのは入るもので。

「はぁ!?アタシと夏碕でダンスのレッスン!?」

あまりにもいきなりな上に突拍子もない申し出に思わず声を荒げると、学園演劇実行委員の女の子はただでさえ小さな体をすくめてしまった。ぽかんと口を開けているアタシに、おどおどと彼女は説明を繰り返す。
そりゃあ、確かに彼女の言うとおり、中等部のときの文化祭で劇はやったわよ。
夏碕がお姫様で、アタシが王子様のシンデレラを。
あまり思い出したくない思い出のひとつである理由は単純で、要するにあの劇の前後から「カレン様〜!」の子達が倍増しちゃったわけで。
そりゃ、そりゃあアタシだって自分がお姫様ってガラじゃないのは自覚してるけど、よりによって男装の麗人としてキャアキャア言われるのは腑に落ちないというか、ぶっちゃけ不本意というか。

とは言ってもそれが断る理由になるとは思えない。
アタシのカワイーイ、バンビがジュリエット役なんだもの。断ったりできない!できるわけない!
(ついでに目の前のこの子も涙目で懇願してるものだから断る気であったとしても言い出しづらい)
というか、アタシはアタシでバンビをそりゃもうカワイーくしちゃうために、劇の衣装係に立候補してたもんだからそれなりに忙しいんだけど。ついでに吾郎オジサマから課題という名の無茶振りが来てるのもあるんだけど、それは今は考えないことにしたい。
夏碕は井上ちゃんたちとバンドを組んで、というか、組まされて忙しそうだし(あの子はアタシと違ってバリバリ勉強もしなきゃいけないのに)、何日かの間、少しの時間だけでいいからということで引き受けたらしかった。
夏碕なら、どんな理由があっても断るなんてことはしないんだろう。お人よしだからね。
苦笑しながら申し出を引き受けると、目の前で泣きそうだった彼女の顔が安堵の色に染まった。
実行委員の彼女曰く、他にダンスとかできそうな人が見つからなくて、ということだったのだけど、本当の理由は別にあったんだって知ったのは、練習当日のことだった。


翌日の放課後、早速出演者が練習中の空き教室へ二人で向かうと、ジュリエット役のバンビにロミオ役のルカ君に、それからその他大勢役の生徒たちが控えていた。
パーティーの場面で踊るメンバーにダンスを仕込んでほしいというのが実行委員の彼女の頼みだったわけで、それはアタシも夏碕も聞いていたんだけど、

「うわぁ……」

感激しているわけでも驚いているわけでもなく、アタシは今、心底ひいている。

「(ね、ねぇ、ひょっとしてアレも?)」
「(アレって……?あ、桜井君のこと?う、うん……)」

なんとも言えない顔でアタシの言葉にうなずいた彼女と顔を見合わせて、笑ったものか頭を抱えたものか悩んでしまう。

なぜ、桜井琥一がここに。


そのときは怪訝に思うしかなかったのだけど、後から聞いた話だとコーイチ君も単なる被害者でしかなかった。
クラスメイト(主に、というかほとんど男子)が結託して彼を劇に推薦し、配役に困った実行委員は「兄弟だしルカっつーかロミオの従兄弟のティボルトでよくね?」「いやちげーし。ティボルト、ジュリエットの従兄弟だし」「もうどっちでもよくね?」という暴論により、哀れ桜井琥一はモブどころかしっかりと台詞のある役に選ばれてしまったのだった……。
クラスメイトたちの気持ちもわかる。たしかに強面のヤンキーが貴族の格好して時代がかった言い回しの台詞をしゃべってたらそれはもう、笑えるだろう。
コーイチ君もかわいそうといえばかわいそうだけど、実行委員はもっとかわいそうだ。
ああ、それでアタシと夏碕に白羽の矢が立ったわけか。というのは、その話を聞く前にうすうす気がついてはいたけど。

夏碕はどう思っているのか、ちょっと驚いたような顔をしておとなしくたたずんでいる。
ほんとに、『呼ばれたから来ただけです』ってカンジで。
そういえば二人、なんだか最近よそよそしいというか、なんか変だなとは思っているけど何かあったのかな。
声をかけようとした矢先、実行委員の子が説明を始めだした。
「えっと、踊るのは全部で6ペアで、ロミオとジュリエットが真ん中で踊るのを邪魔しないように……」
黒板に図を描きながら話している彼女の右側に、妙に愛嬌のある落書きがあった。アレ、ルカ君が描いたんじゃないかな。と、含み笑いしながら話を聞いていると、

「つーかさ、なんでわざわざその二人連れて来てんの?」

女の子にしてはちょっと低めの声が教室に響いた。
みんなぎょっとしたように振り返った先には、隣のクラスの、悪い意味で目立つ女子がいた。金髪みたいな明るい髪に濃い目の化粧と短すぎるスカート。ステレオタイプもいいとこってカンジの、いわゆるギャル。
そのギャル(名前までは知らない)は椅子にだらしなく座って不機嫌そうに黒板を眺めていた。
「別にダンスとか、DVDとかネットで見ればよくね?カンケーないやつ連れてきて、そーいうのどーなんだよ」
「あの、でも花椿さんも瑞野さんも、中等部でシンデレラ、」
「昔じゃんそれ。委員長さぁ、」
あ、委員長って呼ばれてるんだ。なんてどうでもいいことを考えていた。
いきなり、ろくに面識もない人からこんな悪意を向けられて冷静でいられるほどアタシは人間ができてるわけじゃない。
彼女はさらに何事かを言おうとしたみたいだったけど、ドスのきいた声がそれに割り込んだ。

「惚れた男と踊れねえからってゴチャゴチャ言ってんじゃねえよ」

ルカ君だった。
みんな硬直したみたいに黙りこんでいた。さりげなく見回した教室の中で、ルカ君だけが妙に冷たい目をしていた。
惚れた……?

「ハァ!?マジ何言ってんの!?」
動揺した彼女は裏返った声で叫んでいた。それはそのまま、ルカ君が言ってることが本当だってことで……でも惚れた男って一体……。
誰も口を挟めなかった。当のルカ君ですら、口を開くのも面倒だといわんばかりに彼女を睨み付けるだけだった。
しばらく気分の悪い沈黙が続いたあと、彼女は耐え切れなくなったように部屋を出て行った。
すれ違いざまに、思いきり夏碕を睨みつけて。
ああ、そうなんだ。
彼女、コーイチ君のことが好きなんだ。
アタシはともかく夏碕がこの場にいれば、そりゃ確かに嫌な気にもなるだろう。ルカ君の言葉を信じるなら、くじ引きかなんだか知らないけどダンスのペアになれなかったのが残念であんなこと言ったんだろう。
夏碕は、申し訳ないと思っているのか、それとも傷ついたのかうつむいたままだった。
コーイチ君は、目だけを伏せて微動だにしなかった。
また、居心地の悪い沈黙。


「おじゃましまーす、夏碕いるー?……あれ?なんかあった?」

間延びした声とともにやってきたのは井上ちゃんだった。珍しくきょとんとした顔であたりを見回している彼女に、夏碕が顔をあげて「どうしたの?」とたずねる。
「いやいや、どーしたのはこっちの台詞でー……。あ。さっきヤマンバの子孫が走ってたけどカンケーある?」
ヤマンバの子孫……きっとあの子のことだろう。
いつもなら笑えそうな井上ちゃんの毒舌も、ブラックユーモアにしか聞こえなかった。
「なんでもないよ?夏碕に用事?」
アタシはできるだけ明るい声で笑って見せた。
「スタジオが急に空いたらしくて、練習しにいこーと思って」
よく見れば井上ちゃんは大きな楽器を肩にかけていた。
「あっ、瑞野さん、用事ならいいよ!また今度おねがいするしっ!」
委員長は薄情にも(とは言うものの、その場を収拾させるためにはそれが一番だったのかもしれない)夏碕を練習へと行かせてしまった。
後に残されたアタシたちはスッキリしないまま、練習を始める。教室の後ろに机と椅子を寄せて、十人程度が踊れるように場所を作って、その作業を率先してやったのはルカ君だった。

さっき声を荒げたときも感じていた違和感がよみがえる。
彼は、こんなふうに積極的に行事に関わるタイプじゃなかったのに。さっきのアレとか、ルカ君はめんどうがって真っ先に逃げていきそうなものなのに。

『最近、ルカ君ちょっと変わったよねー』

数日前に廊下で話し込んでいた女の子たちの、戸惑うような声を思い出した。
アタシも、そう思う。
まじめに練習に取り組んでいるのが嘘みたい。
ルカ君は時折冗談を交えたり、ちょっとふざけてみたりして場を和ませたり、お通夜みたいだった空気はいつの間にか消え去っていた。
どうしてだろう?ジュリエットが、バンビだから?でもそれだけでこうも変われるもの?

ルカ君のバンビを見る目はすごく優しくて、でもそれは同時に、すごく儚いものにも思えた。
それはあまりにも美しくて、いっそ神々しさすら感じたと言ってもいいほどだったけれど、
帰り際にコーイチ君を睨んだ彼のあの恐ろしいほど冷たい視線を、アタシはしばらく忘れられそうになかった。

20111211