虹のワルツ

90. 零れ落ちた音が木霊する(美奈子)

「必殺、仕掛人……!」
「バンビ、つっこまないから」

クリスマスパーティーの会場は今年もにぎやかだ。その片隅で、これから起こるだろうことを想像して思わず呟いた一言はミヨの冷たーい一言に叩き落されてしまう。

「だって、楽しみだし……ミヨは?楽しみじゃない?」
「ううん、楽しみにしてる」
「やっぱり!ああもう、ちゃんと踊れるのかな、そこだけは不安だよねぇ……でもきっと大丈夫だよね、ね!?」
「バンビ、はしゃぎすぎ」

少しだけ微笑んだミヨのカチューシャには、淡いピンクのバラの飾りがついている。実はこれ、私とカレンが一緒に作ったもので、夏碕ちゃんの分も合わせて四人おそろいのデザインになっている。

『もうちょっとパールを散らしたほうがいいかなぁ?』
『うーん……それもいいけど、こっちのスワロ貼ったほうがキラキラするんじゃない?』

そうやって放課後やお休みの日を使って、二人でこっそり作っていたんだ。今日ミヨと夏碕ちゃんに見せると、二人ともびっくりしながら、だけどものすごく喜んでくれた。
綺麗な造花のバラをメインに、チュールやリボンで飾ったコサージュタイプの飾り。テグスに通したフェイクパールと、花びらに貼り付けたスワロフスキーがシャンデリアに照らされて朝露みたいに輝いている。これはカレンのアイデアなんだけど、本当に「うまいなぁ」 って思う。
私のコサージュは赤で、今日のドレスにぴったりだ。
新しいドレスは、控えめのラメが入ったシャンパンゴールドの膝上丈で、ボリュームたっぷりのパニエを重ねてふんわりとしたシルエットに仕上がっている。張りのある生地はさらさらとしていて、フレアを直すフリをしながらついつい何度も触ってはカレンにたしなめられた。
と、言うのは、これはカレンが私のために用意してくれたものだから。
私なんかが着ていいのかすごく不安なんだけど、卒業してアメリカに移住した暁には本格的な販売も視野に入れて活動するカレンの、商品第一号プロトタイプらしい。だから、ものすごく気合が入ってるし、ものすごく凝っている。
ローブ・デコルテの折り返しに使われている黒い生地はよく見ると繊細なレースの模様が織りで入っている。カレンは今まで既成の生地だけを使っていたけど、この織りの模様はカレンの手によるものだ。
ここのところのデザインをしながら、カレンはテキスタイルも面白いから今度本格的に挑戦したいと思うようになったと言っていた。きっとカレンなら、みんなが欲しいって思っちゃうようなものをどんどん作っていくに違いないって、思ってる。
ミヨも珍しく今日は髪をアップにして、編みこみをバラの髪飾りで彩っている。ドレスは私のとほとんど同じだけど、色は艶のあるボルドーで、パニエも黒。シルエットはちょっと可愛すぎるくらいかもしれないけど、色合いが大人っぽくてとっても素敵なデザインだ。
そしてカレンが青、夏碕ちゃんのは白バラの髪飾り。
二人のドレスはちょっとしか見てない。なぜなら二人ともまだ、身支度の真っ最中だからだ。夏碕ちゃんのは、ぱっと見た感じだとフラメンコの衣装みたいなフリルがついてたけど、あんまりイメージじゃないかも。着てみると感じが違って見えるのかな。
あの青いドレスを着た噂の彼女はまだかまだかとそわそわしていると、ミヨがため息をついた。

「さっきまで今年が最後なんて寂しいって泣いてたのに」
「泣いてないよ!」
「そう?」
「もう、ミヨまで……」

そりゃ確かに寂しいけど、でも最後なんだからとびきり楽しい夜にしたいって、思ってる。
三年間を思い返すまでもなく、あっという間に過ぎた日々は私の大切な思い出だ。
大好きな人たちに囲まれて、毎日楽しくて、もちろん悲しいことも辛いこともあったけれど、それも全部ひっくるめて、私は三年間を愛していたい。
なーんて、ちょっと恥ずかしいことを考えていると、後ろから肩を叩かれる。ためらいがちな手の方を振り返ると、琉夏くんと琥一くんが立っていた。

「あれ、二人だけ?」
「あーっ、また琉夏くんは……」

まだ乾杯もしてないのに琉夏くんはグラスを片手にご機嫌だ。どうせ毎年のことだけど、無理言ってぶんどってきたか、こっそり持ち出したに違いない。

「自分だけ、いけないんだー」
「喉かわいちゃったから。それよりお姉ちゃんと花椿さんは?一緒じゃないの?」
「まだ身支度してる。カレンが夏碕の髪、上げるか下ろすかで悩んでる」
「女の子は大変だ」

苦笑する琉夏くんの後ろで、琥一くんはなぜかぼんやりしていた。
カレンと夏碕ちゃんが一体誰のために悩んでるのか教えてあげたい気持ちをぐっとこらえて、せめてこのくらいは許されるだろうと思いながら私は琥一くんに近寄る。

「ね、琥一くんはどっちがいいと思う?ひょっとしたら間に合うかもしれないから、希望をお伝えしますよー?」

そんな風にふざけて言ってようやく、琥一くんは私に気づいたみたいな顔をした。

「あ?ああ、そうだな……」

こんな、気のない返事しかもらえなかった。てっきり「知るかよ」 とか、「はぁ?なんで俺に聞くんだよ」 とか、慌ててくれると思ったのに。違和感なんかじゃ足りない変な感じがして、琥一くんの顔を覗き込んだ。

「どうしたの?具合悪いの?」
「ああ、そういうんじゃねぇよ。気にすんな」

無理して笑ってるみたいな顔だった。琉夏くんも、少し寂しそうだった。
二人ともどうしたんだろう。最後だからやっぱり、なんだかんだで心惜しいのかもしれない、そんな風に思っていると、入り口の近くが急ににぎわいだす。
まだパーティーに不慣れな下級生たちの騒ぐ声は、自然と私たちの耳にも入ってきた。

「ねぇ今入ってきた人、花椿吾郎様じゃない!?」
「本物?マジに本物!?」
「カレン様がご卒業だから来たのかな、わぁアタシどうしよう……緊張する〜!」
「あんたは関係ないでしょ。ていか吾郎先生まぶしすぎ!オーラやばい!」

聞いてはいたけれど、本当に花椿吾郎がここに来てて、そんでもって、すごい人気だ。
彼は楽しそうに笑いながらごく自然に、道を開ける生徒たちに声をかけている。ああいう気さくなところは意外というか。だけど、カレンとしっかり血がつながっているんだなぁと思った。
なんだかほほえましい光景を見ているような気がして口元が緩んでいるけれど、てっきり吾郎先生一緒に来ると思っていたカレンも、夏碕ちゃんもそこにはいない。もうすぐ理事長の挨拶なのに、もしかしてまだ迷っているんだろうか。

「遅いね……二人」

ミヨが不安そうな声で呟く。壁の装飾時計はもうすぐ午後6時を、パーティーの始まりを告げる。
どうしてだろう。ふつふつと嫌な予感が沸いてくるようで、私は思わず無理に明るい声を上げていた。

「まだ迷ってるんだよきっと!やっぱり最後のクリスマスだし、ね!」

私の声はとても頼りなかった。だけど一番不安そうな顔をしているのは、琉夏くんだった。なんだか血の気が引いているのか、顔色も悪い。そんな顔を見ていると、不安はみんなの間にどんどん広まっていくみたいだった。
そんなわけないよ、ちょっと遅れてるだけかもしれない。でも、それならどうして携帯も通じないんだろう。

「大丈夫だよ……」

私の声をかき消すように、理事長の挨拶が始まった。皆が楽しそうに一様にそちらを向いている中で私たちだけが怯えたような顔をしていた。
病気、事故、事件…………
なんでそういう、嫌なことばかり考えちゃうんだろう。もっと他に、渋滞とか、あるはずなのに。

「様子見てくる」

嫌な沈黙の中、琥一くんが動いた。

「琥一くん、」
「その辺、回ってくるだけだ。お前らは楽しめよ」

無理して笑ってる。不安を隠してる。嘘つくのが下手なんだから。
私を振り切って琥一くんはドアを開け、吹き抜けのエントランスへ歩み出た。それを止める理由も思いつかないまま、私も後を追ってしまう。

「待って、私も!」
「馬鹿オマエ、んな靴でどこ行くってんだ。ルカと一緒に待っとけ」
「でも……」

慣れないヒールは歩きにくい。まして走ることなんて出来ない。
私が出て行って何が出来るのかわからないけど、放ってなんかいられなかった。
心配だもん、と、口を開こうとした矢先に、重苦しい乾いた音が聞こえた。

吹き抜けのエントランスはよく声が響く。左右から翼のように伸びているカーブした階段と赤い絨毯のせいで、見た目も音響具合もちょっとした劇場みたいだ。

だから、さっき階段の先の二階のドアが開いたのもよく聞こえた。私たちは自然とそっちを見てしまう。
夜空の星を一握りに集めたようなシャンデリアの影に、青いドレスが見える。
それは、彼が探している彼女の姿。
体のラインに沿うようなシルエットが生地の柔らかさ滑らかさを物語っているその中で、一筋だけオーロラのようなフリルが腰のあたりから足元まで伸びて、歩みに合わせてたおやかに揺れていた。ごく自然に見えて、それは誰かが計算しつくした位置に収まっているのがよくわかる。フリルはスリットの縁を彩るように添えられて、時折白い足がその隙間から控えめに覗き、コバルトブルーの表面の静かな光沢は、照明の粒を散らしていた。
一つ二つと足音が響くたび、彼女の姿が見えてくる。
夏碕ちゃん、きれい。
銀の糸でところどころに刺繍が入った長い手袋が、階段の手すりに添えられている。長い髪はゆるめに巻かれていて、上半分は後頭部でふんわりとまとめられている。細かなプリーツが寄せられた胸元に、彼女は片手をあてながら立ち止まる。

淡い色の唇も、瞼を彩る光の粒も、すべてが眩しくて。
まるで時間が止まったような空間の中、二人は見つめ合っていた。
一人は、見惚れて。
もう一人は、驚きに目を見開いて。

その背後から出てきたカレンに気がついたのは私だけだった。カレンは口を開きかけるも状況を素早く読み取って、反対側の階段から裾をたくし上げるようにして急いで降りてくる。

「バンビ、お待たせ!」

カレンはホルターネックの黒いドレスを纏っていた。往年の女優が着ていたものによく似ている。そしてよく似合っている。
抑え気味の声で囁くように謝るカレンに、一体どうして二人ともそんなところから出てきたのか聞いてみた。
するとカレンは含み笑いをしながら、

「実は、夏碕がね……タクシーから降りるときに頭ぶつけて髪が崩れちゃって」
「え?」
「さすがにその辺で直すのもね、ってことで、理事長に部屋貸してもらってたの。遅れてごめんね〜!」
「そ、そうなんだ……」

なんだ。たったそれだけだったんだ。
私は思わず、脱力して笑ってしまう。
何もなくてよかった。誰も傷つかなくてよかった。
そして、あんなに着飾ってまるでお姫様みたいになった夏碕ちゃんが、そんなドジを踏んじゃうことが、なんだかとても、身近に感じられて嬉しかった。

「でも上手いこと二人っきりになれたし、アタシたちはさっさと行こっ。バンビ、ローズクイーンが会場にいないんじゃ華やかさに欠けるってものよ!」
「――うん!」

カレンがやりたかったことは、全部上手くいったみたいだった。
吾郎先生を巻き込んでまでの嘘に、一度は怒られていたけれど、それも気にならないくらいにカレンは嬉しそうだった。
なんて素敵なんだろう。大切な友達への、一夜限りのプレゼントは彼女たちにとって最初の一歩になるだろうか。
こっそりとフロアに戻る私は、振り向き様にまるで映画のようなシーンを垣間見た。

舞台装置のような階段を下りてきた彼女が、少し首をかしげながら彼に笑いかける。後姿で見えないけれど、きっと二人とも微笑みあっているのだろう。
彼は大きな手をそっと差し出し、彼女もまた、瞬きをしながら手のひらを重ねた。
階段の最後の一段を降りる一歩が床につく瞬間、私はそっと目をそらした。

再び入った会場には、手を差し伸べたい人がいる。まだ心配そうな目をして、軽く俯いたあなたがいる。

「美奈子、」
「大丈夫だよ、実はね……」

大丈夫だよ。何も心配することなんてない。
事情を説明すると、琉夏くんはほっと力が抜けたような顔をして、それから泣き出すんじゃないかってくらい眉を下げて、笑った。
ミヨとカレンは、クラスメイトに囲まれながらどこかへ歩いて行ってしまう。ひょっとしなくても気を利かせてくれたんだろう。

「なんだ、何もなくてよかった」
「ほんと。それにあんなに綺麗なのに夏碕ちゃん、なれてないのかな、おっちょこちょいなことして……ふふ。琉夏くんも見たらびっくりするよ、きっと。あんなに綺麗で――」
「美奈子、」

私は、琉夏くんのどんなところが好き?って聞かれたら、多分きっと、「この優しい目が好き」 って答えるんだろう。
同い年なのに、どうしてこんな、何もかもを愛してくれるような目ができるんだろう。こうして握られて、手袋越しに伝わってくる暖かさも、琉夏くんの優しさが温度を持ったものに違いないって思ってしまう。

「今日の美奈子は、お姫様よりも綺麗だし、かわいい」
「……ありがとう。でもちょっと、照れるよ」
「照れなくていい。本当にかわいいんだから。ほら、みんな見てる」
「気のせいだよ、カレンのドレスが素敵だからきっと……」

みんな見てるなんて言われても実感わかないし、もしも見られてたとしてもなんとも思えない。
めいっぱいおめかししたのは誰のため?みんなにチヤホヤされるためなんかじゃない。
一番大好きな人に見てもらいたかったから、ほめてもらいたかったから。
かわいいねって、言って欲しかったから。

「美奈子はローズクイーンだから。みんなに注目されるのも女王サマの務めだろ?」
「そんな……そんなわけ、ない。私は……」

私は我侭だもの。本当はパーティーを抜け出して、このまま二人だけで、どこかへ、どこかへ行ってしまいたい。友達も家族も投げ出して。
『このままあなたをさらってしまいたい』 と言ったロミオを、どうしてジュリエットは振り切れたんだろう。
もう私はクイーンではいられない。ジュリエットにもなれない。ただあるがままの私を、私はあなたに愛して欲しい。

「そう?じゃあこのパーティーの間、俺だけのお姫様になって?」

琉夏くんは私の手を持ち上げて、指の間接に唇を当てた。手袋の細かい隙間を経て、暖かく湿った呼気とともに甘い言葉も漏れてくる。
伏せた瞼から見える視線は、ふざけて言っているようにも見えない。

「パーティーの間だけ、ずっと隣にいたいから。俺のお姫様になって。ね?」

星がいくつも流れ落ちる空を見たような気がした。ざわめきも人いきれもこの世界から消えてしまう。
どこまでも澄んだ空の下に二人だけ。どこか遠い世界へ飛んで行ってしまう。
まるで魔法にかかったみたい。身動きもできないくらいのドキドキが、私の頬をどんどん熱くさせる。
もしもこうして手をとってくれるのが今だけなら、優しく包むようにそばにいてくれるのがこの魔法のせいなら、

ああ、どうか。
今日という日が過ぎても、この魔法が解けませんように。

20121209