虹のワルツ

『あらぁ〜似合うじゃないの』
『あ、ありがとうございます……でもカレンのドレスが素敵だから、きっとそう見えるだけで』
『そんなことないわよ?いくら服がよかったって、それを着ている本人の魅力も重大な要素よ、よ・う・そ!』
『は、はぁ……』
『うんうん。いい感じだけど、本当にこれ着てパーティーに行くの?』
『……え?』
『あら?アタシ何か、おかしなこと言ったかしら?』
『げぇっ、ヤバ……』
『あの、カレンが、これを着ていけって、吾郎先生に言われてそういうことになってるって、聞いてるんですけど……』
『……ほぉ〜う?カレーン?』
『ごごごめんなさぁーい!!』


***


叱られるカレンを思い出すと、なんとも言えないため息がこぼれそうだ。
どちらかというと吾郎先生は、カレンが嘘をついていたことより自分を利用しようとしたことに憤慨しているらしかった。
結局のところ、カレンは私をどうしてもパーティーに行かせたくて吾郎先生を利用し、ドレスまで準備したらしい。そんなことしなくても言ってくれれば――
私は少し、口元をゆがめた。友達の思いを無碍にするようなことを考える自分が、恥ずかしくなって。
確かに、十二月の頭くらいにはパーティーに行くつもりもなかったし、もしかしたら今だって勉強のことばっかり考えてそわそわしてたかもしれない。

一体どこからどこまでお膳立てされていたのか今となっては知る由もないけれど、階段下に彼の姿を見たときには心臓が壊れるかと思ってしまうくらい、驚いて。
手を差し伸べられたときには、まるで夢かと疑うくらいに幸せだった。
やっぱりパーティーに来てよかったのかもしれない。だってこんなにかっこいい人のこと、他の女の子がほっとくわけないし、もしそんなことになってたら、私後悔したに違いない。
受験は大事だし、勉強だってしなきゃいけないけど、そのせいでだめになるなんて悲しいと思った。今このときだけにしかできないこと、今この瞬間の私がやりたいこと、全部できないってわかってるけど、やらないまま諦めて、後から愚痴を言うなんて、かっこ悪いから。

子供の我侭みたいかな。こんな格好して大人ぶってみても、ちっとも自信なんか持てない。

エスコート、ってことになるんだろうか、琥一くんに手を引かれたまま会場に入る直前に、私は躓いてしまった。ヒールだって履きなれたつもりだったのに、多分緊張のせいなのかもしれない。「あっ」 と小さな声を上げるしかできなかった私を、琥一くんは片腕で支えてくれた。

「あ、ありがと……」
「いや……別に、」

なんだか歯切れが悪い口調と居心地の悪そうな顔は、どうやら今の体勢のせいみたいだ。
片手同士がつながれてて、琥一くんのもう片方の手は、私のウエストをくるりと巻くように添えられて、その腕を私の片手が掴んでいる。まるで踊ってるみたいだ。

誰も私たちを見ていない。

「ご、ごめん。気をつけるから……」
「あ、ああ……」

なのに思わず振りほどくようにして離れてしまったことを、数秒経ってから、拒絶したみたいだなって思って、申し訳なくなった。だけどあのままなんて心臓がもつはずもない。私、大人なんかじゃなかった。
ヒールもドレスも、こんな雰囲気も慣れそうになかった。


***


ホールに足を踏み入れると、すでに理事長の挨拶は終わったらしく、みんなめいめいに料理や飲み物を手にとって歓談していた。少し騒がしいような空気のせいで、遅れて入ってきた私たちに視線を向ける人は少なかったけど、琥一くんも私もなんとなく、手を離した。本当は少し、名残惜しかったけど。

「ンだよ、アイツらどっか行ったのか……」

琥一くんは、あたりを見回しながら呆れたように呟く。低い声に忍ばせようとした照れは、隠せていない。
それがなんだか、私はうれしかった。二人とも同じように、こういうことに慣れていないってことが、安心するみたいで、うれしかった。

「琉夏くんたち?」
「ああ」
「二人っきりにしてあげなきゃ」

言ったあとに、私たちも二人っきりに“された”ほうなんじゃないかと思い当たって顔が熱くなる。
琥一くんは気づいてないみたいで、それはよかったのかもしれないけれど。

「まぁ、それもそうか。ちょっと待ってろ」
「え?」
「なんか飲み物取ってきてやる」
「あ、それなら私も行くよ」
「また転ぶぞ」
「…………お願いします」

意地の悪い笑みを浮かべて、琥一くんはすたすたと歩いていってしまった。取り残された私は、結局毎年と同じようにおとなしく壁の花になる。綺麗なドレスを用意してくれたカレンには申し訳ないけれど、だって主役は美奈ちゃんたちだし、みんなそれはわかってるだろうし。
髪に飾った造花のバラにそっと触れた。
学園演劇での王子と姫は、きっと音楽に合わせて華麗に踊るんだろう。
星の海を泳ぐように。
見上げた先のシャンデリアは誰のためにあるのかなんて知っている。選ばれ、認められた彼女たちのために、キラキラとしたものは存在している。
私のためじゃない。ヒロインは、私じゃないから。
手持ち無沙汰で、両手を組んだりアクセサリーをいじったりしながら待てど暮らせど琥一くんは戻ってこない。時々後輩やクラスメイトが話しかけてくれるけど、多分私が上の空だったせいで、みんなさっさと歩き去ってしまった。
琥一くんもクラスメイトとかに捕まってるのかな。
頭一つ大きい彼の姿は、探そうとしても見つけられなかった。もしも私が特別な存在だったら、どんなことがあっても引き合うようにめぐり合えるのだろうか。

そうこうしている間にもまた、私は男の子たちに話しかけられる。何を言われても上の空で、視線をホールに彷徨わせながら。特別じゃないってわかっているはずなのに、未練がましく彼の姿を探して。

あ、いた。

見つけた彼は片手にお皿、もう片手にグラスを二つ持っている。手が大きいからあんなことできるんだろうな。
目が合っちゃった。……困ってる、みたい? そこに近づくのは、

カレンとミヨ。
あんなところにいたんだ。何話してるのかな。カレンのあの意地悪そうな顔を見る限りじゃ、いつもどおりの売り言葉に買い言葉なのかもしれない。今日ぐらいやめとけばいいのに、なんて思いながら笑ってしまう。

ああ、やっぱり。
琥一くんは不機嫌そうな顔で二人を見下ろしている。困った人たちね、なんて言葉が口をついて出そうになって、口元を隠した。

それにしても何を話しているんだろう。ここからだと、口が動いているのしか見えない。ちょっと目を凝らしてみようとすると、

「ねぇ瑞野さん、聞いてる?」
「え?あ、ごめん」

全然話なんて聞いてなくて、案の定困ったような怒ったような顔をしている男の子に謝るしかなかった。
何を話してたんだっけ。尋ねてみると、

「こういうこと二回も言うのってアレだけどさ……瑞野さんは踊らないの?」
「踊る、って?」

一つ、心臓が跳ねる。

「だからその……あっちで琉夏と小波さんが踊ってるから、瑞野さんも琥一と踊らないのかって、思って」
「私は……」

もしそうだったら、どんなにうれしいだろう。
だけど琥一くんが踊ったりなんてするわけない。学園祭じゃあるまいし。パーティーで、ましてこんなにたくさんの人の前で。

「琥一くん、そういうの嫌いだと思うし、私、今日の靴は歩きづらいし……」

言いながら、『琥一くんとは踊らない』 って意味の言葉を吐き出さないのはどうしてだろうと思った。そう言ってしまえばそれが本当になるような畏れと、『琥一くんは“私となら”踊ってくれるかもしれない』 っていう自惚れがあったからかもしれない。だけど、きっとワルツの時間は来ない。わかってた。
伏せて、目の前に立つ彼の上着の裾あたりを見ていた顔を上げる。琥一くんはまだカレンたちと話しこんで――

「あ……」

話し込むのをやめたみたいだ。

突然グラスとお皿をカレンに押し付けて、

大またでこっちにずんずん向かってきて、

なんでそんな顔してるのかわからないけど、照れてるのか怒ってるのかわからない顔で、

「じゃあさ、俺と、その――うわっ、琥一!?」
「どうしたの……――!?」

私の手を引っ張って、またどっかに歩き出して、私は転ばないようについていくことしかできなくて、

「ま、待って、ちょっと、琥一くん!」

みんな、見てる。そんなにニヤニヤされるとすごく恥ずかしくなる。こんな思いしてるのは私だけ、かしら。前を向いたままの琥一くんの顔はわからない。

ドレスの裾、踏んで転びそう。私変な歩き方してるに違いない。せっかく綺麗にしてきたのに、また髪だって崩れそう。
そのまま歩調を緩めることなくたどり着いた先には、手に手をとってステップを踏むいくつかのペアの姿がある。控えめに聴こえるのは、三拍子のワルツ。

「ねぇ、ってば!」
「――踊るんだよ!」

ダンスフロアの前で歩みが止まったのと同時に、時間も止まったような気がした。
ううん、気のせいじゃない。少なくとも私の体に流れる時間は一瞬止まって、それから急に動き出した。鼓動が時計の針になったみたいで、振り切れて壊れてしまいそう。

「……な、んか言えよ」

ぽかんとしてしまった私を見下ろしながら。琥一くんは苦し紛れみたいに呟いた。
その顔は真っ赤で、余裕なんて全然なくて、もしそれが私のためなら何よりもうれしいなんて思えてきて、

「オマエ……笑ってんじゃねぇ!」
「だ、だって……」

脈絡もなく突然「踊るんだよ」 なんて、それも顔を真っ赤にして、琥一くんが、一番言いそうにないことを言って、だってなんだか変なんだもの。
変なんだけど、うれしくて幸せでしょうがないんだもの。

「ほ、ほんとに、踊るの?」

まだこみ上げてくる笑いをこらえながら言うと、彼は私を抱き寄せた。
そうじゃなくて、ただ腰に手を回しただけなんだけど、絡めた片手の指先をぎゅうと握られて私は破裂しそうになる。

「ここまで来て踊らなかったらただの馬鹿じゃねぇか」

まるで振り回すみたいに乱暴にリードされて、暴れ馬に翻弄されているみたい。
それすらなんだかおかしくて、もう声を上げて笑いたくなって、なのに無性に、泣き出したくなった。
泣き笑いみたいな顔を見せたくなくて下を向いている私におかまいなしに、彼は最初のステップを踏む。
シャンデリアからこぼれた光の粒が、床の上に何度も反射して、あちこちに散らばっている。
色とりどりのその軌跡は彗星のように尾を引いて、そこかしこへと舞い踊った。

「……なんだよ」

含み笑いの私を、琥一くんは責めるように見下ろした。

「ううん、ちゃんと踊れてるから」
「……練習したからな」
「ちゃんと、覚えてたんだね」
「まぁな」

どこか誇らしげな顔を見上げていると、ほかのことは全部頭から抜け落ちていくみたいだった。
ゆったりとした曲にあわせてくるくると回っていると、まるで万華鏡の真ん中にいるような気分。それでもいい。それでいい。この小さな世界だけでいいから、今この瞬間だけ、私たちが中心、私たちが、物語の主役。
夢のような時間はいつまでも続かないなんてわかっているから、ぬくもりも光の色も覚えていたい。

私は、絡めた指先に力をこめた。

91. 虹のワルツ(夏碕)

20121224