狂おしい恋の果て

涙痕は隠して見せない

思ったよりも早く聖司に出会うことが出来たので、わたしはきっと笑顔になったんだと思っていた。二重の意味で。
成長した幼馴染は、別に顎に不安があるわけでもなかろうに、左手を添えてベーゼンなんとかを見ていた。
ピアノは習っていたけれど、ピアノ製造御三家なんて知るもんか。なんて考えるのは罰当たりな気がしたのでやめた。アルバイトとはいえ楽器店の店員だし、あの音楽教室に通っていなければわたしは聖司と出会うことなんて、なかったんだから。
ところで、聖司の手はすごく大きく、指が長くなっている。まさかあの都市伝説のような『お風呂の中でひっぱると伸びる』、を試したわけではないと信じたいけど。
そう言うと、馬鹿じゃないのかと呆れられた。
そうか、自然に大きな手のひらになったのか。
わたしは自分の手をこっそりと握り締めた。人並み程度の長さの指は、もう楽器なんて久しく演奏していない。
あの頃はわたしのほうが聖司より、手のひらも大きければ指も長かったのに。だけどあのころから聖司のほうがどんな曲も、わたしよりうまく弾けた。
神様は、ずるいと思った。

普通とか人並み程度っていうのはどういうことだろう。
身長158センチのわたしは、日本の17歳女子の平均身長プラス1ミリメートルらしい。手の大きさは、友達と比べた限りじゃ大きくもないし小さくもない。髪の色も真っ黒じゃなくて、明るいところではダークブラウンに見えるありふれた色。どうってことない顔立ち、中肉中背って体型、数値化できるものなら、普通とか人並みとか、そういうものは手に取るようによくわかる。
それ以外は?
例えば『ごく普通の両親』とか『ごく普通の家庭』とか『ごく普通の生い立ち』とか、それは一体どういうものを指している?
サラリーマンのお父さん、専業主婦のお母さん、子供は二人で……。そんなものを見るたびに、わたしは自分の境遇ってものをぼんやりと考えていた。考えても、結論は出さない。出せない。出したくないのか、出すことができないのか、わからない。
お医者のお父さん、教師のお母さん。子供はわたし一人で、会話する相手はみんな別。お父さんは患者と、お母さんは生徒と、わたしは聖司と。
それがいつのまにか、父は母ではない女性と、母は父ではない男性と、今思えば会話どころじゃないつながりを持ちだして。
どうしようもなくなって我が家は空中分解した。違う、最初からまとまってなんていなかった。まとまるには我が強すぎる人ばかりの集まりだった。
そして今も、離婚には至らないただの別居がいつまでも続いている。
父は母でない女性と一緒にあの家で暮らしているんだろうか。
母は、こっちは確実に、父でない男性と東京で暮らしている。
わたしは先月から、一人で公園通りのアパートに暮らしている。それまでは母と彼女の恋人と一緒に、東京でぎこちないままごとをやっていた。
みんなバラバラに生きている。それは、普通じゃないことなんだろうか。よくわからない。
わたしはわたしで、母は母で、父は父だ。みんな他人だ。家族なんて言っても、世界は『AとA以外』にしか分類できない。
わたしと、わたしじゃないもの。
普通と、普通じゃないもの。

『弥子ちゃん、たまには連絡を頂戴ね』
母は恋人と二人きりで過ごしたがっていて、わたしはままごとに飽きていた。利害が一致したから、わたしは一人暮らしを始めた。
『弥子、お金が足りないのならお父さんにいつでもいいなさい』
別居が始まってから毎月、わたしの名義の口座には父からのお小遣いが振り込まれている。母と一緒にいるときは月に5万、一人暮らしを始めてからは月に15万。それでも足りないんじゃないかと疑われて、誕生日とクリスマスとお正月には臨時ボーナスが入る。
『弥子ちゃん、携帯電話は持っているの?』
中学に入ると、母の恋人から携帯電話を貰った。薄いピンク色の最新機種だった。名義は母親になっていて、それはいつまでも彼をお父さんと呼ばなかったわたしへの配慮だったのかもしれない。今、思えば。

わたしは別に、自分のことをかわいそうだとは思わない。
所詮は外見的に十人並みのわたしが、万人がびっくりするような悲劇の中にいるなんて思えなかったからだ。
父も母もわたしの保護者である前に一人の人間なのだから、好きにしたらいい。虐待もしていなければ保護監督責任の放棄もない。十分に保護者の務めは果たしているもの。
ニュースで見かける、虐待の末に死んでしまった幼児だとか、子供に殺されてしまった親だとか、そういう人たちのほうが苦労しているんだと思う。少なくともわたしは、死んでしまおうと思ったことも誰かを殺したいと思ったことも、誰かに殺されそうになったこともなかった。
よって、わたしの置かれている境遇もごく普通、ありふれている。
普通というのが多数派を意味しているのだということを知って以来は、そりゃあ両親がこんな風にいびつにゆがんでいる、もはや家庭と呼べないような家庭は少なくとも多数派じゃないとは思うけど。でもきっと世界中に、完全に歪みのない場所に生きている人間はほとんどいないとも思っている。
それでも時折、クラスメイトが毎日何かしらの悩みを抱えて愚痴をこぼしている横で、わたしはキュッパキャップスを舐めながらぼんやりと考え事をすることがある。
本当にこれが普通なのかしら。
“テストの点が悪くって、お小遣いを減らされた”とか“彼氏と夜遊んでたのバレて門限が早くなった”とか、そっちのほうが即物的で直接的に困りそうな悩みなのは明らかなのに。
わたしはというと、お小遣いは減らないし門限はない。と言っても、お金を使うことはあまりなく、母たちのほうが週末は門限を守らない、どころか、帰ってこないことのほうが多かった。
わたしには悩みと呼べそうな、悩みもない。たぶん。

『ひとつ、やる。ねがいごとが叶うんだ』

聖司の目は、とても綺麗なルビー色だ。
わたしの目は、とても地味な灰色だ。
わたしの人生がぱっとしなくて、聖司の人生が華やかなのは目の色のせいだろうか。いやいや逆に、人生がそれぞれそうなっているから、目の色に表れているんじゃないだろうか。
どっちでもよかった。
でも、何か理由がないと、わたしはだだをこねる子供みたいに聞き分けがなくなりそうだと思う。
聖司はいつだって優しかった。まだ小さかったわたしは、もらったメダイユに何をお願いしようかとじっくり考えた。

“もっとピアノがうまくなりますように”
“うちにも大きなグランドピアノがきますように”
“おとうさんとおかあさんと、いっしょにごはんをたべられますように”

ああ、わたしはそんなことを望んでいたんだ。
久しぶりに思い出したのは、多分聖司の首にメダイユがぶら下がっていたからだと思う。
聖司の願いは叶ったのかな。
わたしの願いは叶わなかったから、せめて聖司の願いは叶っていればいい。そうすれば報われるのに。
ううん、違う。聖司の願いは叶っていないし、もしもわたしの願いが叶っていたら、わたしはこの街に戻ってくることなんてなかった。

「俺は譜面を探している。棚はどこだ?」
頭一つ分、わたしよりも背が高くなった聖司は、態度まで大きくなっている。
笑いそうになって、慌てて視線を逸らしながら「こちらです」と、案内した。絨毯を踏みしめて壁際の棚まで移動する途中、電子ピアノの前の親子に「いらっしゃいませ」と会釈する。エリーゼ、本当はテレーゼ。でもどちらでもかまわない。曲は同じなんだから。
聖司はどの楽譜を探してるのかな、何を弾くのかな。棚の前に立つと、聖司は隣に立つわたしをゆっくりとふりかえった。
「弥子――」

聖司がピアノから逃げてしまったあのコンクールの日、わたしは会場のふかふかの椅子の上で、聖司が姿を見せるのをずっと待っていた。
『設楽聖司  曲目 / ショパン : バラード第一番、ト単調、Op.23』
会場の入り口で手渡された冊子の、その部分を指先でなぞっていた。ざらざらしていた、かすかに盛り上がったインクが滲むんじゃないかってくらい。
聖司が演奏しないっていうのがわかったとき、わたしはあいつのことを賢いと思ったし、バカだなとも思った。そしておおっぴらにあいつのことを「バカ」って言えるネタが出来たのでしめしめと思っていた。
まあ今となってはわたしだってバカだった。その時点で、聖司と離れ離れになって4年経っていたんだ。忘れられていたっておかしくない。それに東京からこっそりはばたき市に戻ってくるのもそうそう簡単にはできないし、そのときわたしがホールにいるなんて聖司は知る由もなかったはずだから。
いつかまた、聖司のピアノを聴けたときにからかってやろうって思っていたのに。
聖司が本気で逃げたんだと知って、このネタは笑えない笑い話に成り下がった。

なんだってまた、ロシア系っぽい人がはばたき市のコンサートに出てるのかは知らないけれど、ニコライという人の弾くピアノは無理くりわたしの、いや、きっと大勢の人の中に捻り入ってきた。スケルツォ第四番は、正直わかりにくくて好きじゃない。
なのにあの人が演奏すると『ああ、こういうことだったんだ』って理解させるような説得力がある。それだけじゃない、『こういう意図でここはこう弾いてるんですけど、このくらい勉強しておいてくださいね』って言われて『はい、すみません』ってするっと言っちゃいそうな、少なくともわたしは、ステージの上のニコライ氏の横顔と対話していた。対話っていうか、わたしが一方的に説教されてるような感じだったけど。
喩えるのは苦手だけど、聖司のピアノが『ティンカーベルが夜、湖の上を歩いています。いや実際は飛んでるんだけどそう見えるでしょ』って感じだとしたら、ニコライ氏のピアノは、『あ、やばいよフック船長、ピーターパンがこっちに来てる、やっつけられちゃう』って、自分がフック船長になってしまったような、ハラハラしそうな演奏だった。苦手だからこういう頭悪い喩えしか浮かばないのが悔しいけど、そんな感じ。
聖司はもっと高尚な喩えを思いついていたんだろうけど、きっと大体わたしが考えたのとおんなじようなことを思って、負けるってことを悟ったに違いない。
逃げちゃえば負けることはないって思ったんだろう。屁理屈をこねまわすのが得意そうな聖司らしいやと思った。まあ、確かに勝負しなきゃ負けることはないんだから。
でも聖司、そのあとどうするつもりなの。

“ご来場の皆様に、ご案内申し上げます。誠に恐れ入りますが、プログラムの一部変更をお伝えいたします。ただいまより、10分間の休憩時間をはさみ、16時25分より…………”

恐縮すべきは聖司だ。おばかだ。人に迷惑かけて、逃げたつもりがそれって結局自分の首を絞めてるだけじゃないか。
カロ・ミオ・ベン。ざわついた客席に深く沈みこんで、ずっと昔に聖司のピアノに合わせて歌っていた曲を、口ずさんでいた。わたしと聖司の楽しい思い出。
もうずっと前から、わたしの願い事はひとつっきりだったに違いない。
それは、ある側面から見れば、“ずっと聖司が楽しくピアノを弾けますように”、という願いで、別の面から見れば、“聖司のピアノをずっと聴いていられますように”、そういうことだった。
また他の面から――これが本当の願いかもしれないけど――見れば、“わたしは心安らげる場所が欲しいんです”
ただ、それっきり。

失うものなんて何ひとつ持っていないわたしに、聖司はなんだってくれてあげるべきなんだ。

「弥子、お前が今聴きたい曲は何だ?その楽譜を買っていく」

聖司は優しい。いつだってそうだった。
ときどきそれが疎ましかった。
ううん、とわたしは少し唸って、さっき学校から出たときに見上げた曇り空を思い出した。
「“雨だれ”、すごくゆっくりの。そんなにのろのろ、かたつむりみたいだと眠っちゃうからやめてよって、わたしに言わせるくらいの」
聖司は一度瞬きをした。
「おまえはいつだって妙な注文をつける」
「聖司はいつだってそのとおりに弾いてくれるから、調子にのった」
そうすることができる天賦の才ってやつを持っていたものね、聖司は。
何も持っていないわたしは何も与えられなかった。
何だって持っている聖司は、これからもっとたくさんのものを得る。
それが本当は、嫉ましかった。
嫉ましいのに、どうしてわたしは聖司のピアノを、忘れられないだけならまだしも、もっと聴きたいなんて思っているんだろう。

20101006

※スケルツォ第四番……ショパン: スケルツォ第4番, ホ長調, Op. 54
※雨だれ……ショパン: 24の前奏曲第15番, 変ニ長調, Op. 28-15

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