焼きリンゴ



「あ、」

昼食を食べ終えた彼女が短く声を上げた。僕がそちら―彼女はわざわざ窓際に机と椅子を動かして弁当箱を広げていた―を向くと、窓の枠に両の腕をついて外を覗き込もうとしているのが目に入る。
「どうしたの?」
前回の会議でファイリングした書類を捜していた手を休めて尋ねると、小波さんは窓の外を指差した。
「見てください、山が綺麗に色づいていますよ」
校則に指定がないので、彼女はベージュのカーディガンを着ている。袖だけがちょっとオーバーサイズのそれに包まれた彼女が指す方向は、確かにはばたき山が橙色と赤に色づいていた。
今朝の天気予報のコーナーで、紅葉は今週からが見頃、と言ってたのを思い出す。
「ああ、本当だ。ここのところ冷え込んできたからね」
「朝晩は寒いくらいですからね。そろそろお布団とおこたが恋しくなってきます」
確かに。
僕も今朝の冷え込みのせいで、凍えながら目を覚ましたぐらいだから。
「それにしても、ここからはばたき山が見えたんですね」
「気づかなかったの?」
と、言いながらも僕自身気にも留めていなかったことだから彼女のことは言えないかもしれない。
ここは生徒会室で、僕だって四六時中ここにいるわけではないし、外を眺めていることなんてそうそうない。
ちなみに何故小波さんがここで昼食を食べているのかと言うと、ここが一番落ち着くのだそうだ。僕がここにいるのは用事のあるときだけ、だけれど、彼女は僕がいてもいなくても同じくらいリラックスしてるんじゃないだろうかと思うくらいにのびのびと昼休みを過ごしている。
気を遣われていないことをどう思うべきなのかはわからないので、僕も深くは考えないことにした。
「夏の間、ここの窓の丁度正面に木の枝が茂っていたじゃないですか。それが、先週の剪定業者さんの枝刈りできれいに見えるようになったんですよ」
「ああ、そういえばそうか」
そんな観察眼を持っているということは、日ごろから窓の外を眺めているということだろうか。
授業中以外だったら別に僕が文句をいうことではないだろうけど。
今度は窓の桟にもたれて、天井を眺めるような素振りをしている。
「紅葉狩り、うーん、いいですよね」
「うん、風流だね」
「それに秋キャンプなんかもいいですね」
「キャンプか。たしかに夏じゃなくても秋ぐらいまでなら楽しめそうだね」
「冬のほうが星が良く見えそうですけどねぇ……」
「冬になると装備をそろえなきゃ、山は危ないだろうね」
「そうですよねえ。スキー場ができるくらいですから、さぞ雪も積もりますよね?」
ずっと独り言のようなものに律儀に返事をしていたが、ようやく質問らしい質問というか、会話らしい会話になった。
いつも独り言だと思っていたけど、返事をせずにいるのは僕もちょっと居心地が悪いし、小波さんも僕が返事をするほうが楽しそうに見える。
「山じゃなくても、こっちの平野部でも積もることはあるよ」
「えっ!」
驚いた声なのに、小波さんの顔は笑っていた。
なんとなく、彼女の性格とあわせて考えると何が言いたいのかわかる。
「積もるんですか!」
「まあ、たまにね」
「雪だるま、作れますかね?あ、あと雪合戦も!」
やっぱり。
「うーん……どうだろう」
「積もったらいいなぁ」
さっきまで紅葉がどうこう言っていたのに、今度は雪に思いを馳せている。
そういえば、夏休みはクラスメイトと海に行ったという話も二学期の頭に聞いた。
四季を楽しんでいるようで、日本人の鑑だなあと思う。ニコニコしている顔を見るのは僕も気持ちがいいし。
「紺野先輩は紅葉は好きですか?」
「え?……まあ、うん、好きかな?」
紅葉の好き嫌いなんて、というか紅葉が嫌いな人がいたらそれはどういった理由で嫌いなのかちょっと聞いてみたい。形が嫌いとか?かな。
小波さんのおかしな質問に答えると、彼女は秋晴れの空のようにすっきりした顔で笑った。
「よかった!紅葉狩りに行きたかったんです!」
両手のひらを合わせて喜んでいる、つまり、僕と一緒に紅葉狩りへ行くということだろうか。
「いつがあいてますか?今週末の日曜日はどうですか?」
「日曜日か……うん。大丈夫だよ」
「やった!楽しみです!」
一学期の半ばに、一度だけ彼女と一緒に水族館に行ったことがある。
「山登りもするから、動きやすい格好をしないとだめだよ」
あのときの彼女は、ヒールがないかわりに甲を覆う部分が極端に狭い靴を履いていた。すぐに脱げそうな、聞いたところによるとバレエシューズというらしい。言われてみれば確かに似ている。
「山登り……スニーカーが必要ですね」
「うん。山の天気は変わりやすいから、レインコートやウインドブレーカーも、持っているなら鞄に入れた方がいいよ」
机の上で腕を組んで、小波さんは僕の言うことをふんふんと聞いている。
「紺野先輩は物知りですね」
「そう?」
そうは思わないけれど。そんな顔をしていると、彼女が断言するように続けた。
「そうです。もしそうじゃなかったら私がただのおばかってことになっちゃいますから」
じゃあ、僕が物知りってことにしておこう。
「でも、スニーカーは持ってないですね……」
「それは、いけないな」
「買いに行かないとだめですね。早速今日、帰りにでも行ってきます。駅前のADCマート、知ってます?」
「うん、どうして?」
「今週からセールなんですよ。これは買いに行くしかありません」
「そうなんだ」
「紺野先輩も一緒にいかがですか?」
「え?」
スニーカーか。
持っていることは持っている。履き潰したとも、まだ新しいとも言えないような微妙な状態のが。
「セールなら僕も行こうかな」
ついでに彼女がちゃんとした靴を買うのかも気になるし、小波さんに僕の靴を見立ててもらってもいいかもしれない。
「じゃあ、放課後、昇降口で待ってますね」
「ああ」
顔を見合わせて約束を取り付けると、まるで見計らったかのようなタイミングで予鈴が鳴った。僕は目当ての書類をクリアファイルに挟んで、小波さんはお弁当箱をきちっとまとめて小さなトートバッグにしまって、生徒会室を後にする。
「すごしやすい季節ですね」
「そうだね、今ぐらいの季節が続けばいいとも思っちゃうよ」
小波さんは施錠する僕を待っているようだ。
鍵がかかる瞬間の、あの「がちゃっ」という音が実は好きだ。ひっかかりなく気持ちよくかかると、ちょっと嬉しくなる。
僕が鍵の束をブレザーのポケットに入れると、小波さんは「行きましょう」と僕を促した。行き先は別々だけど。
「うーん。でもちゃんと、季節があるから過ごしやすいとか、食べ物が美味しいとか、紅葉が綺麗とか思えるんですよね」
「それもそうだね。君はどの季節も楽しんでるみたいでうらやましいよ」
「そうですか?あ、楽しまないと損、とか思ってるからかな」
二つ結びにした髪の毛先を指先でつまんでくるくるとしている。
「損得でもなんでも、楽しまないよりはずっといいよ。多分」
「そうです。ということで、紅葉狩りがやっぱり俄然楽しみになりました」
僕はちょっとだけ声を出して笑った。
本校舎と別棟をつなぐ二階の連絡用渡り廊下に、秋風の冷たさが忍び込んでいる。
ちら、と校舎内の木々を見ると、こちらはまだ紅葉しているのは少ない。常緑樹が多い所為かもしれないけれど。
雨が降らないといいな。と、隣を歩く彼女がうきうきしながら呟くのが聞こえた。

20100915

コンビニに行ったら「秋キャンプ」の本と焼きリンゴを見かけたので。>タイトル