「お前にこんなものをやろうと思う」



「小さい頃、ラムネの瓶のビー玉が欲しくって、でもそれって取り出せないでしょ?」

美奈子の話はまるで脈絡がない。
頭の中、きっとふわふわしてていろんなこと同時進行で考えてて、口からはポンポン言葉が飛び出すけど、それってきっと美奈子だけには辻褄があってるように聞こえてるんだと思う。

「ベロをね、べーって入れても届かないし、指つっこんで取り出そうとしても無理だし」

ばっしゃばっしゃと色気も何もない歩き方で、夕暮れの波の中に歩いていく美奈子の言葉が、波にさらわれてよく聞こえない。
聞いても、あんまり意味がわからないのかもしれないけど。

「ていうかね、一回指が抜けなくなっちゃって、お父さんにめちゃくちゃ怒られたことがあった。思い出した」

人差し指の先にラムネの瓶をくっつけて、それを横向きの振り子みたいに振り回す美奈子を想像して笑う。
無茶苦茶な美奈子に対しても、物理法則は秩序ある冷たさを心がけているらしい。

「だから次は割っちゃったのね。ビー玉、取れたけどまた怒られた。じゃあどうしたらいいのってわたしも怒ったけど」

制服のスカートが潮風に翻る。
裾を気にすることもない美奈子は、まるで俺のことなんて忘れているみたいだった。
きっと俺がいなくても、美奈子は風か波か鳥に話しかけ続けるんだろうなと思った。
遠くに、一番星が見える。
その横に、人工衛星。それから、飛行機。
一連なりになっているように見えて、本当はものすごい距離のある三つの点。
俺と美奈子より、ずっと。

「それっていつの話?」

やまびこ――海で叫んでもやまびこって言うんだろうか――を期待するような大声で背中を呼ぶと、美奈子はくるりと振り返って波を片足で蹴散らした。

「じゅうよんさーい!」

水しぶきは美奈子よりも高く上がる。
風向きのせいで自分の跳ね上げた海の雫をかぶり、美奈子はきゃあきゃあと楽しそうに笑った。
女の子って、よくわからない。

「いい年してそんなことするからだろー」

なんだか俺っぽくない台詞だって思ったけど、多分今俺がそう言わないと、美奈子は波に乗って遠くの国へ、世界へ、空へ、行ってしまいそうだって思ったから。

「だってやっぱり、ラムネのビー玉ほしいもーん!」

俺が言ったのって、ラムネのことじゃなかった気がするけど。
美奈子はラムネのビー玉しか考えてないらしい。
生憎近くのコンビニにはペットボトルのサイダーしかなくって、美奈子は残念そうな顔をしながら、そのくせしっかりサイダーを二本買った。
一本は自分の。
もう一本は、誕生日の俺に。

「ただのビー玉じゃだめなのー?」

別にこんなに大声を出す必要なんてないじゃないか。
せいぜい、五メートルの距離なんてものの数秒でなかったことにできる。
波打ち際に飛び込むのを気にするなんて俺らしくない。
ズボンの裾まくって、靴ぬいで、トータルしても十数秒。
気にしているのは、何だろう。

「ラムネの中にはねー、いろんなものがつまってんだよー」

夢とか?
ンなわけない。
さすがに美奈子だってそんなメルヘンチックなお年頃じゃあるまいし。
ていうかそれ、答えになってないし。

「その中に入ってるビー玉だもん、きっと、」

美奈子はサイダーのペットボトルを頭の上に乗せて、バランスをとるようにやじろべえを気取った。

「綺麗な色――」

けれど、ほとんど空のペットボトルは風にあおられてふわりと舞った。そのまま、海にぽしゃんと落ちて。

「だと、思ってた」

美奈子の目だけがそれを追う。ゆらゆらと漂流するペットボトルはどこへも行けずに波間を漂った。

「思ってた?」
「出したらふつーのビー玉だもん。やっぱり中に入ったままじゃないと、綺麗じゃないのかな」

それはきっと、取れないからそう思うだけだ。
手に入れてしまったら、それまで見ていたキラキラした何かがきっとひどく色褪せて見えるに違いない。
美奈子の言葉を借りるなら、ラムネの瓶の中にあるいろいろな何かは、きっとラムネの瓶の外では生きられないものばかりなんだよ。
きらめいて見えるものすべてを吸い取って輝くビー玉は、きっと瓶の中から出られないから綺麗なんだ。

「そうかもね」

美奈子は諦めたようにペットボトルを救出して、こっち側に戻ってきた。
しっかりとした足取り。
こっち側の美奈子。しっかり者の美奈子。俺の隣にいる美奈子。

「だけどラムネのビー玉じゃなくても綺麗なものはたくさん」
「うん」
「覗き込んだら海の底の人魚の国がきっと見える」
「人魚の国……」
「魚のレンズみたいな、ガラスの、青いかけら」
「どうしたの、美奈子?」
「琉夏くん」

美奈子が急に、俺の手を取った。

「そんな夢いっぱいの、ラムネのビー玉“もどき”をあげちゃいます」

ぎゅっと手のひらに何かを押し込まれて、握られた。
ややあって開いた手の中には、青いガラスの球体が乗っている。
本当に、美奈子の言うとおりに人魚の国が見えそうな綺麗な青。
水中から空を覗き込むような水色と、星空のように深い青のグラデーションが、掛け値なしに綺麗な、地球みたいなガラス球。

「何、コレ?」
「さっき拾ったの」

がっくり。
去年まで色々とそれなりのものを貰ってきたのに今年の誕生日は拾い物?
そんな顔をしていた俺がおもしろかったのか、美奈子は笑う。

「うそうそ!それね、琉球硝子だよ!」

信じていいものだろうか。
だけどこんな綺麗なものが、そこらに落ちているというほうがありえない気がした。
なんせ、俺の手に乗っているそれは夕日を通した淡い影を落とすけれど、その影がまた不思議な色合いで。
きっとWEST BEACHの窓辺に置けば、ベッドの上から階段のてっぺんまで、波打ち際から深海魚の寝床までのグラデーションを描くだろうと思った。
もしもこれがラムネのビー玉もどきなのだとしたら、俺だってラムネの瓶の世界を信じたくなる。
まぁ、コレ大きさは直径五センチほどあるから、きっと巨人のラムネになっちゃうんだろうけど。

「どうしたの?笑って」

きっと巨人のラムネの中には、満足そうにふわふわと、海月みたいに漂う美奈子がいるんだろうなと思ったから。

「なんでもない。それより、もらっていいの?俺、気に入ったから返してって言われても返さないよ?」
「いいのいいの」

笑う美奈子の横顔に、ビー玉もどきを押し当てる。
ちょっとびっくりした頬のくぼみに、夕日越しの星空の影が開かれた。
人工衛星は一番星からちょっと遠ざかって、飛行機はもう空を横切った。
俺と美奈子は手をつないだまま、ラムネの世界を今も歩いているような気がした。

20120701

走ってきた人はセーフ!!……なんか誕生日っぽくない上に琉夏っぽくなくてすいません。

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