シャングリラ



その日、美奈子ちゃんは「具合が悪い」って言って、早めにバイトをあがった。
顔色が悪かったようには見えないし、仕事がまごついてたわけでもなさそうだけど、どうしたんだろうな。風邪かな。
「気づかなかったとか、俺だっせえ…」
「あー?何か言ったか?」
「なんもないっす!」
隣で棚に新商品を並べていた先輩に独り言を聞かれていた。美奈子ちゃんが早く帰ったから、遅番の先輩が早めに来たってワケだけど、やっぱ心配してるみたいで、
「小波、風邪かあ?」
と、俺に聞いてくる。
「んー…それが微妙なんスよね、俺の見た感じ、いつもどおりって感じだったんスけど…」
「お前の見た感じ…ねえ…」
「…なんスか」
大学3年生の先輩は、だってお前はまだガキだもんなあ、わかんねえよなあといわんばかりの顔だ。
確かにさ、俺はまだ高2だけどちょっと癇にさわる。
「お前今日何時上がり?」
「へ?あ、10時ッス!」
「じゃあ9時半に帰っていいぞ」
は?なんでそうなるんだ?
手が止まった俺は、先輩の横顔を凝視する。
「あー?追加業務があるからな、お前に」
「えっ!?何すかそれ!?」
「小波の見舞い」
にやりと笑った先輩には、見透かされているような気がした。あー、やっぱ大人には敵わないのかな。
シンプルな黒い石のピアスとか、先週発売されたばっかりのスニーカーを何気なく履きこなしてるとことか、憧れてる先輩だけど、ほんと中身だけじゃなくかっこよくて尊敬できる。
「なーに止まってんだよ新名!店長には俺が話しとくから。あ、アイツが好きなシュークリーム買っていけよ?」
「…先輩マジ、俺が女だったら惚れてます」
「当たり前だわな」

にやにや笑いの先輩に見送られて、店を出たのは9時半丁度だった。
「…じゃ、お疲れさまッス」
「おう、気ぃつけてな」
焼きプリンと100%果汁のジュースと、みかんゼリーと、それからシュークリームは二つ。先輩が半分出してくれた袋の中身を確認して、俺は美奈子ちゃんの家に向かった。こんな遅くに行ったら迷惑かな…家の人に渡せばいいか…。あ、俺ちゃんと髪とか服装とかしてたほうがいいかな。なんてことを考えながら、早歩きで夜の街を後にした。念のため、今日遅くなるって家に連絡しとくか。
ショートカットコース!と思って公園を横切ったのは本当にいい判断だった…というか、そうしてなかったら、まずかったと思う。
ブランコに、はば学の制服を着た女の子が座っていた。いや、ていうか。
「美奈子ちゃん…?」
なんで?具合悪いんじゃなかったの?
「え?あ………」
美奈子ちゃんも顔を上げると気まずそうにしている。
やっべー…こういうとき、何て声かけるべきなんだ?
「ど、どうしたの?こんなところで…」
「それはこっちのセリフっしょ!具合大丈夫?」
ガサガサとビニール袋を鳴らしながら、俺は美奈子ちゃんの目の前に行って、しゃがんだ。丁度、俺が美奈子ちゃんを見上げる感じになる。
「………」
「歩けない…とか?あ、家に連絡した?」
公園のライトは少なくて、よく見えないけど美奈子ちゃんがつらそうな顔をしているだろうなってことは想像できた。
黙ったままの美奈子ちゃんはふるふると首を横に振った。
「じゃあ…」
連絡しないと、と言おうとしたのに美奈子ちゃんは突然、泣き出してしまった。右手をブランコの鎖から離して、目の下に手の甲をあてて。
「どっ…どしたの…?」
俺は情けないことにこういう場面に慣れていないし、もし美奈子ちゃんが泣いてる原因が俺だとしたらこういう場面に慣れてる男にはなりたくないし…いやそれはどうでもよくて、とにかく俺は、どうしたのと尋ねることしかできなかった。
「あ、のね…」
「う、うん?」
しゃくりあげる美奈子ちゃんと、どもる俺。
「一流の、ね」
一流大学?
「推薦、落っこっちゃった…」
美奈子ちゃんが一流志望だってことも、推薦を受けてたってことも、初めて聞いたし初めて知った。それがちょっとだけ気に入らなかったけど、今俺がやらなきゃいけないことは、美奈子ちゃんを慰めることなんだと思う。
「ご、めんね」
でも、美奈子ちゃんは俺に謝ってくる。
「え…なんで俺にあやまんの…」
たまのデートで遅刻してきたときの「遅れてゴメンね」みたいな、ちょっと子悪魔な感じの謝り方じゃない。
本当に心から申し訳なさそうな言い方だった。
「推薦がうまくいかなくたって、前期で受かるっしょ、ね?」
美奈子ちゃんはテスト上位者の常連なんだから。
「わかんない、けどっ…でも、」
ブレザーの袖からちょっとはみ出たセーターで涙を拭こうとしてるけど、セーターじゃ吸水ちょっと弱いでしょ。俺、ハンカチとか持ってないからな…こういうときすっと差し出せたらいいのに。
「早く合格したかったもん…」
そういうと美奈子ちゃんの目からますます涙がこぼれてきた。
俺は焦る。焦って、普段ならしそうにないのに美奈子ちゃんの小さな手をきゅっと握ってしまった。なんとなく、そうしたほうが安心させられる気がして。
「大丈夫だって!受かるよ、美奈子ちゃんなら、」
「そうじゃないもん!」
ばか、と言われた。ええ!?俺悪いこと言った!?

「早く受かれば、いっぱい新名くんと遊べたのに…」

美奈子ちゃんが落とした涙の粒が、止まって見えるくらいだった。
え、じゃあ美奈子ちゃんは、俺との時間を作ろうとして推薦受けたってこと?
それがうまくいかなくて、俺とあんまり遊べなくなるのがイヤで、泣いてるって、そういうこと?
「だから…ごめんなさい、なの」
泣いてる女の子目の前にして嬉しいなんて思うのはちょっとどうかと思うけど、俺は嬉しくてしょうがなかった。
「謝んないでよ。俺さ、美奈子ちゃんがそう思ってくれてただけで、すげー嬉しい」
鼻をすする美奈子ちゃんの手を、両手で包んだ。
「これからさ、一緒に勉強しよ?学年は違うけどさ…ほら、図書館デートとか、よくない?」
実はちょっと、そういうの憧れてたし。
美奈子ちゃんはちょっとびっくりした顔をした。
「カラオケじゃなくてもいいの?」
「うん」
「ショッピングじゃなくてもいいの?」
「いいよ」
「新名くん、頭いいのに?」
「うん、っていうか俺が勉強教えようか?…なーんて」
「…ふふっ、それも、いいかも」
やっと笑った。泣き笑いみたいな顔だけど、こんな俺でも美奈子ちゃんを元気づけることはできるんだな。それも、嬉しかった。
「ほら、シュークリーム買ってきたから、食べなよ?」
「うん!…二つも!?……じゃあ、一つずつ食べよう?」
……生クリームとカスタードの二重コンボは正直しんどいけど、今日はとことん、つき合わせてもらいマス。
でもその前にコーヒー買ってきても良いかな…ブラックの。

「新名くん」
「んー?」
「ありがと」

首を傾げた笑顔は反則です、センパイ。

20100801

意地っ張りな君の泣き顔見せてくれよ