怪しい…。
プロシュートが怪しい。せっかく、恋人と過ごせる週末なのに、「夜は予定がある」ってどういうことよ。
まさかまさかまさか、他の女のところにでも行く気かしら。
「ジェーン」
レストランのテーブル、私は頬杖をついてそっぽを向いていた。とっても雰囲気が良くて、料理もおいしくて、多分けっこう高いところだと思う。こういうところにつれてきてもらえるのは、初めて。付き合いだしたのがほんの一ヶ月で、彼が普段どんな仕事をしているのかとか、よく知らないけど、それでも好きって気持ちはお互いホンモノだと思ってたのに。せっかくお洒落して、髪型もメイクも頑張ってきたのに。
「おい、ジェーン」
プロシュートが呼びかけても、私は決して振り向かなかった。
ディナーにはまだ早い街並みが、オレンジ色の夕陽に照らされている。あのカップル、幸せそう。あーあ、私たち、何やってるのかしら。テーブルの下で組んだ足の上下を入れ替えながら、私は出来るだけキツク、プロシュートを睨んだ。
「何よ」
「…急に予定が入っちまったのは謝る。本当に悪いと思ってる」
謝ってすむ問題じゃないんです。そういう風に、顔をしかめてみせるのはズルイ。いつもは鷹みたいに鋭い目付きが、今はまるで捨てられた小犬。こういうのを、母性本能をくすぐるっていうのかしら。
「…予定って何よ」
「仕事だ」
「だからその、仕事ってのがなんなのか聞いてるのよッ!私は!」
「………」
また黙り込んじゃった。ほらね、言えないってのは、やましいことがあるからでしょう?
「もう帰る」
私はハンドバッグを掴んで立ち上がった。目尻が熱くなってるのを、気づかれないように俯いて。
「送る」
そうしたら、プロシュートまで立ち上がって、私の腕を掴んだ。
「は…?仕事じゃないの?」
「送るぐらいの時間ならある」
「…別にいいよ…。まだ明るいから、危なくなんか無いし」
――――――――――――――――――
俺がよくねえんだよ、そういうと、ジェーンは渋々頷いた。
畜生。コイツはきっとあらぬ想像をして俺を疑ってるに違いない。仕事、暗殺業のことを話せば納得してくれるんだろうが、それは出来ない。コイツを巻き込むわけにはいかない。俺の顔が割れてる心配はないが、もし万が一、ってこともありうる。そういう時、もしジェーンの身に何かあったらと考えると、どうしてもこの秘密は守らなきゃいけねえ。
が、今俺が考えなきゃいけねえのは…不機嫌極まりないこのお姫様を、どうやってなだめるか、だ。
チームの連中を恨みがましく思いながら腕時計を見ると、指定された時間まであと一時間。これだけの時間で機嫌が直るかどうか、自信はないが、やってみなきゃわからねえ。
――――――――――――――――――
プロシュートは難しい顔のまま、私の横を歩いていた。手もつないでないし、腕も組んでいない。プロシュートの手はスーツのポケットに突っ込まれてる。もしかしたら、それは私が腕を絡めるのを待っているのかもしれないけど、今の私はそういう気分にはなれなかった。だって、腕を組むと私がプロシュートにしがみついてるだけみたいに見えそうだから。
ほとほと惨めな気分になりながらハンドバッグのチェーンの持ち手をくるくる回していると、急にプロシュートに手を引かれた。
「入るぞ」
「えっ?」
連れて行かれたのは…宝飾店、それも…カルティエ。
「なんでなんでなんで!?」
わけがわからない。さっきまで仕事があるって言ってたのに、なんでこんなところに、プロシュートは来たんだろう。それを尋ねることもできない。彼は入るなり、店員に何か話しかけている。困った顔をした初老の店員が、他の若い店員にアレコレ指示を出している。まるで自分が迷惑掛けてるみたいで、申し訳ない。
「ジェーン」
「…なに」
呼ばれて彼の元に駆け寄ると、ふかふかの椅子に座らされた。隣にプロシュートも座る。目の前の低いテーブルには色々なデザインと色の指輪が並べられている。プロシュートを見ると、彼はテーブルを指差しながら言った。
「好きなの、選びな。俺の仕事が始まる一時間後までに用意できるものがこっち。ネーム入れるとか、時間がかかってもデザインに凝りたいんなら、こっちから選べ」
私が座ってるのと同じくらいふかふかしてそうな布が敷かれた二つのトレイの上に、大きさが違う揃いのデザインの指輪が何組もあった。これって、ペアリング?
「なんで?」
「欲しい欲しいって言ってたじゃねーか」
――――――――――――――――――
「覚えててくれたの?」
真ん丸に目を見開いて、ジェーンは俺を見上げた。覚えてるに決まってる。付き合いだして、最初のデート。お前が他の男からちょっかい出されるなんて聞いたときには柄にもなく、焦った。半分本気で、「虫除けに指輪でもつけるか」って言ったら、ジェーンは単純に、ペアリングなのかと嬉しがった。
ペアでもなんでもいい。お前が喜んでくれるなら、あわよくばこれで他の男が寄ってこなくなるなら、カルティエでもエルメスでもなんでも、買ってやる。
「でも、時間無いんでしょう?だったらさ、今度来ようよ!一緒に選ぼう」
「お前の好きなのでいいんだよ。…ああ、気に入らないか?」
「違うの、私とプロシュートのどちらにも似合うのを、じっくり選びたいの」
たかが指輪に目を輝かせて、ジェーンは幸せそうに微笑んだ。
「そうか…じゃあ明日来るか」
仕事はなんとしてでも早く終わらせて、日付が変わる前には帰ると約束した。今回のターゲットは災難だな。ただ殺されるだけじゃねえ。俺の恨みつらみ、ぶつけてやろうとも思っているから。
「あの、そういうことなので…すみません、せっかく用意していただいたのに」
ジェーンは丁重に店員に声をかけた。さすがにこういうところの店員は教育が行き届いている、嫌な顔一つせずに明日はもっと種類をそろえておくとまで言ってくれた。
「たくさん、素敵なのがあったから、迷っちゃった」
ジェーンは店を出て、俺の手を取りながら目を輝かせた。
「ったく…今でさえそんな調子じゃ、婚約指輪はどれだけ悩むつもりだ?」
「えっ…こ、婚約?」
半分本気、半分からかった言葉に、ジェーンは露骨に顔を赤らめた。いつになるかわからねえが、と付け加えると、ジェーンは俺の手をちょっとだけ強く握り締めて、こう言った。
「プロシュートが選んでくれればいいよ、センスあるし」
「バカ、」
かわいいやつ。
「俺だってお前が選んだヤツ、付けたいと思ってる。何時間だって付き合うから、明日は一緒に選ぼうな」
仕事は話せないけど、できるだけ早く帰ってきて、お前に会いに行く。寝ぼけてたって構わないから、お前のいるところに帰りたい。
なんて、俺もかなり惚れちまってるみてーだな。
- end -
20080819