突然降り出した雨に打たれてずぶぬれになって帰ってきたアバッキオに、昼食を終えたブチャラティチームの皆が視線を投げかけた。
「だーっはっは!水も滴るいい男じゃねーかアバッキオー!」
ナランチャは腹を抱えて笑う。
「ひどい目にあったな、シャワーでも浴びてきた方がいいんじゃないか?」
ブチャラティは心配そうに眉をひそめる。
「アバッキオが風邪なんかひくかよ、なあフーゴ!」
ミスタはエスプレッソを持ち上げたまま、隣のフーゴに同意を求める。
「そうですね・・・でも濡れたままじゃあいけないでしょう」
フーゴは苦笑しながら頷いて見せるが、それでもブチャラティと同じように心配してみせる。
「はい、ブチャラティ。カプチーノ・・・どうしたのアバッキオ?」
その時、レストランの奥からジェーンがトレイを抱えてやってきた。彼女はブチャラティが頼んでいたカプチーノを彼の目の前に置きながら、びしょびしょに濡れたアバッキオを驚いた目で見つめた。運んでもらった礼を、ブチャラティが口にしたことにも気づかない。
アバッキオのコートの裾、髪、いたるところから水滴が落ちてきて、足元の水溜りはどんどん大きくなっている。
「通り雨にな」
「風邪をひくわ。待っていて、今タオルを持ってくる」
「いや、シャワーを浴びて着替えるからいい」
アバッキオはそう言い放つと、髪から雫を落としながらすたすたと階段を登っていった。その背中を見つめる、ジェーンの視線には慈しみと不安の色が滲んでいるが、それに気づいているのはブチャラティだけである。
「大丈夫かしら・・・」
「子供じゃないさ。それよりジェーン、アイツのために何か暖かい飲み物でも用意してやってくれ」
「・・・そうね、わかったわブチャラティ」
「ジェーン!俺にもアイスティー!レモンでな!」
「僕も、モカをおかわりできますか?」
「はいはい」
ブチャラティチームはいつもこのレストランで食事を取る。この界隈じゃ評判のいいギャングのブチャラティたちは、結構なボリュームの食事を取るし、チップもかなり弾んでくれる。それを差し引いても、彼らはいい客だった。第一、レストランの二階は彼らの事務所だから。
一方のジェーンはパッショーネの一員ではない。ただの一般人で、レストランの従業員だ。気づいたときにはブチャラティチームと面識もあったし、それがいつのことなのか、覚えてはいないがかなり昔のこと。
要するに、腐れ縁みたいなもの。
「(そしてジェーンはアバッキオに・・・ね・・・)」
ブチャラティは口元をゆがめて苦笑した。ジェーンの気持ちだけが空回りしているのならば、些か同情の念も沸いてこないわけではないが、どうやらアバッキオのほうもまんざらではないらしい。
だが、ギャング集団、パッショーネの一員が恋人を持つというのは危険なこと。本気であればあるほど、それは弱点になりうる。ブチャラティは、彼らの恋がどうか実って欲しいとは思っていながらも、幾許かの不安が常に胸中にあった。おそらく、アバッキオも同じように葛藤を抱いているのだろう。
ブチャラティはカプチーノを少しすすった。
「俺はこれからポルポのところへ行ってくる」
ブチャラティがカプチーノを飲み終わったとき、ミスタはまだ、ケーキを“3つ”の中から選んでいた。ナランチャはフーゴと一緒に掛け算を勉強しながらストローでアイスティーをすすっていたし、フーゴもカップを顎の高さまで持ち上げていた。
「じゃあ俺もそろそろ外回りに出ようかな・・・ピストルズの昼寝も終わったし」
ミスタはケーキを手づかみで口に放り込み、リボルバーの具合を確かめる。ナランチャも勉強から逃げ出したいような視線をフーゴに送っていたが、フーゴが聞き入れるはずもなく、再び彼の視線はノートの上に落される。
「ナランチャ、フーゴ、終わったら事務所の書類をまとめておいてくれ」
「わかりました。・・・さあ、ナランチャ、早く終わらせてくださいね」
「俺も外に出てェよお〜」
「何かあったら連絡してくれ・・・ジェーン、勘定はアバッキオに頼む」
ブチャラティがレストランの奥に向かって声をかけると、ジェーンは軽く手を振った。そのタイミングで、店主がジェーンに休憩に入るように促しているのが、ブチャラティの耳にも入った。それを背中で聞きながら、通り雨の過ぎ去った歩道へ歩みを進めた。
空に、微かな虹がかかっている。
「・・・おい、アイツらどこいったんだ」
ジェーンが文庫本を読みながらのんびり昼食を取っていると、首にタオルをかけたアバッキオが階段を降りてきた。あわててジェーンは文庫本を閉じ、お上品に食事を取るフリをする。
「みーんなお仕事みたい」
ジェーンは器用にフォークを使い、渡り蟹のクリームパスタを口に運ぶ。アバッキオはジェーンの返答に何も言わずに、彼女の隣に腰掛けた。目の前にはコーヒーメーカーが出されている。ジェーンは無言でアバッキオに一杯注いでやった。
「・・・お前、本読みながらメシ食うのは行儀悪いぞ」
「・・・見てたの?」
「見たも何も、隠すぐらいなら最初からするんじゃねぇー」
「アバッキオこそ、タオルかけたままじゃない」
「これのどこがいけねーんだよ」
顔だけは不機嫌そうにしてアバッキオはジェーンのほうを向いたが、ジェーンはアバッキオの髪の辺りに鼻を近づけて、ふんふんと匂いをかいでいる。
「おい、何の真似だ」
「アバッキオ・・・いい匂い」
気の抜けるようなことを言いやがるぜ、とアバッキオは呆れながらコーヒーをすすった。自分では気づかないのだろうか、ジェーンのほうが普段、いい匂いなのに。ただ、アバッキオは一瞬驚いて跳ね上がった自分の鼓動が無性に悔しかった。
「ねえ、ご飯まだでしょう?ピッツァは時間がかかるけど、何か食べる」
「減ってねーんだよ」
「そう?・・・ひょっとして具合悪いの?」
ジェーンは視線をアバッキオから外さずに、パスタをくるくるとフォークに巻きつけている。アバッキオはちら、とそれを視界に入れると、カップを置きながら言った。少しだけ口角を上げた笑みには、ジェーンは気づいていない。
「具合は悪くねえー。それよりお前のそのパスタ、うまそうだな。ジェーン」
言うが早いかアバッキオはジェーンの手首を掴むと、巻きついていたパスタを食べてしまった。すぐにアバッキオの手はジェーンの手首から離れたが、フォークを持つ彼女の手はそのまま空中で静止している。
「フン・・・ちょっとこってりしすぎだな。だが、悪くねー」
「ほ、欲しいんなら頼めばいいじゃない!なにしてんのよーッ!!」
「一口でいいんだよ、ジェーンから貰う一口がな」
「・・・・・・ば、ばかあ・・・」
何食わぬ顔のアバッキオと、顔を真っ赤にしたジェーン。それをたまたま階段から見ていたナランチャはブチャラティにからかい半分で電話したが、「くだらないことで電話をするな」と呆れられたのは言うまでもない。
けれどブチャラティもナランチャも、彼らのささやかな幸せを望んでいることに変わりはないのだった。
20080703