やさしい、境目



肉体の神秘、というのを、俺は結構マジに信じている。
ただし、女体の神秘に限るが。
神だとかそういうものの手を信じちゃいないが、人間の遺伝子に俺は本気で感謝している。女の肉体ってのは、完璧だ。コルセットで締め上げたり、ボンレスハムみたいにパツパツになってねー限り、どんな女もそれ以上ないくらい自然なカーブを肉体に宿している。
その“物体”と“空間”の境目(簡単に言えばライン、ってやつなんだが俺はどうもそういうオブラートよりも脆くて薄っぺらい言葉に、この美しい概念を宿したくない)が、まず第一の神秘だ。生きるうえでは何の役にも立ちやしない。フツーの男なら女ってだけで衝動の対象にしちまうんだから、原始、女が男よりも立場が弱かった時代だとしても態々美しい形を作り上げて競争する理由もないし、昔は一夫多妻がフツーだったんだからな、羨ましい。
閑話休題、今時の“女性の社会進出”が一般的になって対等な立場になった今と比べても、女の身体はちっとも変わっちゃいない。そんなことはミロのヴィーナスだとか、ボッティチェリの絵画を見てれば解る。女はこの世界に発現したそのときから完璧だった。頭の先から爪先まで、どこも欠けてはならない、そして何も追加されてはならない。俺はミロのヴィーナスに両腕がついていれば、彼女を理想の女性像にしていたとこだ。二の腕の柔らかそうな膨らみが、トンでもない大昔に欠損してしまったのかと考えると、管理者(そんなヤツがいたのかどーか解らないけど)を少なくとも100回は殺したくなる。
そうだ、二の腕の内側ときたら、柔らかいこと此の上ない。が、これも驚くべきことに女は体中どこを触っても柔らかい。男と比べて、とかではなく、絶対的に柔らかいんだ。女が体操やストレッチをする時にちょっと腰を斜めに倒す。すると、曲げられた方の皮膚がふっくらと浮かび上がる。俺はそのときのその場所が、一番好きだ。柔らかいだけじゃない。いや、柔らかさにもつながることなんだけど、女の肌はどうしてああも、素晴らしい質感を持っているのだろう。これは、どんな女もというわけじゃない。荒れたりしてガサガサした肌はちょっと嫌だな。太股の内側、顎の下、瞼。薄い皮膚に吸い込まれそうになる。よく陶器のような肌とか言うが、おれは女の肌のような陶器、というのが正しい比喩表現だと信じている。だって、おかしいだろう?どう考えたって、肌が陶器より劣っているはずがない。あの感触は誰にも作り出せない。だから、女の肌のような陶器なんてものは、世界中どこを探したって存在しない。
フェティッシュだが、別に性的嗜好でこういうことにこだわっているわけじゃない。俺は月食の日に口を開けて天空に見入っている人間のように、アンティークの宝石商が呪われたダイヤを鑑定するときのように、極めて純粋な気持ちで女の身体の美しさにほれ込んでいるのだから。



俺の身体の一番敏感な部分がジェーンの内側に入り込んでいた。
この感触はそんなに好きじゃない。質感だけ追い求めるのなら指先、その指先でジェーンの表面だけを追っていたかった。



ジェーンの身体は完璧にも程がある。あくまで、俺にとってだけど。
いろんな神話に、地母神が出てくる。ガイアだとか、キュベレだとか、イシュタル、デメテール。肥沃な大地は全てを生み出す胎盤。初めてそういう考えに至ったのは、テレビでジャッポーネの紀行番組を見たときだった。誰も知らないような低い山が、深い霧をまとって連なっていた。アルプスのように攻撃的な山じゃない。もっとこう、なだらかで優しい“境目”をしていた。
まぁ、低俗だって言われるんだけど、俺にはベッドに横たわった女の身体にしか見えなかった。きっと世界のあちこちで地母神を考え付いたヤツもおんなじことを思ってたに違いない。友達になれそうだ。
ジェーンの表面は、悪く言うと起伏が少ない。のだろう。でも俺にとってはそれが完璧たるゆえんだった。攻撃的で刺激的なグラマラスボディってやつより、こういう滑らかな曲線が爪先まで伸びている身体が好きだ。
優しい境目だと思う。今にも背後の空間に溶け込みそうで、俺はジェーンをシーツの上にとどめている間、ずっと境界線を見つめていた。身体の淵がどこかに行ってしまわないように、白い海に辛うじて落とされた淡い影を追っていた。

「どうしたの?」

果てて、ジェーンの横に身を投げ出した俺はずっとそんなことを考えていた。
どうして肉体の悦びを感じなければいけないのだろうか。どんなに清楚ぶった女も、紳士も、多分一生のうちにこんな悦びを感じないわけはないと思う。それは、どうしてだろう。
子孫を残すためにしなければならない行為だから、甘いエサでつろうとしたんだろうか。それは、女の身体の境界を作ったヤツが同時に考えていたことなんだろうか。

「疲れたの?」
「いーや」

それはそれで心外なのだろう。ジェーンの眉がピクリと動いた。
疲れるのは、嫌いだ。
どんなに気持ちよくても、こんなことしているより、肌をずっと撫ぜている方が俺は心地いい。
どうしてなんだろうな。どうして俺は、たかが柔らかい境界線にこうまで執着しているんだろうな。

「やっぱり疲れた。寝よう」

うつ伏せになりながら俺はジェーンの手首を自分のほうに引っ張った。少し汗ばんだ肌と肌は、普段よりもすごく相性がよくなる気がする。
俺も境界線を作る、何らかの要素になりたい。
一つになりたいとかそういうんじゃなく、もし可能なら境目のなかの一つの点になりたい。

「待って、シャワーを」

俺は振り切って立ち上がるジェーンを追わなかった。
なだらかな大地を伝う雨になるのも、それはそれで魅力的なことだと思っていた。

20090331