深海サイダー



「暑い暑い暑い!」
「うるっせー!!暑い暑い言ったって涼しくなるわけねーだろぉがぁ!!」


私がテーブルに両手を叩きつけながら叫ぶと、ナランチャはシャープペンを私めがけて投げつける。もちろん、まともにくらうような無様なマネはしない。難なくそれをかわすと、シャープペンシルは引力にしたがって床にカランと音を立てて落ちた。

「拾わないからね」

ノートで顔を仰ぎながらナランチャに言ってみたけれど、聞こえていないのか無視しているのか返事はない。
大体、勉強しているときは何かにつけて文房具をぶっ壊すナランチャなのだ。今のでシャープペンが壊れたかどうかはわからないけれど、手元に残っていた唯一の筆記具は彼の手の中にはない。
勉強はしたくないし、なんと今日は気温33度を越す猛暑日。したいしたくないに関わらず、やる気が最初からないのだ。

『そんなの関係ありません。毎日きちんと続けることが大事なんです』

それを、偉大なる我等がパンナコッタ・フーゴ大先生は汗一つかかずにさらりと鬼のようなことを言ってのける。それがほんの一時間前。チームのみんなはそれぞれ仕事なんだとか。クーラーの効いた部屋で快適に過ごしてるのかと思うと無性に腹が立つ。
というのも、フーゴは『勉強が終わったらクーラーの効いた部屋に入ってもいいです。そうすれば早く終わらせられるでしょう』などと、逆に集中力と一緒にこっちまで切れそうなことを命じたのだ。で、それを愚直に守っている私とナランチャ。

「ジェラードが食べたぁい」
「・・・・・・」
「冷たいレモンティーが飲みたい・・・」
「そーだな」
「もういっそ海にいきた・・・・・・!」

テーブルで突っ伏していた私が急に顔を上げると、ナランチャは私の顔を怪訝そうに、というかむしろ『とんでもないことを考えてるなコイツ』みたいな目で見る。

「海に行こうよナランチャ!」
「はあぁ?」

何を言い出すのかと思っているだろうナランチャの手を取って、私は立ち上がろうとする。が、ナランチャは逆に私の手首を掴んで引きとめようとした、というか本当に引きとめられた。線が細いけれどさすがに男の子のナランチャの力は強い。

「やめろよジェーン〜フーゴに怒られるだろォ?」

なんだコイツ。いい子ちゃんぶりやがって。

「怒られようがなんだろうが今のこの暑さで死にそうなのよ私は!」

そうだ、怒られる前にこれでは死んでしまう。学校には休み時間があるんだし、私達も少しぐらい休憩したっていいはずだ。海は絶対に冷たくて気持ちいい、ネアポリスが海に近くてよかった、それに帰ってきたときに二つの死体を見つけたときのフーゴの気持ちを考えてみろ、虐待とかなんとか騒がれるかもしれないぞ、一向にまとまらない口実をまくし立てていると、ナランチャも徐々に海に気持ちが傾いてきたのか、腰が椅子から浮き始めている。

「よーし、じゃあ準備する間も惜しいからこのまま行こう!」
「やったあ!それでこそナランチャ!!」

一度決めたら私達の行動は素早かった。たまたま歩道に停められていた車(ちなみにブチャラティの)に乗り込むと、窓を全開にして走り出した。海に近づけば近づくほど潮の香りが濃くなって、気持ちだけが先走る。
待ちきれない私達は、車を降りると海沿いに建てられている塀に登った。海は、眩しい。




「いっくよ、せーの!」

どぽん

合図で私とナランチャは手をつないで海に飛び込んだ。ナランチャはパンツ一枚、私はTシャツとショートパンツ。朝からこの格好でよかったと思う。長いジーンズだったら水を吸って、最悪、溺れ死んだかも。

「ぷはっ!」
「気持ちい〜!!」

呼吸するために顔だけを水面にだした。頭上の太陽に照らされて、水面はキラキラ光っている。とても綺麗だ。涼しさだけを求めて海まで来たけれど、やっぱり海はいい。
ナランチャの髪はぴったりと彼の顔に張り付いている。長いから、でも、色っぽい。普段の年齢不相応の子供っぽさとは大違い。
ブルブルと犬みたいに頭を振るから、私の方まで水のしぶきが飛んでくる。一つ一つが太陽に照らされて宝石みたいだと思った。

「沖まで泳ごうぜ!」
「えー?服が水吸って結構重いんだもん」

手を取ったナランチャに抗議する。

「ねえそれよりも」

私は逆にナランチャの手首を掴んで、海の中に引きずり込んだ。

『キスしようよ』

吐き出した言葉は空気と一緒に上昇していく。ナランチャが目を見開いているのが見えたけど、聞こえているはずがない。

それに、重なった唇を感じたときは、もうそんなことどうでもよかった。


























「課題が終わってないのはどういうことですか、ナランチャ、ジェーン」
「・・・」
「・・・」
「おい、俺の車のシートがなんか大変なことになってるんだが。砂まみれで水浸し」
「(ブチャラティには悪いことしたなあ)」
「(ごめんなさーい・・・)」
「言わないのならアバッキオに頼んで貴方たちの行動を再生してもらいま・・・」
「「海行ってましたァー!!!スイマセンッしたー!!!」」


『再生されては困る!』

20080706

調べたこと→ナポリの夏の気候。ところで泳げるんですかね、海?