七カ国連合降伏



A seven nation army couldn't hold me back.

ジョルノ・ジョバァーナは困っていた。というより、正しくは自らの取るべき行動に対して、どのように事を進めていくべきか悩んでいた。
彼の視線の先、であると同時に掌の中には小さな箱がある。深海よりも夜空よりも深い紺のベルベットにくるまれた小箱の中には、金の台座に赤い石がはめ込まれたピアスが一対、収まっている。三本の立爪にホールドされたトリリアント・カットのルビーのピアス。彼はその箱を何度も開閉しては溜め息をついていた。

ジェーン・バーキンは上機嫌だった。というのも、先週リリースされた彼女お気に入りの歌手のアルバムがチャートで一位を獲得したためであり、もう一つは晴れて普通自動車免許を本日付で獲得したためである。
少しばかり思慮深い人間ならば、ジェーンが悦に浸っている前者の理由は取るに足らない些細なことだと笑うかもしれない。だがジェーンはそういった瑣末な出来事に一喜一憂し(事実彼女は自らの努力と忍耐の結果である免許取得よりも赤の他人であるアーティストの売り上げ倍増の方が殊更嬉しいらしい)、逆に例えば宝くじで一等が当たるだとか、道を歩いていたらスカウトされて世界的な女優になってしまうとか、そういうこととなんら関わりのない、静かで平穏な生活の中で一生を終えることを望む女性だった。

そして、この二人は今現在、一つの部屋の中にいる。
ここはジェーンの借りているアパルトマンだ。外装は地味だがジェーンの部屋の中は極彩色と言っていいような色で溢れている。壁紙やらカーテンやら家具を説明するのは難しい。ジョルノ・ジョバァーナの言葉を借りて言うなら「まるで、オースティン・パワーズ」だということだが、ジェーンは自分の部屋がそうだとは思っていないらしい。
ジョルノはこの部屋が苦手だった。だから、二人で会うときはいつもジョルノのマンションが常となっている。

「珍しいよね、ジョルノがここに来るなんて」

鼻歌混じりでバスルームから出てきたジェーンに気取られぬよう、ジョルノはベルベットの箱をズボンのポケットにしまった。ほぼ立方体と言っていいほどのかさばるものをそんなところに入れては隠せるものも隠せないが、咄嗟に箱の存在を隠すにはそれしかなかったのだと、ジョルノは聞かれてもいない弁明を頭の中で繰り広げる。
ジェーンはお気に入りの雑貨メーカーの安っぽいタオルで髪を拭きつつ、白いセルフレームの眼鏡に手を伸ばした。ああ、ジェーンは家の中では眼鏡だったとようやく思い至ったジョルノは、だったら箱を隠す時間は思っていたより長かったのではないかと今更ながらに後悔しはじめる。されども、彼は今日の日付が変わるか変わらないかのうちにこの箱をジェーンに差し出すつもりでいたのだから、それについてはもう考えるのを止める事にする。

「急に大事な話が出来たんですよ」
「何かしら?」

ジェーンは二人分のカフェオレを、タオルと同じくお気に入りのペアグラスに入れて運んできた。ジョルノが座っているのは、出窓の淵である。ジェーン宅の雑然としたソファには座る気になれないし、さりとてベッドの上はジェーンの「今日のコーディネート」から脱落したこれまたキッチュな服で溢れかえっている。物で溢れかえっているジェーンの部屋は、酷いときだと足の踏み場もない。家事全般が苦手なジェーンではあるが、ゴミを溜め込まないことだけは評価に値する。無論それは、家事全般が出来ないという前提条件が生み出すある種のギャップによる評価なのかもしれないが。
反面ジョルノは身の回りがきちんとしていることを好む人間であるし、毎朝着る服に悩みもしなければ脱ぎ散らかすこともない。部屋の壁紙もカーテンも温かみのあるベージュ系から茶色で統一しているし、それはジェーンも「素敵な部屋」と評している。彼女は、そう言いながらも自分の部屋の方がハイ・センスだと信じて疑わないようだが。
正反対の二人は、もう三年の時を共に過ごした恋人同士だ。ジェーンは近所のブティックの販売員で、ジョルノはギャングのボスである。ジェーンは、ジョルノのことを「大学生で、資産家の坊ちゃん」としか認識していない。そう言ったのはジョルノであるし、言外の意図を汲み取ることを知らず、言われたことしか信じないジェーンにとってはそれが全てだった。

「僕達、もう三年も付き合ってますよね?」
「ん?うん」

ジェーンは、オースティン・ソファーのほうが居心地がいいのか、謎の生き物(生き物なのかどうかはジョルノには判別できないが)のぬいぐるみを枕にしてカフェオレをちびちびと舐めている。おかしな飲み方だとジョルノは苦笑しながら、ルービック・キューブのような色合いのソファーに近づいた。

「だから、僕はジェーンと一緒になりたいんですよ」
「……うん?」
「結婚してくれって事です。何度も言わせないで下さい、恥ずかしい」
「いや、それはわかってるんだけどね、ジョルノ?」
「はい?」
「あなた、まだ学生でしょう?」

突然のプロポーズに混乱して、それゆえに聞き返してきたのかと思えばジェーンの思考は存外にしっかりしているらしい。部屋の中はともかく、ジェーンの頭の中まではサイケデリックではないということかもしれない。

「お金持ちだからって、人様のお金で結婚とか、そういうのは駄目。ちゃーんと仕事見つけてから、それまで待ってるからね」

ジェーンは至極真面目な顔でそう言って、笑った。
ジョルノは機嫌を損ねる風でもなく、

「僕はアンタのそういうところがすきなんですよ。
部屋はとっちらかってるし、センスも僕とは絶対に合わないけど、そういう芯が強くて常に…まぁ、変に、なのかもしれませんけど、冷静なところは本当に魅力的です」
「人の話聞いてる?」
「だから僕は、ジェーン、アンタをギャングのボスの妻として迎えようって気になったんです」
「ギャングの…ボス?」

さすがに今度は一瞬驚いたのか、それでもカフェオレのグラスを取り落とすようなことはせずに、ジェーンはジョルノの顔を凝視した。グラスを背の低いテーブルの上に、それもコースターから決してはみ出さないように気をつけながら置く。

「それって誰のこと?」
「僕ですよ」
「いつの間にそんな仕事見つけたの?」
「アンタと出会ったときには既にギャングでしたね」
「証拠は?」

最後の台詞だけは、ジョルノ予想を裏切った。「嘘つき」と罵られることは覚悟していたし、予想も出来ていたが、「証拠は」と聞かれると返答に困ってしまうのが正直な感情である。

「僕が仕事しているところを見ますか?と言っても…」
「それって、麻薬の取引現場に来いとか、銃撃戦の真っ只中に私を放り込むとか、そういうことなのかしら?」
「麻薬には手を出していませんよ、ウチは。というか、そんな危険なところに連れて行くわけにはいかないから、僕は困っているんです。ジェーンの言う、証拠を提示できないから」
「でも、それじゃあジョルノが嘘ついてる可能性は消えないわよ」
「…じゃあ、証拠は追々出すとして、結婚はどうするんです」
「保留」
「は?」

ジェーンはテレビのリモコンを操作して、目当ての歌番組にチャンネルをセットした。

「だって、ジョルノがギャングだとして、私はそんな抗争と血飛沫の世界に入りたくないし、ギャングじゃなかったとしたら最初に言ったとおりにジョルノが仕事を見つけるまで待つつもりよ」

飲め、というようにジェーンはカフェオレのグラスをジョルノに差し出した。視線はテレビの画面に固定されたままである。
彼は無下に断ることもせず、というよりもどこかジェーンの機嫌を損ねることを恐れて、グラスに手を伸ばした。
彼女は一つ溜め息をつくと、

「なんて言ってるんだけど、まさかあなたがそんなすぐばれるような嘘なんかつくはずないのよね。ってことは本当にギャングなのよね?少なくともその可能性が高いって事よね、客観的に見ても。
はぁ、これは参ったわ。私だってジョルノのことは好きなんだけど、かと言って平穏が遠のくのは困る。
ということで、ちょっと考えさせてください」

片手で目を覆いながら、ジェーンは一気にまくしたてた。冷静に見えても、本当は狼狽しているのだろう。

「別に構いませんよ。ところでこれ、ジェーンにぴったりだと思って買ってきたんです」
「なぁに?」

ようやく視線をジョルノに向けたジェーンは、差し出された箱を開けた。

「わ、綺麗…貰っていいの?」
「そのために買ってきたんですよ」
「これ、貰っちゃったら婚約成立とか、そういうことじゃないわよね?」

ジョルノは笑った。

「僕はそんなに姑息な人間じゃないつもりです」




一週間後。
ジョルノと、彼の親友であり腹心の部下であるミスタは、定例会議のために車で移動をしていた。時刻は朝の10時。道はそれなりにすいているが、ミスタの運転の荒さはそういう環境によって左右されないいい加減なものであるのが常だった。
ミスタがジョルノのマンションに彼を迎えに行き、特に何の問題もなく走行を続けて5分ほど経った頃、

「ジョルノ、」
「気づいてますよ」
「下手糞な尾行だな」

ミスタがちらりとバックミラーを見上げる。
先程からずっと一台の車が後をつけてきている。彼らを付け狙うとしたら、その人物もまたギャングの一員なのではないのかと推測できるのだが、どう考えてもその赤いミニ・クーパーはギャングが使いそうな車には思えない。
偽装にしては不自然だ。万が一戦闘状態にでも入れば、あんな小さな車は不利でしかない。仮に防弾ガラスがはめ込まれているとしても、あんな車にそのような処置をするような余地はない。

「ピストルズを飛ばした」
「そうですか」
「どんなヤツが乗ってんだろうなあ、どう思う?」

ミスタは事態を楽観視しているようで、片手を大きく動かしながらジョルノを見た。

「知りませんよ」

ジョルノもジョルノで大した脅威とも感じておらず、組んでいた腕の上下を組みなおした。
ピストルズのNo.3が戻ってきたのはそのおおよそ2秒後だった。

「ヨオ、色男!ジョルノ〜浮気デモシタノカヨ〜!」
「おい、俺はおめーに偵察に行けって言ったんだぜ」
「ダカラ偵察ニ イッテキタンジャネーカ!アレ、アノ車にノッテンノハ ジェーンナンダゼ〜?」

No.3は小さな肘でジョルノのこめかみをぐりぐりと突いている。
彼によれば、運転しているのは女。プッチ柄のスカーフで頭を覆い、白いフレームに鏡面反射の茶色いサングラス、耳元には正三角形を丸くしたような形の赤いピアスをつけており、運転にまだ慣れていないのか、妙に肩に力が入った運転をしている、とのことだった。
ジョルノは甲高い声の報告を聴きながら肩を落とした。そんなもので変装でもしたつもりなのだろうか。

「ジェーンですね…」
「まさか本当に浮気したとかじゃねーよな?」
「僕がそんなことすると思います?」

からかい半分のミスタに、ジョルノは心底面倒くさい説明をした。
説明しながら、中々とんでもない方向で自分の言ったことの検証をしているものだと、彼はジェーンの行動力に呆れた。

「はぁ、成程。黙ってりゃよかったんじゃねーの?」
「そのうちばれますよ。それに覚悟が出来てたほうが彼女にとっても安全ですから」
「まぁ…そりゃあ、なぁ」
「けれど困りました。まさかジェーンをこのまま引き連れて行動するわけには行きません」
「適当に護衛をつけてさ、適当なとこだけ見せてやりゃあ納得するんじゃねーの?」
「ミスタの案ってのが悔しいですけど、それが確かにベストかもしれませんね」

ジョルノは携帯電話を取り出して、護衛担当のチームと会議に参加する幹部に電話をした。護衛のチームにはジェーンを守ること、幹部には会議の延期を手短に伝えている。
人数の半分ほどに電話をかけ終わったジョルノを見て、ミスタは鼻を軽く鳴らした。

「なんです?」
「いやね、お前はジェーンのためなら軍隊だって動かすんだろうなって思ってよ」
「かもしれませんね」

そこは否定しろよ。と口に出せないミスタは、赤信号を見つめる目を眩しそうに細めるだけだった。
会議がなくなったジョルノを乗せた車は、繁華街へと進路をとる。

「ああ、でも」
「あ?」
「ジェーンは軍隊よりも強くて怖いですけどね」
「……そーね」

もはや何を言う気もしないミスタは、信号が青に変わるより一瞬だけ早く、アクセルを踏み込んだ。

20090802

A seven nation army couldn't hold me back.