Crepuscule



番外編2:その遊びを恋と嗤って

『私は自分で、自分の力で生きていきたいから――』

それは、一年と半年前の話


『インターンシップ?』
『ああ。お前と同じ大学からの出身者だ。工業デザイン科の。お前が面倒見ろってさ』

アナベル・ガトーは同僚であるケリィ・レズナーの言葉に、コンピューターの画面から顔を上げた。同じ大学……確かに出身校は希望する学生に対して企業、それも卒業生の働く企業でのインターンシップを積極的に行っている。ガトーは学生時代にそれに参加していないが、友人の何人かがそうして様々な企業に赴いたのを思い出した。
自分がその恩恵にあずかっていないから言えることかもしれないが、自分だけでも忙しいのに、学生の面倒を見るなどという仕事を押し付けられてはたまらない。たとえそれが“後輩”にあたる者でも。

『喜べよ、女子学生って話だ。工科大にしちゃ珍しい……知らないか?』
『知ってたらその仕事もいくらか楽にはなるだろうが……残念ながら心あたりは無い』
『お前……そんなだからいつまで経っても女っ気がないんじゃないか?』
『余計なお世話だ』

まだ一日が半分と過ぎていない時刻にもかかわらず、ガトーは気疲れを感じていた。話の中心であるその学生が彼らの職場に姿を見せたのはその翌日の朝礼だった。

『ニナ・パープルトンです。××工科大学の4年生で……』

学生らしい格好の彼女はまだあどけない。のんびりしていると形容してもいいようなおっとりしたしゃべり方は、さすが大企業の令嬢といったところ。その情報は昨日の夕方にケリィがどこからか入手してきたものだった。別に相手の立場で態度を変えるガトーではないが、この雰囲気を目の当たりにして難なく事が運ぶとは思えなかった。せめて自分の仕事がその日のうちに終われば上出来だろう。ガトーは半ば諦めに似た感情でぼんやりと彼女の自己紹介を聞いていた。はっきり言って、内容は覚えていない。

しかし意に反して彼女、ニナ・パープルトンは優秀だった。学業成績が、ではない。基礎的な知識は身についているし、センスもある。当初ガトーは自分の仕事の支障になりはしないかと憂慮していたが、心配するだけ無駄だった。放っておいても彼女はやることはやるし、彼が訂正しなければならないミスも少ない。
これなら自分が付いて面倒も見る必要性もあまり感じられないなと苦笑しながら、ガトーは最新のプログラムソフトの使い方を教えていった。

『なんでまたインターンシップを?』

ニナに誘われた昼食の席でたずねてみた。昼時のカフェは混んでいるが、店主とその娘は常連客と会話を楽しむぐらいの余裕があるらしい。食後のコーヒーを飲みながら時間を確認すれば、まだ昼休みが終わるまで時間はある。ミルクを加えたコーヒーをすすり、ニナは照れくさそうに答えた。

『工科大学に入ったのも同じ理由だけど、私、自立したいの』
『自立?』
『自分のやりたいことで働きたいの。父親は私が働くことに賛成してないけど、私は自分で、自分の力で生きていきたいから。だから、勉強も頑張ってるし、働くってどういうことか自分の目で確かめたくて』

ガトーの顔にふっと微笑が広がった。ニナの言うことが、悪く言えば子供じみていたから。反抗期の子供のようだと思った。実際、今の彼女の行動の原動力は父親に対する反発だから自分の分析はある意味的を射ているだろうとは思うが。
けれどそれに対して好感を持った。ただのお嬢様かと思っていたけれど自分の考えを行動に移すことはできるらしい。

インターンシップの期間は2週間だった。その間にお互い、相手に対する好感を持ったのか、職場の人間が邪推するほど接近していた。けれど、それ以上のことは起こらなかった、ガトーが意図的にそうしていた。
最終日には送別会をやるのだと誰ともなく企画が持ち上がり、その日退社するときにケリィがどこからか持ってきたカメラで集合写真も撮ることになった。嬉しそうに笑うニナの手には、誰が用意したのか小さな花束も握られている。荷物と上着を取りに自分の机に戻ったガトーに、ニナが近寄ってきた。

『ほら、二人並んで!写真撮ってやるから』

それを見たケリィがカメラを構えたため、ガトーとニナは皆の視線を集めることとなった。冷やかすような声がいくつも飛んでくる。

『おい、さっき集合写真撮っただろ』
『いいじゃない、撮りましょ』

抗弁虚しく、ポーズを取るニナにあわせてガトーもカメラのほうを向いた。フラッシュが眩しかった。


送別会の後、ニナはガトーと共に彼の部屋へと向かった。どちらが言い出してそうなったのか、今となってはわかるはずもない。


ニナの家がどこにあるのかガトーは知らないが、彼女は度々彼の部屋を訪れた。それはいつも気まぐれで、決まった日にやってくるわけでもなければ事前に連絡が入ることもなかった。おまけにいつの間にか彼女は合鍵まで作っていた。
おそらく自分達は“恋人同士”といえるだろうし事実そのような関係を持っているのだからと思い別に文句を言うこともなく、ガトーは自分自身を納得させていた。それに、ちょっとしたことで機嫌を損ねるニナだったから、何か言うのを避けていたのかもしれない。
年上だし、自分がある程度我慢すれば、そう思っていた。悪い娘では、ないのだ。

毎日のように泊り込んだり、逆に二週間ほど姿を見せなかったり、そんな日々が重なり、部屋にはニナの私物がどんどん増えていった。大学に行かなくていいのだろうか、などと感じてはいたが言い出せず、ガトーが休みの日には買い物やら映画やら、いろいろなところに連れ出されていた。

『お前、痩せたんじゃないか?』

ニナとそんな間柄になって4ヶ月ほど経ったころ、職場でケリィが心配して声をかけてきた。体重を毎日量っているわけではないが、鏡に映る自分の顔があまり健康的ではないことには気づいていた。
限界が近いのかもしれない。

『ねえ、今度公開される映画、観にいきましょ?』

その日仕事から帰ったガトーに、ニナが嬉々として告げた。仕事だけでなく、見も心も疲れ果てていた。

『ニナ』
『なあに?』

リビングのソファの横に鞄を放り投げた。ネクタイを緩めてソファに沈み込み、ガトーは頭を抱えた。

『俺は……』

ただならぬ気配を感じたのか、ニナもガトーの横に腰掛けた。ただ、テレビの音声だけが部屋の中に響く。

『君はもっと向上心のある人間だと思ってた』
『え……?』

顔を上げれば、ニナの顔に笑顔は浮かんでいなかった。

『自立したかったんじゃないのか?そう言ってたのは、誰だ?なんでこんなところで怠慢な日々を過ごしてる、もっとやるべきことが―』
『言われなくてもわかってるわよ!学校にだって行ってるし勉強だってしてる!』
『いつ?いつ勉強してるんだ。俺はここで生産的なことをしてる君を見たことはない。休みの日は遊んでばかりだろう』
『私っ…………もういい!』

激昂して、ニナは寝室に閉じこもってしまった。鍵をかける音が聞こえた。
言い過ぎたのかもしれないが、それでももうこれ以上溜め込むのも振り回されるのも堪えられそうになかった。テレビからはどっと笑い声が聞こえてくる。イライラしていたガトーは乱暴に電源を切った。考えるのもやめにして、そのままソファを倒し眠りに付いた。

翌朝、寝室の扉は開いていた。ニナはいなかった。シャワーを浴びるためにバスルームに向かったガトーの目に飛び込んだのは二本の歯ブラシだった。それを見るのも辛かった。

その日から彼はソファで眠ることにした。それ以来ニナが来たような形跡は、彼が帰宅した後には見られなかった。

ニナの私物が消えて、代わりに合鍵がテーブルに放り出されているのをガトーが見つける一週間後までは。

そうして彼らの物語は幕を閉じた。





窓の外で降り続ける雨を見ていたガトーは空腹感で我に返り、ダイニングに入った。食事の用意をしていたはずのジェーンはいない。食事自体もキッチンを見てみれば途中で投げ出されたような状況で。
23時になりそうなこんな時間帯にどこかへ行ってしまうわけはあるまいし、寝ているのだろうか。
寝室のドアを開けようとしてノブをひねると、少し回しただけでひっかかった。鍵が掛かっている。どうやらこの中には居るらしい。

ジェーン?」

ノックしながら声をかけてみるが反応はない。寝ているのだろうと諦めて、中途半端に用意された食事を取ろうとした。焼かれていない二つのグラタン、おそらく材料を放り込んだだけのスープらしきもの。これではジェーンも何も口にしていないに違いない。気に掛かるが、鍵をかけられていてはガトーになす術も無い。
グラタンをオーブンに、スープを火にかけて一人で食事をした。どうしようもないくらい味気なかった。
つい先程まで昔のことを思い出していたからかわからないが、食事を終えてソファに横たわるガトーは嫌な既視感を覚えていた。そのために焦りのような不安が彼を襲っていたけれど、ガトーはいつかのように考えることをやめて眠りに付いた。

翌朝、寝室はまだ閉ざされたままだった。ジェーンが食事を摂った様子もない。いつものようにジョギングから帰っても、シャワーを浴びても状況は変わっていなかった。ジェーンが姿を見せるのを期待して意図的に音を立てている自分が可笑しかった。

「(俺は、何をジェーンに求めてるんだろうな……)」

寝室のドアを見つめながら、ため息がこぼれた。また、あのようなことが繰り返されるような予感がした。身支度を終え、振り切るように両手で頬を叩いて自分に気合を入れた。

『ニナがこの街に来ている』

大方、どこぞの企業にでも就職したのだろう。喧嘩別れのような、自然消滅のような別れの後、モーラからニナが留学した話を聞いた。自分の言ったことがその理由になったなんて自惚れは感じていないが、それで良かったのだと思いたい。すり減らすことで迎えてしまったあの最後が、お互い満足できる今につながったのだと信じたかった。

過去を思い返しても何にもならない。

ガトーは玄関のドアを開けた。眩しい朝日で、その表情は読み取れない。

20080417